写真家 入江泰吉

は杉本健吉や須田剋太と共に

奈良で切磋琢磨した芸術仲間である。 

 

奈良大和路の写真家と

言われる入江泰吉は

 

1905年、奈良市に生まれる。

画家を志すが家族の反対で断念するも、

長兄からベストコダック・カメラを譲り受け写真に打ち込む。

1931年、大阪で写真店「光芸社」を開業。文楽人形を撮影した「春の文楽」で世界移動写真展一等賞を受賞、文楽の写真家として活躍する。

1945年3月、大阪大空襲に遭い自宅兼店舗が全焼、ふるさと奈良へ引き揚げる。

同年11月17日、疎開先から戻される東大寺法華堂四天王像を目撃、そのときアメリカに接収されるとの噂を聞き、写真に記録することを決意。以後、奈良大和路の風景、仏像、行事等の撮影に専念。

 

晩年は「万葉の花」を手掛けるなど約半世紀にわたって撮り続けた。

1992年1月16日死去。享年86歳。

 

興福寺伽藍  811/1000

 

 

 この「私の大和路春夏紀行」の中に

杉本健吉は『回想・カメラで絵を描く人』という文を寄せている。

 

今年(2002年)の2月から3月にかけて、奈良市写真美術館で入江泰吉・須田剋太と三人展を開きました。昭和15年(1940)から奈良に通い出した僕は、東大寺の上司海雲さんと知り合い、そこで須田さんと出会った。当時、絵描きは従軍画家になるとか、みんな軍に協力してましたが、僕らはそんな器用なことはできなきから、失職状態。奈良へ行って博物館(現奈良国立博物館)に陳列されている仏像の絵などを描いていたんです。

大阪大空襲で被災し、奈良へ戻った入江さんと僕は、巳年生まれの同い年。入江さんは画家になりたかったくらいですから僕のことを知っていましたが、観音院で出会った以来親しくなりました。このふたりが僕のいちばんの友達でした。 

 上司さんの東大寺塔頭観音院には会津八一、亀井勝一郎、広津和郎など、東京から文化人が訪れて中央の情報が直接入ってきました。昭和21年(1946)に志賀直哉先生が歯の治療のために奈良へ来て、観音院に泊まっていらした。そのとき志賀先生にお目にかかり、この機に上司さんと僕ら三人や、池田小菊(小説家)、水島弘一(彫刻家)、河合卯之助(陶芸家)ら観音院に集う芸術家で「天平の会」が発足し、翌年『天平』という同人誌も出しました。

 

【中略】

 

僕は宇治の平等院にもよく通っていたんですが、池に映る鳳凰堂の倒影はリズミカルで美しい。それで、池に映る大仏殿の絵を描いたんです。あの広い庭に立つとなんとなく池を感じさせるので。これなんか写真には絶対出来ない絵の世界ですね。でも入江さんの作品を見て思うのは、結局、あの人も「絵描き」だと。それを写真でやっていたわけです。この点が僕との共通点ですね。…

 

 

杉本健吉と須田剋太、入江泰吉の三人が東大寺の上司海雲を通して出会い、奈良を愛す友としてそれぞれの好きな奈良の景色や仏像について熱く語り合っていたのかと想像すると杉本健吉が奈良に足繁く通ったのは奈良が好きだっただけの理由では無かったのかと思えたりします。

 

入江泰吉の写真集は本当に光の捉え方が素晴らしくその光を感じさせる作品も、杉本健吉の絵画に通じるものがある。写真と絵画で同じ構図の作品もあり、二人が好きな景色は必然的にと同じアングルだったのではないだろうか?と、思える。

そして、写真に添えられている入江泰吉のエッセイはとても心地良く、言葉が心にすんなりと入って来ます。奈良の素晴らしい写真だけでなく、エッセイとしても、とても素敵な1冊でした。

 

 

 

そして、秋冬紀行もオススメ!

 

 

 

 
 

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