以前に書いた杉本健吉研究
忘れている訳ではなくて…
みんなで順調に進んでいます。

杉本健吉が弟子入りし、師匠として尊敬した
画家 岸田劉生(1891-1929)

現在、名古屋市美術館で開催中の展覧会。


没後90年記念 岸田劉生展
1/8→3/1


展覧会の内容については↓

このポスターにもなっている
重要文化財『麗子微笑』は2/16まで公開されています。

こちらへ行って岸田劉生について
少し学んでみました。

   ※  ※  ※  ※

1911年(明治44年)『白樺』主催の美術展がきっかけで
バーナード・リーチと知り合い、
柳宗悦・武者小路実篤ら
『白樺』周辺の文化人とも知り合うようになった。
また、白樺の表紙の挿絵を描いており
親友の武者小路実篤とは『自己の為の芸術』
という見解で互いに認めあっていました。

1912年(明治45年)
高村光太郎・萬鉄五郎・斎藤与里・清宮彬
木村荘八らとともにヒュウザン会を結成。

1914年
『色で画くから画けないことがわかった。捨てれば描ける』
と、肖像画から風景画へ。
『これは全く、俺一人の見るものだこれこそ、
自分の眼でみるものだセザンヌでもゴオホ(ゴッホ)
でもないという事をよく感じた』

1915年(大正4年)
現代の美術社主催第1回美術展
(第2回展以降の名称は「草土社展」)に出品する。
草土社のメンバーは木村荘八・清宮彬・中川一政・
椿貞雄・高須光治・河野通勢らであった。

1918年以後
麗子の成長をカンバスに写すようになる。

1922年
春陽会(洋画団体)を設立。
創立時のメンバーは、
足立源一郎、倉田白羊、小杉放庵、山本鼎、森田恒友、
長谷川昇ら6人の日本美術院洋画部系の画家と、
草土社系の岸田劉生、木村荘八、中川一政、
そのほか萬鉄五郎、石井鶴三、梅原龍三郎らだった。
その後、岸田劉生と梅原龍三郎は春陽会を脱会。

1929年 38歳。胃潰瘍と尿毒症の為に死去。

 ※  ※  ※  ※

杉本健吉さんの手紙にも麗子さんや
梅原先生のお名前が出てきていますが
岸田劉生さんと懇意にしていたからなのでしょう。

展覧会は油絵が中心でしたが
後半には
南画に影響された岸田劉生の日本画があり
『四時競甘』という作品は
武者小路実篤の『静物』にも似ており
絵手紙のようで
筆のゆらぎを感じました。


 

ホームページ  

yoshie's gallery

https://kazu-moto.amebaownd.com/

 

絵手紙ランキング 

友の会07-22(2019年度)