【哲学勉強会】(2024 年 1 月 21 日(日))

≪哲学の意義≫
現在、日本で最も影響力があり、実績も豊富な哲学者といえば柄谷行人氏になると思う。氏の著書に『哲学の起源』(岩波書店 2012 年刊)があり、当時のギリシアにおける哲学の変遷を事細かに論ぜられているが、古代ギリシアを「哲学発祥の地」とする事には、特に異論はないように思われる。また「民主主義」も、古代ギリシアが発祥の地とされている。

 古代ギリシアにおける哲学の変遷を辿っていくと、ソクラテス以前と以後では大きく哲学の意味(意義)が異なり、それまでの哲学者は単純に「始源」を求めたりするが、一定のレベル以上に、物事を突き詰めて探求するという事には及ばなかったように思う。
(パルメニデスだけは、後代のアリストテレスによって大成する「形式論理(学)」に通じる思考を展開していた。)

 ソクラテスは有名な「無知の知」を軸として、一般市民をも巻き込みながら、我々の因って立つ常識や知識の根拠の無さを「問答法」により暴き出した。

 ドゥルーズによると、強固な常識(ドクサ)を打ち壊すために、このような方法(思考)を行うことが『哲学』の発生、または潮流を生む下地であり、主に中産階級が社会の主導権を握っているという時代・地域にしか発生しなかったと考察している。古代ギリシア、中世・近代以降のイギリス・ドイツ・フランスに独自の哲学が生まれ、イタリアやスペインには独自の哲学の潮流が生まれなかった原因としている。

 常識(良識も含む)は、結果的に妥協の産物であり、それだけでは「思考」(真剣に考える)を深め得る事ができず、ある種の社会停滞を生む。停滞を打破するためには、新たな「基礎付け」が必要とされる。

非合理的で、オカルト的な発想となるが、ソクラテスの弟子プラトンが『イデア説』を打ち出したのも、師ソクラテスが市民と問答する場面を繰り返し目の当たりにすることにより、常識(ドクサ)はあてにする事ができず、それらを超えた考察、新たな「基礎付け」を行うための根拠・次元として、「イデア」は考案されたものと考える事もできる。これは一種の「性善説」と取れるかもしれない。

話は横道に外れるが、世界最古の宗教ともいわれる「ゾロアスター教」は善悪二元論に立っているが、最終的には「善」が勝ち、世界は治まると説かれている。キリスト教や仏教にもその影響が及んでいると言われているが、哲学においても、「西洋哲学はプラトンの解釈にすぎない」とも言われているプラトンに、直接の影響は度外視しても、同じ世界観(「性善説」)が見て取れる。

誰しも自分・家族・国家・世界が、これからも成長し、存続する事を強く願うならば、それまでの常識が失われた時、あるいは疑わなければならない時、最も健全に新たな「基礎付け」を行う選択をする場合は、おのずと『イデア説』(性善説)に因って立つ事が必要になるのかもしれない。

 おそらく、このような見地からも、時代を越えて『哲学』という学問は、潜在的にも必要とされ、これこそが唯一にして最大の哲学の存在意義であるのかもしれない。

≪「新哲学」について≫ (2024 年 1 月現在)
 「カント哲学」の書き換えとまでは行かなくとも、現代版にアップデート(更新)することについて、少なくとも、新実在論者マルクス・ガブリエルや思弁的唯物論者クァンタン・メイヤスーにより唱えられている。むしろ、コロナ禍の終焉により、世界の行き詰まり感がより実感され、全世界・全世代にまでこの閉塞感の打破が希求されているように感じられ、一部、哲学・思想界にまで及んでいるのかもしれない。

 あくまで哲学側からではあるが、「現代の常識・枠組み」をカントにより定義付けられた哲学上の「認識(論)」と重ね合わせて、双方の相応性と違いを検証・考察し、上述の≪哲学の意義≫で書かれた方法等により、「新たな認識(論)」(場合によっては、存在論まで併せた「新たな基礎付け」)を構築する事が、現代社会の世界的な閉塞感を打破する一助となるのかもしれないと個人的には考えており、実現できれば、これに勝る喜びはない。

 「カント哲学」の乗り越えは、
(1)思想的には、カントの直前・直後の哲学(者)、一部のスコラ哲学・神秘主義思想、ヴィーコ等の非合理主義的な哲学(者)を学びつつ、
(2)論証・論理展開は、フレーゲから始まりラッセル・ウィトゲンシュタインを経由して発展した分析哲学を援用する形で進んで行くのかもしれない。

「新哲学」を論証していく方法・論理(学)は、
①三段論法を軸とした「形式論理(学)」)
②カントによる「超越論的論理(学)」、
③フレーゲ以降に発展した述語論理をはじめとする様々な「現代論理(学)」を援用しなければならないと思う。
また、レトリック的になるかもしれないが、
④「弁証(法)」的な形式
で進めて行く事も可能・必要かもしれない。

また、人類の永続的な成長と繁栄のために、上述したプラトンの『イデア説』を源流とする性善説的な動機付けと方向性が、「新哲学」構築の根底にあることが望ましいと思われる。

<参考文献>
・柄谷行人 『哲学の起源』(岩波書店)
・ジル・ドゥルーズ 『基礎づけるとは何か』[1956-57 講義](ちくま学芸文庫)