『やっと離れられる
『自由になれる』
電車が動き出すと
ホッとしました。

事前に働くところも決めてありました。
託児所付きでした。
職場の近くに社宅もあったので
そこに決めました。

仕事が終わると
自分と息子だけの時間です。
幸せでした。

家事も炊事も
自分たちの事だけ
やればいいし、
楽チンでした。

なによりも
義両親と
夫の顔を見なくて済む。
お世話をしなくて済む。
暴力も無い。
心も身体も楽になりました。


金銭的に話になりますが、
夫は
独身の時から
ローンがありました。
結婚してから分かりました。
夫の給料殆ど
そのローンの支払いに充てられました。

わたしが退職するまでは
わたしのお給料で賄っていましたが
生活は楽ではありませんでした。
しかも毎週末義両親が来て
酒盛り。
日曜日の夜まで食事。
この出費が痛かったです。

息子と2人の生活は
余分な出費も無く、
 快適に過ごせました。

家電などは
事前に契約して、
日時指定して社宅に運んで貰いました。
洋服などは最低限の物を持ち、
あとは宅配便で送りました。
不自由はしませんでした。

でも‥‥
車が無かったので、
子連れの移動は大変でした。
やっぱり、
🚗必要だったな‥‥
不便だわ‥‥
ひとでなしのせいで
不自由しました。

逃亡当日は
いつものように夫を仕事に送り出しました。
さっさと、指輪を外し、
テーブルに置きました。
内容は忘れましたがメモを残しました。

あなたとの生活はもう無理とか
このままだと辛くて死にそうだとか
そんな事を書いたと思います。

当時、わたしは📱を
持っていなかったので、
連絡はつきません。

わたしは誰にもこの逃亡計画を
話しませんでした。
居所も伝えませんでした。
両親にも妹にも。
友達にも。

わたしのせいで
巻き込まれてしまうのは
申し訳なかったからです。

この結婚には
両親は大反対でした。
反対を押し切り結婚しました。

『親の意見は
聞き入れるべきだった』
しみじみと思いました。
わたしって、なんてマヌケなんだろう。
バカなんだろうって悲しい