これは過去の出来事です。

思い出しては書いているので、
時系列がバラバラです。
分かりづらくてごめんなさい
悲しい


ここから過去のお話です⬇️『第一回目の逃亡詳細』『やっと離れられる』『自由になれる』電車が動き出すとホッとしました。事前に働くところも決めてありました。託児所付きでした。職場の近くに社宅もあったのでそこに決…リンクameblo.jp





住んでいる場所が
バレました。
夫がバラしたのかもしれませんが真顔
何があろうと親子なのですよね。
突撃されるかもと、不安でしたが、
義両親は来ませんでした。

考えてみれば
毎日バタバタしている我が家に
来るはずもなかった‥‥。

こんな状態では
『おもてなし』
も出来ませんから。

飲んだら食べたり
するのが目的ですからね。
義両親ちょっと不満

夫は自宅療養中だし、
様子を見にくるかと思いましたが‥
それも無し。
実の親子なのに‥‥

夫は約1ヶ月入院しました。
最初に手術をしましたが
経過が悪く再手術を行いました。
わたしが出産で入院してから、
何度か義両親はお見舞いに行ったらしいです。

この時もお見舞いは一切無し。
そんなものでしょうか??
わたしの両親をはじめ、
親類、友人などからは
頂きましたが‥‥

『お返しが大変だろうから、
お見舞いは無し』
義母は夫に言ったそうです。

『ふーん知らんぷり
不思議な事言いますよね。


お年賀から始まり、
バレンタイン
義母の誕生日、
母の日
義父の誕生日、
父の日
お中元
クリスマス

催促をしてきた義母。

わたしが逃亡してからは
即中止しました。

だいたい、お世話しているのは
こっちだし。
逆に頂きたいわちょっと不満

その後、長女のお宮参りを行いました。
夫が義両親も呼びたいと言うので、
仕方なく招待しました。

でも、その後は2年位は
殆ど行き来はしませんでした。
永遠に会わないつもりでしたが
それは難しかったです悲しい