時間が経っちゃったので、前回を復習してみます。

 

 

いま探しているのは、私という個人の存在価値についてです。

 

 

 

「私はこのために存在していたんだ」

 

「私はこのために生まれて来たんだ」

 

 

と思える、自分を納得させることが出来る理由です。

 

 

 

 

それを原典第2巻にある「大衆価値論」から教わっているのですが、、、ムズイ真顔

 

 

 

 

『価値というものを人間個人が自分の手で決定することは出来ません。また大衆が要求するものであることはわかっても、大衆の心を個人で把握するということは不可能に近いことであります。』〈原典算命学体系第2巻大衆価値論より引用〉

 

 

社会の中で発揮できてこそ「価値」となるわけですが、ここに書かれているように、自分と社会の接点は大衆の数だけあるわけで、なおかつそれを事前に把握することはむりということで、、、

 

 

 

それは無理なんですねちょっと不満ザンネンデスガ

 

 

 

 

そこでまず大衆の存在を横に置いといて、自分自身の範囲における価値をさがし出そうとするのが大衆価値論だということです。

 

 

 

 

自分自身の範囲における価値、

 

ということは、

 

 

自分が自分で自分のことを”価値がある”と思えるってことなので、

 

 

 

『人間個人が自分自身に対して価値あるという判定を下すのは、自己の心の満足度に他ならないわけで、満足感を得ない事柄に価値を見出すことはありません。』〈原典算命学体系第2巻大衆価値論より引用〉

 

 

まずは自分の心が満足すること!なのですね。

 

 

たとえ相手がそれを喜んだとしても、心が満足してなかったら、それは自分にとっては”価値”にはならないってことですね。

 

能力ではあるかもしれないけど、価値ではないと。

 

 

なので、自分の存在価値とは、自分の心がそう思わなければ価値にはなりません。

 

 

 

 

『自分自身の満足を得るためには自己の本質を歪めないことであり、自己の本質が生かされてこそ満足するはずです。

 

人間個人にとっての価値とは、帰結するところ個人の本質になるわけです。』〈原典算命学体系第2巻大衆価値論より引用〉

 

 

自分の心が満足する状態とは、まず自分の本質をゆがめず、その本質が活かされてこそということで、、、、、

 

 

自分の本質とはいったい何?

 

 

 

 

 

 

前回この後、「役目」と「価値」の違いについて勉強しました。

 

もう一度見直してみます。

 

 

役目は静、価値は動の中にあり、このふたつはイコールではなくて、交わるもので、役目という本能・本質(静)をいかに上手く実行するか、その行為(動)に価値が生まれてきます。

 

本能という自ずからあふれ出るエネルギーを行為に移すことで、生かされたなら、それはそれは心は大満足だと思います。

 

 

自分の価値を実感するには、常に動の中に居なければそれは叶いません。頭で考えているだけではダメだってことです。ナルホドデスネ真顔

 

 

そしてここには”生かされて”とありますが、本能・本質的なことというのは、自然レベルのお話しなので、これを社会生活レベルで捉えると合わないことが出てくるので、注意が必要です。

 

 

原典に書かれてあるのは、たとえ人に迷惑ばかりかけるような人がいたとしても、それは十分に価値を発揮している場合もあるという意味のことです。モシカシテワタシノコトデハナイダロナ?不安

 

 

 

 

 

 

心の満足=個人の価値は、結局、個人の本質がいかに素直に生かされているかということなので、ここを掘り下げてみます。

 

 

算命学でものごとを考えるということは、常に陰陽や五行、方向、有形無形とかで考えるということなのですが、それに当てはめて考えると、個人の価値というのは、役目(静)をいかに実行(動)するかということなので、静と動 → 縦と横 → 空間と時間に置きかえられることが出来ます。

 

 

これをそのつくりと同じ干支を当てはめて考える方法で個人の本質を説明してあります。

 

 

 

 

 

復習だけになってしまいました。。。ネガティブ

 

つづきます<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

まちがい・かんちがいは多々あり

そのうえ自論&推測のおまけつきで

同じことをなんども&

書いては消しをくり返す始末

さらに考え方も変化し続ける進化系

究極はブログ管理が出来ておらず

テーマあってないようなありさまですが

勉強中につきナニトゾご容赦ねがいます

<(_ _)>

 

 

 

記述のない『青文字』内、図、グラフ等は

青龍塾の講座、青龍先生のブログより引用しています

<(_ _)>

 

 

『紫色の文字』は原典算命学体系より

引用しています

<(_ _)>