前回の投稿で、ついに見つけた⁈究極の存在論の紹介で、むちゃくちゃ夢のない風の話になってしまって、反省しております。
少し付け足させてください。
でも、、、、、、
夢があるかって言ったら、、、、
「ほぼない・・・」です
先生も次の投稿でおっしゃられています。
『ただ、実のところ、次元が上がる人生って、人間世界的には面白くないものだと思います。だから、人間世界が面白い間は、次元に関わるのはやめたほうがいいかもしれません^^
真の幸福に王道はないと感じます。』
こちらのブログから引用させてもらってます。<(_ _)>
「自然に生きる」といっても、
人間的幸せを望んでいる時の「自然に生きたい」「自然のままに過ごしたい」「自然の流れの中で死んでいきたい」というこの自然は、いわゆる天地自然の理の自然、霊魂的自然ではないですよね?
この自然は、自分の心から無意識に生じる(←この部分が自然)という思いがあって、それがその思い通りになることを指して言っているものだと思うのです。
星でいうところの「調舒星の世界をそのまま具現したい」ってこと。
なので、そもそも”自然”の捉え方が、人間中心的に考えた時と、あくまでも自然の気から生まれている霊魂で考えた場合と、違っているってことなのですね。
宇宙のしくみ=自然と、自分個人から自然に出てくる思いは
実は真逆の世界で、天と地ほどの差があります。
わたしがたどり着いてこれから目指していこうとする自然な生き方は、天地自然の理の方の自然です。
次元を上げていく方です。
占い師blueに聞いた私の適職は
ずばり、占い師blueのお言葉通りの人生を知らず知らずのうちに選んできました
泣きながら、なぜか、苦しいとわかっていながら、そこから出て行かない私がいました。
逃げようと思えばいくらでも逃げれるのに、あえて自分の意志を持ってそこに留まる理由は、この苦しみの先にきっと探していた答えがあると信じているからです。
この程度の苦しみも乗り越えられない(=知らない)人に、この先が理解できるわけがない、自分は何を知ろうとしているのか、よく考えろって思うのです。負けてたまるか精神だけ
今の段階では、この苦しみが教えてくれる以上のものは無い、という信念のもとにそこで過ごします
なんともいえませんが。。。
なので、私がここで書かせていただいてるのは、私の苦なぞ大した苦でもないのですが、その苦によってどうなるのか、どうなったかの実感なのです。
そして、私がやっていたのがこれです。
『好きなことやってみるんですよね。現実を生き倒す、生き倒れる、これしかない。
東のスタートを色々やることが自然の法則を知るための通り道です。』
金性龍高星ならお手のものです
画像も先生のブログからお借りしています<(_ _)>
あえて苦しい道を選択するのが私なのですが、その根底にはそれが幸せになる方法、自分の知りたい答えがみつかる方法だと信じて選択し、苦を甘んじて受け入れるのです。
でも、結局この図のように、たどり着く先は西の墓場
なのに、何度こうなっても、またしつこくホップ→ステップ→ジャンプしに行くわけです
しつこくて無理するのは、日年の支合も加担している。。。
この先に行けば何かわかるかもしれない、そんな気がしながらもうまく生きれない自分(人間)を、その奥で信じているもう一人の自分(霊魂)がいるわけです。だから余計に自分(霊魂)で自分(人間)を追い込むことになる。
自分を信じる自分がいない人は、どこかで壊れるかもしれません。
そういう場合は逃げるのが正解だと思います。
本音(人間)を言うと、壊れたかった逃げたかった~
どうして胃に穴が開かないの?こんなに苦しいのに、、、と、自分の健康を恨んだこともあります。身体がどうにかなってしまえば、やめられるのに、、、と
自分で追い込むのをやめれないから、身体よどうか悪くなってくれ!って思っていた。。。
でも、悪くならない
そんなこんなをくり返す中で過ごした結果、、、、、
今これに近い感覚でおります
『目の前に現れる、不運や問題の数々を、おいしいごちそうを食べるように(幸福貯金をするがごとくに)取り組めることが、おそらく、自然にたどりつける極意だろうと思います。』
これなんですよね。
ただですね。ただ、まだこの域には達していません。
目の前に現れる、不運や問題の数々を、食べてはいるのですが、、、、、
これを
おいしいごちそうを食べるように
までにはなっていません。
残念ながら、、、、
ただ、腐ってはいません。
腰が引けるのは否めませんが、取り組める心境になっていることは確かです。
以前のわたしなら考えられないので、そのような心境になっていること自体が、奇跡のようで、何よりもうれしい
まだまだなのですが、何が来ようが、どうなろうが、「まっしゃ~ないしゃ~ない」といいながら、「お次の方ドーゾ」という心境で、片付けてます。ツカレルケドネ
未来は夢見てはいないのですが、こうしながらも、こうやって淡々と目の前に来たものを対処していっていると、
最終的に、私に必要なことしかやって来なくなると思っています。
そして、
いづれ「私はこれをするために、生まれて来たんだ」と思える自分になっていたいです。
まちがい・かんちがいは多々あり
そのうえ自論&推測のおまけつきで
同じことをなんども&
書いては消しをくり返す始末
さらに考え方も変化し続ける進化系
究極はブログ管理が出来ておらず
テーマあってないようなありさまですが
勉強中につきナニトゾご容赦ねがいます
<(_ _)>
記述のない『青文字』内、図、グラフ等は
青龍塾の講座、青龍先生のブログより引用しています
<(_ _)>
『紫色の文字』は原典算命学体系より
引用しています
<(_ _)>