貴幼法で主星調舒星を検証してみたの3回目ですが、今日は六親の霊魂からの影響を探ってみたいと思います。
家系を表す月支は一気の癸のみ。偏父で中殺されてはいますが、自分の実感としては、やはり父しかないです。(しかし、全然しゃべる親子ではなかったです。しゃべった記憶はほんとうに無い)
小学生(大一旬(玉堂星)2~12歳)までは、遠出こそなかったものの、いろんな所へ連れて行ってくれる家族思いの父でした。
大一旬というのは、貴幼法でいうところの、霊魂の融合が本格的になる前の時期で、性格の中心を成すものの考え方が出来上がる時期、3歳までに出来上がった霊魂の原点ともいうべき宿核に肉付けされる幼少期という大事な期間になります。
色々連れてってもらった大一旬
私が一番、家族の中にいたと思える時です。
父も妹も母もいるじゃない!! びっくり!
やっぱり、運勢が助けてくれてたというか、なんか長い間見落としていたこの霊魂の並びにいまここに来て泣けてくるものがあります。(見落としていたことにも泣ける)
玉堂星大運という正干の母のおかげで、母とは馴染んていたものの、そのほかはもろもろ記憶に薄く、、、、やっぱりこの辺りが生月中殺・家系中殺なのかなと。
ただ薄いといっても、仲が悪いわけではないんです。
父母妹は中殺がないのでなのかわからないのですが、別世界感覚なのです。透明フィルムの向こう側。
この大一旬、この期間だけは一緒に居させてくれたという霊魂の配慮を感じます
ただその間で、父の霊魂を受け継いでいるなぁと感じるのは、ついたての向こうで馴染みはしていなかったけど、心の奥に尊敬というか、憧れの念みたいなものはあったからです。
記憶に残っているのは父の記憶は4つあって、(3つとか5つにしてよ)
ひとつめは、6~7歳のころ、父とふたりで車に乗っている時、父が河の土手から転げ落ちている車を発見し、急いで男の人ふたりを自分の車に乗っけて病院へいったこと。その時に私のほっぺに血がついて、すごく印象に残ってます。
ふたつめは、父は近所の人のたわいない相談をよくうけていた記憶。またけっして差別をしない人で人から慕われてたと、母伝に聞いたことがあります。
みっつめは小学生のときです。父がPTA会長だった時の登壇している姿が印象に残っています。仕事柄も人前で話すことの割と多かった父、心の奥で自慢に思っていました。
ついたて越しの父ですが、思いやりと差別しない心を父から学びました。そしてこんなどうしようもない私をず~~~~っと、何も言わずまともになるまで待ってくれてた広すぎるこころの持ち主である父、相手を信じて待つということを言葉ではなく、生き方で教えてくれた人でした。
こんな父の記憶がわたしの心の根っこ深くに生きています。
これは今の大運です。
宿命に全くない、甲・己・丁(禄存星・玉堂星・牽牛星)の大運です。
この大運に入ってすぐ脳梗塞の症状が現れ、運転免許返納したので、お休みの日は父母のアッシー君として、支援というカタチをとっていました。
運勢どおりの縁です。
今年は、甲辰、甲は父の正干。
父の正干が大運と年運でダブります。
何かが起こると予想されます。
重ねて、母の日干は己なので、母にとって今年は甲己の干合の年。
父大運の父年運
現実では、父の霊魂が会局しています。
そんな今年の6月、父がお星さまになりました
2旬から5旬、この大運に入るまで、家族により付きもしなかった私。
いま運勢のおかげで、父と母でいっぱい
現実でもその通りになってます
大運、年運はほんとうにおもしろいですね(月運、日運になると細かくなりすぎて違いがよくわかりません)
月支の癸は、父の母の正干ではありますが、本ばかり読んでいる人という話を聞いたことがあるくらいで、あまりよくわかりません。父を通じて霊魂の継承があるかも。。。
宿命は戊に囲まれてはいますが、偏母干で、第2旬からは龍高星として稼働していました。
ということで、私の貴幼法からみた霊魂の継承は父からということで間違いなさそうです。
次回につづきます<(_ _)>
まちがい・かんちがいは多々
そのうえ自論&推測のおまけつきの上
同じことをなんども繰り返し
考え方も変化し続けております
勉強中につきご容赦ねがいます
<(_ _)>
記述のない『青文字』内、図、グラフ等は
青龍塾の講座、青龍先生のブログより引用しています
<(_ _)>
『紫色の文字』は原典算命学体系より
引用しています
<(_ _)>
テーマは途中からあってないようなものになっています。。。。
テーマの管理は私には無理でした
<(_ _)>