前回、積極的に神の意思を感じてみたのは、いわゆるベーシックな神さまの意思で、
天中殺からみた家系の流れと宿命の中の実干の有り無しでした。
そこから見た娘は、45番戊申、寅卯天中殺でありながら、母干がない(※場所で取ることを優先した可能性もある)ために、場所で取る母と父になり、ひとつの見方として、親縁薄めとなり、結婚相手先の配偶者の気を受け入れていく(日月・害)というものだった。残念ながらまだ配偶者的な人はいないのですが...
今日はもう一つの見方として、霊魂継承の視点から観てみます
霊魂継承ということで、月支(家系)の中の人物をみていくのですが、霊魂という場合は、実干ではなく、正干で取るということなのですが、なぜ正干なのか?「スピ算人生論・宿命検証-ダイアナ妃-」のなかで青龍先生がわかりやすく説明してくださっています)
娘の宿命図と六親表でみてます
この見方でいくと、家系・月支(亥)の中には、甲と壬
実際の父は場所で取る年干の仮父・癸だが、霊魂継承ということでいえば、正干の父・壬がドン!と本元にいる
宿命とえらい違いだ
この実際との違いをどう考えるかは、霊魂継承を考える上でとっても大切なことだと感じます。
何の仕掛けか、誰の仕掛けか、この流れの中で、あえてこの宿命(自然のしくみ)で生まれて来たことに意味はあるのかとか、考えても答えは出てこないのだけど、神の意思があるのなら、それを感じたいと思う次第です
また、実際との違いだけじゃなく、霊魂は魂と魄とがあって、天と地の間柄のように、天=神としての魂と、地上の先祖の流れの中で色がついて、それが燃焼しきれずに(燃焼したがって)残っている魄(ハク)とがあるのですが、、、
「霊魂継承」と聞くと耳障りよく、伝統的ななにかを感じるきれいな言葉だけど、魄の方にあるその継承した燃焼しきれていない思いが、現世においてどんな価値や良し悪しがあるのかはそれぞれなので、話を聞いて家系を流れる色具合から想像するしかないので、何とも言えないけど、大切なことだと思うのです。
話しを元にもどします
家系の月支には、本元に正干・父なので、父方かな?と思ったのですが、もう一つの「甲」は何代も前の父方か、母である私の母か?
うまい具合に、私という母を飛び越えて、母の母(母方のおばあちゃん)と、霊魂といえば干合なので、場所も月干の癸は、母の母の母(母方のひぃばあちゃん)、俗名でいうところの、シゲさんと愛子さんの霊魂継承をしていることになります?
母縁薄しなだけで、うまい具合に両方の家系から受け継いでいたのですね。
こんな両方から霊魂継承ってあるのでしょうか?
この母(私)から生まれるけど、気の流れの部分は直接受け継がないっていう神技
これは神さまが私の願いを本当に聞いてくれた証かもと思えます。
なんども書いていますが、自分一人さえ、どう生きて行けばいいかわからなくて、迷いのさ中、自己否定の中、失敗ばかりしている人間に子育てが出来るわけない、、、と思いながらの出産だったからです
結果、子育てはさせてもらえて、尚且つ私っぽくない子どもに育ちました。神さまのです
心底ほっとしています。
何がほっとしているかというと、柔軟性があって、人の中でやっていける子に育ったからです。東天運であることがうれしい
また自我強でないところも救いです
霊魂継承か肉体的遺伝なのかはよくわかりませんが、
娘が幼稚園~小学生頃の話なのですが
父親(私から見て夫)が、ある特徴的な目つきをするのですが、それと同じ目つきになる娘をみて、びくっとしたことが何度かあります
2歳になったばかりの頃引き離し、そこから10年近く一度も会っていないのに、、、です。
え~霊魂のしわざなの?
霊魂継承を六親図から探すのはおもしろいです
私自身は、月支一気、その一気の霊魂は、先日お星さまになった父親の母ツルヨの霊魂でした
それがわかったとき、燃やし切れなかった思いは何なのか、出来ることなら代わりに燃焼してあげたいなって、そんな風に思いました。
ちなみに妹は、そのツルヨの夫、喜一郎でした
妹と夫婦だったのね!
家族を見る目が、いままでと視点が変わっておもしろいので、オススメです