「人は何のために生まれて来たのか?」「人生とは何か?」「どう生きるべきか」の答えを探して青龍塾にたどり着いた私なのですが、その長年探していた答えが、もう目の前に迫りつつあることに何やらソワソワして落ち着きません
ファイナルアンサーはすぐそこまできているのか?
ソワソワしてるくせに、毎日更新される「スピ算人生論」への理解が遅れ気味で、まだ頭の中で自分の言葉に置きかえることが出来ず、深い理解に至っていません
ということで、少しでも追いつくために 今日は4月30日に更新された『スピ算人生論ー我思わなくても心有り』から勉強していきたいと思います。(前半)(6回目)
算命学とは、陰陽説+五行説+十干十二支(干支論)で、神、宇宙、人間を含めた森羅万象の在り方を読み解いていく学問です。
この図↓は一番の大元である根源、宇宙の神を陰陽に分けたものですが、勉強していく中でときどき見かけていて「宇宙の心ってなに?」と気になってはいたものの、実はわからないので素通りしてました
〈画像はスピ算人生論よりお借りしています〉
それが再び現れました!
『人間世界は、宇宙と陰陽関係です。よくいう、ミクロコスモス。
宇宙の心と人間の心がイコールです。ここが大事なところ。
「宇宙と人間」がイコールではなく、「宇宙の心と人間の心」が陰陽関係です。』
人間がこの世に存在できているのは、宇宙と同じシステム(いわゆる陰陽五行の相生相剋による変化生成のしくみ=自然のしくみ)が人間(干支)にも備わっているからです。
長い間、「宇宙と人間」がイコールだと勘違いしていました。
っていうか、そこまで深く考えていませんでした。。。
これこそが大事なところだったんですね。。。
同じシステムっていうのは、同じ”心”のシステムってことだったんですね。
とはいうものの「心」ってなに?ですよね。
原典には、後天的に生まれた「無形の器官」だと説明されています。
実体がないにも関わらず、実体である肉体よりも重要視される心(霊魂も)。。。。フトウナアツカイヲウケテイルニクタイガアバレダサナキャイーケド
『人間が霊魂と肉体でできていることは確かなことですが、それが心になっています。
でも肉体の中にあるのは霊魂であって、心ではありません。心はどこにあるのか?
あるいは、心は「有る」と呼んでいいのかどうか。人間を「有る」といっていいのか?』
実態がないものなのに、私たちみんな理解できる「心」って?
どこに有るというの?
実体のないものを「有るのか?」って探せるの?
ほんでもってそしたら「私」ってなんなのよ?心って私なの?じゃぁこの肉体は何?ってことにもなっちゃいますよね。ゲキムズ
ないがしろにされている「肉体」にはなんの立場もへったくれもないのでしょうか
『僕たちが「自分・人間」と思っているのは、実は、人間の心(宇宙の心)です。』
今日の一番の発見!!
長い間、「私・自分・人間」って自分の肉体のことで、こころはこの肉体の中にあるものだと思っていました。
それがどうやらすこぶるかんちがいでした。
「私・自分・人間」というのは、実体のない心のほうだったのです
「自分」って、霊魂でもなく、霊魂と肉体との間に二次的に生まれてきた心のほう・・・
え~~~~~~わかるわけないよぉ、これは、、、、
『人間の陰陽は肉体と霊魂。人間が肉体と霊魂に分かれているわけではありません。』
え~~~~~~~~これもおどろき
そしてこの次!
↓一番ヤバすぎる世紀の大発見
『つまり人間とは人間の心(小宇宙)の化身であって、そのものは実在ではない?』
?????えっ?
もう一度最初から整理してみます。。。
宇宙万物創造の神(すべての根源)を陰陽で分けると、大宇宙と小宇宙、マクロコスモスとミクロコスモス。
それはすなわち、宇宙万物創造の神(すべての根源)は、宇宙の心と人間の心に置きかえられ、その片割れである、人間の心とは、、、、
ここまではいいとして、さぁもう一度、ここからです。
『つまり人間とは人間の心(小宇宙)の化身であって、そのものは実在ではない?』
この「人間」っていうのは、実在する肉体を持ったの人間のことで、その実在する肉体的人間の方が心の化身であって、実のところ実在ではない
なんと立場が逆転してしまいました!
ゲキムズに付き次回に持ち越します<(_ _)>
↓記事はこちらです
まちがい・かんちがいは多々
そのうえ自論&推測のおまけつきの上
同じことをなんども繰り返し
考え方も変化し続けております
勉強中につきご容赦ねがいます
<(_ _)>
記述のない『青文字』内、図、グラフ等は
青龍塾の講座より引用しています
<(_ _)>
紫色の文字は原典算命学体系より
引用しています
<(_ _)>