〈ふりかえり・9回目〉

 

前提❹のつづきからです。

 

 

 

ふりかえりと言いながら、実はまだ一度も振り返ってはいないし泣き笑い

 

 

 

ただただ、算命学で占う前の前提条件を説明しているだけにすぎない、、、真顔もやもや

 

 

 

「・・・・タラー」とは思うのだけど

 

 

 

 

そんなとき、こんな原典の言葉を見つけた!キメてる

 

 

 

『算命学の思想は(中略)単純な思考を根気よく積み重ねておいて、それを後に全体的視野でとらえていく方法が最大の特色なのであります。陰陽法基編より

 

 

私にとってはなかなか”単純”とは思えないけど、この前提条件こそ、思考の積み重ねをやってる最中なのです目がハート

 

 

 

お墨付きをいただいたところで、気を取り直して続けます。

 

 

 

 

 

昨日前提❹「心の次元を上げよ」の心とは、の続きからです。

 

 

いつものように、振り返りますニコニコ

 

 

 

心とは、霊魂と肉体のあいだに、二次的に生まれて来た、形のない臓器のようなもの

 

 

霊魂と肉体を言い換えます

 

霊魂→精神

 

肉体→行動

 

 

心とは、精神と行動のあいだを調節する器官

 

 

 

 

具体的に「心」は、どのように働くのかというと、

 

 

わたしたちが何か事を起こすときの流れは、

 

まず○○をしよう!というやる気(=精神)が起きて、

 

ああしよう、こうしよう、どうしようといろいろ頭で考えて方法をきめ、

 

実際の行動に起こす瞬間に「心」が決めて、同時に行動(肉体)を移すというものでした。

 

 

 

これが心で、

 

この調整器官の「次元を上げる」というもの

 

 

 

 

この「次元」とはなんなのか?

 

 

ここで言う次元とは、「あの人は次元の高い人だ」というような時の、人間の価値としての”次元”ではなく、また数学的”次元”でもない。

 

 

 

ここでいう”次元”は、心にあって、ある種の「やる気」を肉体をもって「行動」に結び付ける時の「こころの状態」をいいます。

 

 

 

 

この時の「こころの状態」が、

 

 

霊魂寄りなのか、人間寄りなのか

 

 

精神寄りなのか、現実寄りなのか

 

 

天空よりなのか、地上寄りなのか

 

 

無寄りなのか、有寄りなのか

 

 

神さま寄りなのか、自分寄りなのか

 

 

自然の法則寄りなのか、人間の法則寄りなのか

 

 

 

 

霊魂寄りだと次元が高くなり、人間(地上)に寄れば寄るほど、次元は低いということです。

そう言う意味での高い低いが、次元の高い低いです指差し

 

 

 

次元はらせん階段状になっていて、それは地上の現実人間に位置から、霊魂の居場所である天空までつづいています。

 

 

 

基本はみんな生まれた地上の現実から。

 

天空からいちばん遠い地上0地点からの出発です。

 

 

 

そこからみんな、ひとり残らず天空を目指します。

 

それが生きる意味、条件のひとつでもあります。

 

 

 

有から無への旅。

 

無から生まれ、有に転生し、また無に還る。

 

 

本来の無が、ひとときのあいだ有を体験する、それが人生。

 

 

ひとときのあいだ人間だけど、本来は無です。

 

 

 

 

 

あっ!ちょっと脱線しちゃいました汗うさぎ

 

元に戻します。

 

 

 

この次元が上がるとか、次元が高い状態というのは、どこで観るのか?

 

 

 

それは、心の状態の「空度」で観ます。

 

どっちに寄っているかということ。

 

霊魂=精神=天空=無=神さま=自然の法則寄りなら「空度」が高い。

 

 

心の状態が「空っぽ」なほど、次元が高く、目の前のやるべきことを淡々とやっています(心が霊魂寄りな状態)

 

やる気 ⇒ 空っぽの心(自我が邪魔しない) ⇒ 行動(淡々とやるべきことをする)

 

 

 

 

逆にまだ、心の中の人間部分が燃焼できていないと、まだたくさん自分の欲望が詰まっている状態なので、もちろん空度は低いままです。

 

 

その心の状態で、やる気を行動に結ぶと、やるべきことより、やりたいことをします。(心が人間寄りの状態)

※ただし人間寄り=次元が低い=悪いではありません。

 

やる気 ➡ 自分の欲望 ➡ 行動(自分のための行動)

 

 

 

心の状態が空っぽなほど、目の前のやるべきことを淡々とやるのですが、その空が大きいほど、その「空」の持つ引力に引き寄せられて、そこにその人が本当にやるべきこと(天命)がいづれ舞い込んでくるようになります。

 

 

 

この天命への道にたどり着かせるために、算命学は「次元を上げよ」というのです。

 

 

 

 

 

では、その次元を上げるために、心を空っぽにして霊魂に近づくには、どうすればいいのか?

 

 

それは、まずは自分の宿命(宿命=命式+生家環境)、人間として生まれたその欲望を燃やし尽くすことです。

 

生家環境を背負った自分の欲望を燃焼させること。

 

 

苦はその燃焼のために生まれます。

 

 

 

自然のしくみの中では、人間の思うようにはいきません。(しくみ自体がそうなってない。しくみとは陰陽説、五行説、十干十二支)

 

 

人間の思い=欲望で生きようとすると、必ず「苦」が発生します。

 

欲望がある以上、ついて回るのが「苦」です。

 

 

 

そして、「苦」以外に欲望を燃焼させるものはありません。残念ながら。。。真顔

 

 

 

算命学はわざわざ修行しなくても、日常生活のなかに「苦」はたくさんあると言います。

 

 

要は毎日の生活の中の「苦」を甘んじて受けて、欲望を燃焼させて、心の空度をあげていくこと、要は、天命として宿命の命式のもつ力を十分に発揮させるために、まず生家環境を含めた人間の欲を燃焼させなさいと、いうのです。

 

 

 

避けたいのが「苦」ですが、避けたくて嫌がっているだけでは、欲望を燃焼させることが出来ず、苦痛なだけで、おそらく何も変わりません。

 

ただただつらいだけの時間。

 

 

 

燃焼させるということは、必ず自分自身に変化があるものです。(心に空の部分が出来る=変化)

 

燃焼して心が変わると行動が変わります。

 

 

 

やる気が湧いても、頭ではわかっていても、行動に移すときの心の中に自分がまだいっぱい詰まっている状態では、そこから起きる行動には変化がなく、自分でいっぱい(次元が低いまま)です。

 

ただし人間寄り=次元が低い=悪いではありません。<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

 

〈続きます〉<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まちがい・かんちがいは多々

そのうえ自論&推測のおまけつきです

勉強中につきご容赦ねがいます

<(_ _)>

 

記述のない『』内、図、グラフ等は

青龍塾の講座より引用しています

<(_ _)>

 

 

現実的な存在から精神的な存在へ

 

というプロセスを経ることが

 

生きるための条件のひとつ

 

ー青龍塾スピリチュアル算命学よりー

 

 

 

 

 

一人ひとりの命に宿された天の真実を

 

宿命という

 

 

 

運勢とは

 

天が用意したその宿命が旅する

 

人生のみちしるべ