生き方を見つけるために算命学を勉強中です

 

(昨日からの続きです)

 

どうしていつもこうなってしまうんだろう....

じゃぁどう生きればいいんだろう?

 

となって、その最終的に行きついた理由として

宿命の望みと、現実の自分の望みにズレがあるんじゃないか?

 

というところまで探り当てた。

 

 

これを言い換えてみると

 

自分の中の”霊魂”の望みと、肉体という”人間”としての自分の欲望

霊魂VS.肉体(人間)

自分の中の、無VS.有

 

この二者間のズレ

 

 

 

自分の存在について、私たちの意識の中では、はじめから「私は私」であって、

元から霊魂と肉体(人間)は一緒で「まさか二つが一つになってはじめて成り立つ(誕生した)....」なんてことは、みじんも考えずに生きている。

 

しかし、だ。

 

算命学で人間の在り方を説明すると、陰陽五行論で分解していくことになるのだが、

 

その陰陽論によると、

 

『(削除しました)』<(_ _)>

 

 

この自然界(大宇宙)は、天地自然の法則(陰陽五行の法則)で運行されている

その大宇宙に人間が存在することができるのは、同じ法則によって動いているから

同じ法則でうごけるのは、人間も大宇宙(自然界)と同じ構成要素をしているから

人間は小さな宇宙

そうなると大宇宙(自然界)の天(陽)と地(陰)とおなじく、小宇宙(人間)も天と地に分けることができる

天は霊魂、地は肉体

自然界が天空だけでも、地上だけでも成り立たないように、人間も肉体だけでは人間とは言えず、ましてや霊魂だけでは存在することすら出来ない

よって、人間は天地自然の法則により、霊魂と肉体のふたつで存在し「生きている」となる

 

 

肉体の中にフェードインした霊魂の叫び声を聞いてやって、現実の自分と間に折り合いをつけていく

 

 

 

 

ただこれも「なんでこうなってしまうんだろう...」と、苦しい現状に悩む私のこの言葉は、人間KAZUEとして苦しみから逃れたいと願うの嘆きの言葉で、そこから「苦から逃れるには...」と考え始めるのは間違いのもとだろうと思う。

 

人間的には折り合いが必要だけど、霊魂はそれを果たして望んでいるのか?と感じるからだ。

 

なんだ君はどっちの味方なんだ!ムキーと言いたいが

 

 

 

宿命の役割を「才能」という切り口で考えると、「苦」は才能を磨いたり、開花させたりするには、無くてはならない、切っても切れない、言わば「苦は才能の母」みたいなところがあるからだ。

 

 

才能占技の説明の中に、才能エネルギーはその部分だけカチコチに固まって孤独の状態にあるので、そのエネルギーを燃やし消耗させることで和らがせないとまわりと融合せずしたがって心が休まらないと書かれてある。

 

 

孤立、消耗、安らげない。

 

 

役割を果たすためには、「苦」は必要不可欠、、、の模様、、、

 

 

 

はて、どう折り合いを付けたらいいのだろうか。。。

 

 

 

 

 

 

▶算命学を勉強中。そこから学んだ生き方を記録しています。(自分勝手な解釈で正解かどうかはわかりません(__))

 

古代人たちは、神さまは自然そのものであることに気付き、それらが起こす”自然現象”をすべて”神さまの意志の現れ”と受け止めました。

そして心の感性と次元を上げて、その意思を読みとらなければ、神さまを味方につけることはできない。なぜなら苦しみから自分を救うのは神ではなく自分の心だから。

原典算命学体系はこの視点と方向性から書かれてあります。(と思って読んでいます。)