いま私の算命学は、ホームページやブログを立ち上げているものの、占いで生活しているわけではなく、毎日の欠かせないライフワークではあるが、あくまでも個人的な趣味の域を脱せないでいる状態。

 

脱せない理由は、まず第一に横線的、現実的に無理だから。

現実というのは、毎日12時間拘束の本業、お休みの日の母の支援、そして夫の反対。時間とその上場所もない。

 

更に、縦線問題として、一つのことしかできないという私の性質と技量と責任感という諸問題があるので副業は無理、なら占い一本で本業としてやれるのかと言ったら、その自信はない。

それを確かめるために、一年前小さくちょっとだけ始めて、その時”占い師”というカタチは向いていないと実感し、、、、「なら何なんだ」という、、、でも私にとってはこの実感が大切で、、、いま、他のカタチを考え中。

 

占いのその元にある「次元」「霊魂」「生きるとは、、、」を伝える人になりたいと思って、一時見せ方を変えようとしたが、そうすると突然「宗教」の布教活動っぽくなってきて、そうなると伝えたいことも伝えられないと実感。

また「次元」「霊魂」「生きるとは、、、」の話は、直接伝えることはむずかしく、また誰もそれを望んではいないこともわかり、やっぱりあくまでも「占い」というカタチが一番なんだということがわかりつつ、、、

その中で少しずつでも「次元」「霊魂」の大切さ、算命学が教えてくれる「生きるとは、、、」を伝えていければ、という思いに今は達しています。

 

で、現実的問題というのは、目の前の私の”やるべき”役割なので、本業と母の支援、両親を見送ることをキチンと終えられた時点で、夫の許しも出るのではないか、と、そんな気がしています。

 

 

毎日、活躍されている方々のブログ等を見るたびに、何も出来ていない自分が情けなくなって、何やっているんだろう、、、と。

ずっとそんな思いが続いていたので、精神衛生上よろしくないと思い、ここに書き出してみました。

今年は癸卯、私にとって調舒星の年。っぽいですね。(;^ω^)

 

 

中年期天極星、晩年期天禄星の私。

大運は冬始まり。

私の旺地は15年先の72歳から始まります。

 

今大6旬のど真ん中。

方位守護神が中央と西に入っています。

 

『物事のまとめを演ずる役目(終結させる役割)』

きちんと父と母を見送り、継ぐ者のいない生家を終結させる役目なのだと思います。

 

『前進を控えて守ることに専念し、最高の美を作り出す。』

前進を控えているのは「算命学」のことかなと。

今は守ることに専念し最高の美を作り出す、というのは、今は本業を全うすることが私のやるべきこと。

 

初めて守護神の恩恵(バランス)を感じています。

生月天中殺も手伝って、今まではどこかに偏って生きてましたが、この6旬はやけに落ち着いているのです。

算命学と経験からくる年のせいだと思っていましいたが、守護神のおかげなのでしょう。もともと守護神に縁が薄い宿命になので、わかりやすいような気がしています。

 

 

最終的に自分で自分をなぐさめるひとりよがりの愚痴っぽい文になってしまいました。

 

「フレフレ私」

庚申、自分で自分を支える干支、、、私らしい。。。

 

 

 

 文中の『』内は、青龍塾課外講座スピリチュアル算命学守護神法より引用させていただきました。