こないだ、チビ子にいとこの写真を見せていて、産まれたての時の写メが出てきた。

 

チビ子「この赤ちゃんは?(誰?)」

母タロー「(いとこ)ちゃんだよ。産まれたばっかりで泣いてるとこ。」

 

チビ子「(泣いたの?)じゃあ、痛くて泣いてたんだね。」

 

産まれた時、痛くて泣いたの!

 

……と、言っていたチビ子。

 

母タローとしては、へその緒を切られた時の痛みだと思ってるんだけど、とにかく、産まれた時は痛いらしい。

 

羊水に浮かんで、心地よい空間で、時々美味しいおやつを食べて(おやつって何だ?謎( 一一)!)、ねんねしてたのに、ある日突然体中熱くなって、早く産まれなきゃ!ママに早く会いたい!ママと良い人なパパが過ごしているお家に行きたい!色んな思いがあって産まれたら、すっごく痛くて泣いたらしい。

 

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母タローな私にも胎内記憶とかあったのかもしれない。

それをババタローにも語っていたのかもしれない。

でも、小さい頃から、喋るのが不得意だったから、伝えられなかったかもしれない。

 

子供は常に、自分を発信してる。

親に向かって、自分を守ってくれそうな大人に。

 

幼稚園に、チビ子を迎えに行くと、「遊びたい」欲求を主張されるから遊ばせて帰るんだけど、外で遊ぶ子どもがやたら絡んでくる。この流れで一緒に遊ぶし、チビ子は母タローをダシに鬼ごっこ等々、提案してくる。

 

「見て、見て!」子どもは、自分の得意技を見せてくれる。

元気にパンチもキックもしてくる。

自分の幼稚園時代、末っ子弟をババタローの代わりに迎えに行った時の記憶、ほぼ覚えてないんだけど、色んな記憶を持って、子供は今を生きている。

 

『子供だから、わかんないよね。』

 

たぶん、これは子供ながらにわかってるし、何年か覚えてる。

忘れるのは、必要がないからかもしれない。

チビ子が赤ちゃんだった頃、うちのパパ様は、育児から距離を取っていた。←パパ様は否定するだろうけど。

退院した日、平日だった為か、ひとりで退院し、タクシーを呼び、子供を抱えたまま市役所に必要な書類を取りに行き、家に帰ってからは、家事の助けはない、夜中夜泣きをしても助けは一切ない、寝かしつけには抱っこかおんぶで散歩を20分ほど(3歳になるまでは続いた。)、チビ子を抱っこする時は大人しくなった時限定で、寝かしつけは完全母タローだった。

出産一ヵ月後に、「銀座のチャンスセンターに宝くじを買いに行く。」と言われた時は、母タローは途方に暮れた。

 

0歳から2歳になっても、この状況は変わらなかったが、1歳の時点で、どうにかせねばと思った。

パパ様がチビ子を認識してないことに。そして、チビ子もパパ様の助けを必要としていないことに。

 

チビ子が近くにいても、完全無視なのだ。パパ様には認識があっても。

母タローがチビ子に背を向けて食器を洗っている最中、洗濯物を干す準備をしている最中、パパ様はいるのに、

突然、チビ子は号泣していた。「誰も私のこと見てない!」

 

心理カウンセラーにも相談してみて、アドバイスも貰ったが、それらはけちょっと無視をして、独自に動いてみた。

 

ことあるごとに、「パパ様がチビ子の為にやってくれたんだよ。」と、パパ様の前で、チビ子に言うようにした。

 

実際、パパ様はチビ子の為に動いていた。そこを尊重したのだ。

母タローには、何の助けにもなっていなかったけどwww

 

愚痴も悪口も封印して、プライド高いパパ様には一切文句を告げず、ひたすらチビ子に言い続けた。

ex)パパ様がいることは必須で、「これはね、パパ様がチビ子の為にしてくれたんだよ。」

 

積み重ねには、根気が必要で、何度かめげそうになったが、その度にパパ様には想像上で天に旅立ってもらったw

遺骨はダイヤモンドにして、ペンダントで身に着けよう!

 

一年程の積み重ねで、パパ様は寝る前にはチビ子を抱っこしたり、余裕がある出勤時には、チビ子の顔を見て出掛けるようになった。年末、銀座のチャンスセンタ―に出向くことも無くなった。

母タローの疲れが限界を超えて、気絶するように眠ったら、公園に連れていく気遣いも出現した。←通常の休日は、パパ様早朝テビを見て、チビ子起床のタイミングで二度寝、三度寝して、母タローが外へ連れ出すんだけど。

 

 

チビ子は痛いのが大嫌いだ。小さな切り傷刺し傷だとしても。

暑いのも熱いのも大嫌いだ。

だから、産まれた前後も、へその緒を切った時の痛みや違和感は相当なものだったんじゃないだろうか。

*黄疸検査に引っ掛かって、足の裏にちょっぴり血を取られた痕をつけられた時も。

 

赤ちゃんでも子供でも、大人になっても、痛い時は泣いてしまう。

痛い時は泣いて良い。我慢しなくても、全然良い。