書き作業の件。

 

久しぶりのどうでも良い独り言。

 

チビ子を妊娠した頃から、ずっと書き続けてる作品があって、何度もリライトを重ね、いくつかの公募に送って、かすりもしなかった。

かすりもしなかったのは、自分の力不足なのだと、認める。

頭の足りなさだと思う。小さい頃からの環境のせいだ。

貧乏だった。親の学がなかった。虐待(暴力暴言ネグレクトがあった)、そして、学校時代、社会に出てからのイジメ。

40代に入るまであった。ある程度の財力、教育を受けていた人には理解出来ないであろう経験ばかり。

仕方ないとそこは諦めている。

 

書き始め一、二年は、多少悲観もしたが、子育ての大変さに追われ、悲観の優先順位ははるか向こうに飛んでった。

でも、希望は持った。夢=希望。希望が生きる糧だった。←希望を持ったとしても、力不足はいつもずっと付きまとったが、夢という存在はずっと生きるパワーをくれた。

*やりたい習い事があっても、お金がないとごめんなさいとされていた。勉強を理解出来る環境があれば、、、と思うが、そうじゃなかった環境はご縁だと思う。

 

子育て、パパ様育てが大変で、お小遣いがどこからか湧き出るでもなく、長年勤めたバイトのおかげで、毎月数万円は貯金出来る環境だ。

 

チビ子がようやく小学校に入学した☆

通ってた幼稚園からH小学校に入学するのは、チビ子ひとり。

お友達問題は大丈夫か???

と、思ったが、あっさりと力強く、『お友達ができたの(^^♪』とさ。

幼稚園時代にあった登校拒否もなく、毎日小学校に通い、授業を受け、宿題をしている。

嘘みたいに、今のところ順調だ。

 

赤ちゃん時代、幼児時代は実子にほぼ無関心だったパパ様は、休日になると「チビちゃん、土日は何処行きますか?」と聞く。

実際、お出掛けするかは置いておき、ちゃんと一応、チビ子を気に掛ける。

生まれ変わったの?パパ様!レベルだ。

それにチビ子は遠慮なく、それに応える。

*チビ子は、パパ様が出来ること、出来ないことを大体把握しているので、それに応じて理解をしている。

 

お互い空気だった一歳までのチビ子とパパ様の関係性が嘘みたいだ。

 

限られた時間の中、書き作業はずっと続けてきた。

やりたいことが出来ないストレスを抱えても、書き作業は寝る時間、休む時間を削れば捻出出来た。

希望を持てたのは、支えだった。

中学時代からジ殺念慮が消えない中、生きたいという自覚を強く刻んでくれた。

想像力を膨らませる作業は、いつだって、楽しい。

ホントのところ、劇団の裏方出来たら喜び~なんだけど、パパ様は劇団活動に難色示してる(-_-;)←うぜぇ~。

 

想像力、、、そういえば、ずっと支えてくれていた存在だった。

愛されて育てられた経験のない親に育てられる。

基本は貧乏。母親は働く能力が無かった、暴言と体罰がほぼ毎日の、中等度以下の教育しか受けていない親に育てられる。

足し算引き算、筆算を理解するのが困難だった。昔は居残りで先生が根気強く教えてもらえる環境だったのは救いだった。

妹弟の時代は、居残りがNGだったから、彼らはかなり過酷な環境で育ってきたはずだ。←捉え方は一人ひとり違ったとは思う。

 

私はずっと夢の世界で生きてきた。学校や社会に出てからも付きまとったイジメが趣味の人との縁。

現実逃避、順応性、、、長くシにたかったが、本当は生きたかったから、想像力で自分を生かしたのだと思う。

 

先日、公募にずっと書き続けてきた作品を送った。

かすりもせんでも良い。ダメでも共感を得なくても良い、納得出来る作品になった。

 

満足してしまった。

その前段階の話だが、自分の力で形にしようと動いてみたが、その時点では何もかもが繋がらなかった。

形にしたかったが、難しいのかなあと思う。それもご縁だ。

 

貯金が順調に増えれば良いかもしれないが、チビ子に使う出費が大きい為、そこそこしか出来ない。

それが現実。素直に受け入れたい。

 

財力や環境や才能やご縁が繋がる人が正直羨ましいけれど、こればかりはどうにも出来ない。

このまま、地道な貯金が出来れば、自腹で形にしたい。

時間も必要だから、チビ子自身が自分である程度、自分のことをこなせるように育てていかねばならない。

 

だけど今は、全力で、全身全霊でチビ子を守っていきたい。チビ子の成長を支えていきたい。手を繋いで歩いていきたい。

 

先月、チビ子が6歳になった。
チビ子「誕生日って、私が産まれた日なんでしょ?」
母タロー「そうだよ。無事に産まれてくれて、育ってくれてありがとうね」
チビ子「私もママとパパに育てて貰って良かった。ありがとう」

普通に育ててるだけで、こんな良い子に育ってくれてるよ!
パパ様には、「ママとパパ」のところを「パパとママ」に入れ換えて報告しておいた。
顔には出さんが、心で「満更ではない」みたいな顔してた。

怒られての反論も、言い訳もお願いの仕方も、上手になってきた。

基本的に、母タローに頼りきりだが、時々日曜日の午前だけバイトを入れて、パパ様とチビ子と過ごしてくれるようになった。
パパ様と一緒の時は、一人で着替え、一人でトイレへ行き、お出掛けする時は文句一つ言うことなく、素直についていく。
*ただ、後から母タローが合流したタイミングで「お出掛けしたかった所はここじゃない」と告白されたら、パパ様と解散し、お出掛け仕切り直しとなる。
チビ子、○○へ行きたいって言ってたのに、

「(〇寛平さんなみに)何故じゃあ?どうしてじゃあ?」と場違いな所に連れてきたパパ様に心の中で何度も問い直しながら。。。


きっと、パパ様的には、連れて行く気持ちになれなかったのだ。しかし、お出掛けに娘を連れ出せるようになったのは凄い成長!
母タローより10コ上。バツ一ですが。
パパ様がバツ一になった理由は聞いてないが、チビ子を育てるようになり、わかった。
前の奥さんは辛かっただろうが、もっと辛かったのはお子さんだったはずだ。

 

前の奥さんには悪いと思いつつ、想像されることは反面教師にさせてもらって、チビ子には、極力辛い思いをさせない!
幼稚園、学校でも十分辛い思いはするだろうから。

その思いで、父と娘を繋ぎ続けた成果は確実に上がってきている!


今日もチビ子は楽しそうに幼稚園へ登園していくだろう。

来年は小学校、、、早いなあ。まだ見守り必要だけれど。

 

 

昔々、といっても、十年くらい前なんですが、沖縄に一泊二日の予定で旅行に行き、突然の腰痛!ぎっくり腰か?!

そのまま、沖縄の病院に入院!!!

 

二ヵ月半ほど沖縄の病院に滞在。

滞在中、うちなーんちゅから、沖縄の様々な問題を、聞かせてもらった。

 

知らなかった。第二次大戦後、米軍と沖縄の関係性を。

第二次大戦以前、大戦中、沖縄から外国へ移住した方々が経験した出来事を。

日本はアメリカに負けたから。

それだけの理由なんですよね?

 

大戦以降、うちなーんちゅは、アメリカの人身御供な一面と、アメリカに頼らないと仕事がない、依存せざるを得なかった現実を知った。

 

私の作家としての実力は、ダメダメなのかもしれない、、、そう痛感するけれど、私が経験してきたことは、他人と比べても特殊らしく、、、誰でも良い、何処でも良いから残しておきたいと思い続けてきて、、、その一心で書く作業を続けてきたのだと思います。

作家じゃなくても一素人として、残せたのは有難いきっかけだったと思います。

「サイパンに行こう!」

9:54あたりからです。

が、他の作品も障がい者に寄り添った内容です。

是非、視聴のほど、よろしくお願いします。