始めにテーマを「舞台」にしてしまったが、語る多くは「舞台」の事ではないと思う。
藤原竜也さんて、本当にスカウトだったのかヽ((◎д◎ ))ゝ
藤原さんをスカウトした人は、どんだけ先見の明を持ってたのだろう???
藤原竜也さんの恐ろしいまでの芝居力。
圧倒された。
映画で「エレファントマン」を観た事がある。
一度しか観てないが、かなりの衝撃的な内容だった。
しかも、実在した人物だと知り、驚愕した。
藤原さんはまったく藤原さんのまま、ジョゼフ・ケアリー・メリックという人物=「エレファントマン」を演じているが、姿勢体勢は奇形を表わし、目の異様な輝き、戸惑い、絶望、純粋さ、生命力は「エレファントマン」だった。
私は過去、見世物小屋という場所で生計を立てていた、生まれつき奇形を抱えた方々の肖像や写真やらを集めた本を立ち読みした事がある。
産まれた場所によって、「神」と崇め奉られる国もあるらしい。←これに関しては、子の意思は潰されたに違いない。親の誇りが勝る事が多かったに違いない。
だが、様々な体の疾患の為、痛みや悪臭や体自体の重たさを抱えて、姿は周囲の好奇の目に晒され、心が砕けても、生きる事を選択した彼らの苦悩は量り知れない。
五体満足の私自身が彼らの事を語るには、
そして「エレファントマン」の舞台の感想等語るには、失礼にあたるような気がする。
依然、私は警備員のバイトをしていた時、工事現場の立哨(りっしょう)をしていた。
近くには養護学校があった。
いろんな子供がいた。
笑顔で「おはようございます」と元気良く挨拶してくれる両足を金具で固定し、引き摺ってた子。
無表情で地を一点に見据えたまま、「おはよう」と走りながら挨拶してくれる子。
全く私など無視な子。しかし、インターロッキング(歩道に敷き詰められてるレンガみたいなやつ)が一、二個足りなくて、カラーコーンで歩道の端っこを囲ってあった場所を怖がって、前へ進めない子を別の子が手を握って、その場所を避けて通ってくれた。
表情では理解出来ないけど、これが本当の子供達の本性、魂を持ってるんだと思った。
一度、顔や両手、陽に当たる部分が爛れた子が遅刻して、登校してきた時があった。
帽子等で日光を遮断する策は取っていたけれど、あまり意味がない防御法だった。
正直、ぎょっとした。
が、随分学校自体、通ってなかったようで、工事現場のゲートで様子が変わった場所を恐れた様子だった。
私の体は自然と、その子の手を取っていた。
そして、ゲートをだいぶ過ぎた辺りまで、誘導していた。
姿形……目が見えてしまえば、区別してしまう。差別してしまう。
声の響き……耳が聞こえてしまえば、不協和音を奏でる声音を区別してしまう。差別してしまう。
普通学級で差別やイジメを受けてきた私でさえも。
情けなくなった。自分が。
そういう自分なんだ。最低なんだ。
こんな自分を思い知った過去を、思い返した舞台だった。