225.カモン



ウェット感が充満してる玉置さんのボーカルとドライ感があるギターの融合、ジャズとブキをミックスしたような展開がたまらないオシャレなミディアムナンバー。


ところどころで、絶妙なタイミングで曲にスパイスを加えるような階段を駆け上がっていくようなコード進行の影響からか、シンプルな音作りなのに聴いていてゴージャス感を感じられる点が聴きどころの一曲。


終盤の高低を軸にさまざまなスタイルの声で多重コーラス! 聴いていて玉置さんらしい展開だと感じられた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?


最終盤に盛り上げるだけ盛り上げていくダイナミックさを感じながら楽しみたい一曲とも言えるかと思います。


玉置さんは'84年に"ワインレッドの心"でブレイクされた際に、テレビ番組"ザ・トップテン"にて「今後、どのような形で活躍したいか?」という問いに対して、「僕たちの親世代の人達にも聴いて頂けるような音楽をしていきたい。」とコメントされていましたが、この"カモン"を聴くと洗練さ、モダンさの中にどことなく懐かしい匂いがする音が絶妙な部分で混じっていて、ブレイク時の玉置さんのコメントが社交辞令てはなく本心だったという事に気付かされました。


そういった辺りもイメージしながらじっくりと聴いてみたいナンバーの一つと言えるかもしれませんね。




219.BELL



既に先行シングルのカップリングナンバーとしてリリースされていたAOR的要素漂うミディアムナンバー。


カップリングナンバーとして単体曲として聴いていた際には気づかなかったオープニングからオーディエンスを一気に幻想的な曲の引き込む安藤さと子さんのキーボード、生ギター中心のアルバムだった影響からか、アルバム収録曲として全体的に振り返ってみるとAOR的なきめ細かいリズムパターンが印象に残るサポートメンバー カルロス菅野さんのパーカッションなど隠し技のように浮き彫りになって楽しめる辺りは、聴いていてなかなか面白い一面といっていいかと思います。


パーカッションが印象に残ったという事で、パーカッションプレイヤー カルロス菅野さんのご紹介をさせて頂こうと思います。


カルロス菅野さんは、’84年ジャズピアニスト 松岡直也さんのツアーメンバーとしてキャリアをスタートさせ、'87年には、日本のサルサのバンドとして第一人者の"オルケスタ・デ・ラ・ルス"の結成メンバーとして、'95年にはラテンジャズ・ビッグ・バンド"熱帯JAZZ楽団"を結成し活動する傍ら、国内の数多くのトップミュージシャンのサポートメンバーとして活動され、玉置さんとは’96年"CAFE JAPAN"ツアーから'10年の安全地帯としての"完全復活"ツアーの中盤まで活動を共にしたトップミュージシャン。


そんなカルロス菅野さんの隠し技のようだけど、印象深く心に残るリズムも感じながら聴いて頂きたい一曲。



資料1.'96年の玉置さんのツアーから’10年の安全地帯の"完全復活"ツアーの中盤まで玉置さんと活動を共にされたカルロス菅野さん。彼の叩くリズムは玉置さんのメロディに新しい風を吹かせてくださいました。




226.RELAX



振り返ってみれば、この'98年前後辺りからかっては"懐メロ"というカテゴリーで呼ばれていた終戦直後の流行歌が"昭和歌謡"という新しい呼び名で再評価され始めた時期だったように感じます。


平成という時代も10年目を迎えて、きちんと昭和の文化を見つめ直す時期だったのかも知れません。また時期的にも昭和歌謡の代表的なシンガーである江利チエミさんやしばたはつえさんの旧譜がリマスター再発され再評価されたり、JPOPのシーンでは"昭和歌謡"のエッセンスを吸収し継承したようなグループ"EGO-WRAPPIN"のブレイクがあったりと再評価するにはベストな時期だったのかも知れませんね。


この"RELAX"はそんな昭和歌謡のちょっと危なく、刺々しい辺りのカッコ良さ、スタイリッシュさを玉置さんなり解釈し表現したエキサイティングなナンバー。


雰囲気的には、夜の場末の歓楽街のようなちょっと危険な香りがするナンバーとも言えるのではないでしょうか?


同じ時期にサザンオールスターズもアルバム『さくら』にて同じようなタイプの楽曲を収録されていましたが、この玉置さんの"RELAX"の凄いところ、ぜひ注目して聴いて頂きたいところは、他の楽曲群が終始楽曲のムードを大事にしながら最後まで崩さず展開する事を徹底したのに対して、"RELAX"は最終段階で激しいギター、玉置さんの狂喜乱舞しているのか?と感じさせる鋭いボーカルも用いて曲をダイナミックに演出しているところ。ボーカリストとしての玉置さんの凄まじさを体感して頂けると思います。ぜひとそういった辺りを感じながら聴き込んで頂きたい。



資料2.ツアーの様子を捉えた書籍より。ライブステージも圧巻のパフォーマンスでオーディエンスの度肝も抜く展開が披露されました。




227.ワルツ



前曲"RELAX"が戦後の復興期のカッコイイ昭和歌謡にアプローチした楽曲だったのに対して、この"ワルツ"は戦前の満州開拓時に海を渡った方たちの望郷感、切なさを全面にした数々の楽曲で戦前の日本の歌謡シーンに痕跡を残した李香蘭こと山口淑子さんも歌唱した"蘇州夜曲"のような切ないメロディーが印象に残るバラードナンバー。


歌詞でいう"眠る時は〜 教えてね〜 一番そばにいるから〜"辺りのメロディから来る切なさはまさに平成の"蘇州夜曲"と言っていいでしょう。


戦前の昭和歌謡の魅力を継承する。実はこういうアプローチは’80年代の日本の音楽シーン辺りから見受けられた光景で、松任谷由美さんは"アカシア"で、サザンオールスターズは"流れる雲を追いかけて"で、戸川純さんはアルバム『極東慰安唱歌』で歌詞とメロディ、曲の全て面において"継承"と手法で戦前の昭和歌謡にアプローチを試みたのに対して、この"ワルツ"という楽曲はリリースが少し後の'90年代後半という事もあってか、サウンドのみを継承し、その他の部分では進化という選択をしている点を踏まえながら、玉置さんなりに当時満州開拓から約60年、開拓当時の体験した方から歴史を継承するにはギリギリだった時期、文化の面でも継承しながら進化といったアプローチを選択したのではないかと感じました。


そういった時代背景なども加味しながらじっくりと聴き込み、さまざまな風景をイメージしながら聴きたい一曲だと思います。



228.フォトグラフ


'70年代中盤にピークを迎えた四畳半フォーク、キャロル・キングさんやジェームズ・テイラーさん経由の放牧的なメロディで、かぐや姫を筆頭に、イルカさんや長渕剛さんなど個性的なアーティストがたくさん排出され、日本の音楽シーンに一つの足跡を残しました。

この"フォトグラフ"はそんな四畳半フォークの香りが漂うミディアムナンバー。

ちょうど時期的にかぐや姫がキャリアを統括したベストアルバムをリリース、そして全国ツアーと再始動したり、俳優としてシーンに登場した感のあった福山雅治さんがアルバムで四畳半フォーク的な楽曲"ダンボールと蜜柑箱"を発表しアーティストとしての地位を固める少し前、またそういったムーブメントを呼び込む要因となった全国各地の駅前などで演奏をするストリートミュージシャンの台頭、そういった場所からメジャーデビューしたゆずの影響もあってか、そういった音楽に注目をされ始めた時期と重なる。

そういった世相と玉置さんの軽井沢時代のスタートが噛み合ったからこそのナンバーだったのかもしれませんね。

そういう要素も踏まえながら向き合って聴きたい一曲だと思います。



資料3.軽井沢時代の玉置さんは、アコースティックサウンドが主体の作品が多かった事からか、生ギターを従えてのフォトが多く見受けられました。




229.ぼくらは...



アルバム『GRAND LOVE』のラストを飾るのは安全地帯の作品からよく見受けられた、壮大なバラードナンバー。


かって玉置さんはライブに関してファンに対し、「良い映画を観た後のような、ため息がおもわず出てしまう満足感、そういったものを僕等の音楽で味わってほしい。」とおっしゃってましたが、アルバムに関しても同様の想いがあるのではないか?と感じてしまうぐらい、玉置さんの作品は安全地帯を含めて、最後にトドメのナンバーとしてスケールの大きなバラードナンバーを配置することが多いように感じます。


この"ぼくら..."もそんなトドメのナンバーの一曲ですが、曲の最終盤に更にトドメを刺すように、熱いやや長めのギターソロの後に、幼少期に祖母に連れられていたという事もあり、玉置さんのルーツの一つでもある民謡のような節回しを挿入し、ドラマチックなバラードナンバーに構築されてある辺りが印象に残りました。


なぜ?民謡のような節回しを挿入した点ですが、軽井沢で音楽活動をスタートするに辺り、玉置さんなりに幼少期から身体に染み付いていた民謡あたりも見つめなおす必要があったのかも知れませんね。


そうする事により玉置さん自身のルーツ、昭和の音楽のたどってきた歩みなどを再確認する必要があったのかも知れません。


民謡節回しを取り入れる斬新な一面のみ捉えてしまいがちなナンバーではありますが広い視野で楽曲と向き合ってみたいナンバーだと思います。



次回はシングル『HAPPY BIRTHDAY 〜愛が生まれた〜』を振り返ってみたいと思います。


またお時間あれば読んで頂けると嬉しいです。


引き続きよろしくお願いします🤲