6/10(月)の朝にCBCラジオに出演しました。
時間は朝の7:40~50の約10分程度。
そこで、朝倉象棋を紹介しました。
元々は、CBCラジオの三田地プロデューサーからTELがあり
良い機会なので、出演を受諾しました。
まあ、東海地区(愛知、三重、岐阜)限定なので福井では聞けませんが・・・
ラジコで聞けるかどうかは定かではありません。
生放送だったので無理かな???
担当の光山アナウンサーから私の紹介があって、いよいよ電話出演。
以下は台本に従って応答。
Q:福井の天気はどうですか?
私:晴れと曇りの中間です。
Q:特殊な駒「酔象」が発見された経緯は?
私:1973年(昭和48年)一乗谷朝倉氏遺跡という国の特別史跡の発掘調査の際に、
当主の館の武士が詰める部屋付近からまとまって174枚の将棋の駒が出土、
見つかったんですね。
出土した1枚に「酔象(すいぞう)」があり、裏面に「太子(たいし)」の文字が
確認されたんですよ。
当主に謁見するまでの間の待機中に、部屋にいた家臣らが時間つぶしに
対局していたと考えられているそうです。
時期は、およそ500年前の1558~1570年頃に使われたと考えられます。
「酔象」は奈良県の興福寺、京都・上久世遺跡から南北朝時代の「酔象駒」
一枚が見つかっています。
Q:『朝倉将棋』は戦国時代の大名、越前朝倉氏から名付けられたのでしょうか?
私:多分そうだと思うのですが、将棋のルーツから、名づけについてお話します。
もともと将棋は平安時代(8世紀頃)に中国から伝わったとされています。
1142年頃の文献には将棋が指されていた記述があるそうです。
平安~鎌倉~室町~戦国時代と時がたつに従って、日本独自のルールが
追加されていったと考えられています。
独自のルール、取った駒の再利用や酔象が成ると「太子」になることです。
朝倉氏の1570年ごろの当主は朝倉義景で
朝倉氏の遺跡で、当主である朝倉義景に謁見するために待機する部屋で、
1枚の「酔象」が発見されたので、少なくとも朝倉氏の館では、
本将棋とは別の、酔象を使用していた将棋も指されていたことが
物的に裏付けられました。
このような歴史から、「朝倉将棋」の方が本将棋より先に
考案された可能性があります。
これらの発掘についてテレビ番組で放送されました。
1975年(昭和50年)10月12日放送に放送された
NHK総合の番組「酔象発掘」です。
この番組中で「朝倉将棋」と呼称されたのが名前の由来です。
Q:『酔象』と成った『太子』の動き方をお教えください。
私:酔象は、真後ろ意外の7か所に1マスづつ
太子は、全8か所の1マス(王将と同じ)です。
太子に成ると、王将がとられても負けになりません。
Q:王将が取られても勝負が続くのですか?
私:太子とは「皇太子」つまり王の後継者なので、王将が取られても
負けに成らず、勝負は続行となります。
Q:へー、それは知りませんでした。
ところで、プロ棋士と『朝倉将棋』で対局されたそうですが、どんな展開でしたか?
私:対局したのは私ではなく、県のTopアマで、毎年模擬対局を実施しています。
今年は島本プロ五段との対局で、県Topアマが「酔象」を駆使して「太子」作りが
確定した所でプロが投了し、アマが勝ちました。このように番狂わせが起こるのも魅力です。
Q:「朝倉将棋」なら私(光山アナ)でも藤井八冠に勝てますか?
私:藤井八冠がルールを熟知していなかったら可能性はあるかも?ですが
太子に成る前に決着がつきそうなので、まず無理でしょう(笑。
Q:今後の「朝倉将棋」の展開はどのように考えていますか?
私:先ほどのプロ棋士との対局の様に、面白いと感じて普及が進み
朝倉将棋の全国大会を福井の地でできればなあと考えています。
Q:東海地区の皆さんに何かありますか?
私:今年の9月に藤井八冠の師匠の杉本八段を迎えて朝倉将棋の公開対局を
予定していますので、興味のある方は福井を訪れて頂きたいですね。
連盟のHPや、私のアメブロ「理事長日記」でも紹介しています。
概ね、上のような内容で、最後の方は殆どアドリブでした・・・・。
(ちゃっかり宣伝してきました)
これで、少しでも全国に広がればね~。