年少で1年間通った保育園。
コロナ真っ只中で
大変な中
奇声も他害も多い娘を
預かってくれた事に
本当に感謝しています。
「この子、なんでベビーカーに
乗っているの?」
とか
「走れないの?」
とか
近づいて色々聞いてきて
くれる園児が何人かいて
素直でとても可愛かったし
おままごとに普通に
まぜてくれたり
素敵な子が本当に多い
保育園だったなと思います。
ただ、
この保育園にとっては
娘は少し重荷なのだろうな
とは感じていました。
娘が保育園で
バギーから落ちて
たんこぶを作って
鼻血だらけになった
洋服をかばんに入れて
お迎えの場に現れた事が
あったのだけれど
私は保育園に
何も言えませんでした。
こんなに大変な子だし
暴れたりするし
保育園を責める事は
できないと思ったのでした。
先生は本当に申し訳なさそう
にしていたし
これを機にもっと注意して
落ちないようにしてくださる
だろうと思っていました。
帰宅後に血だらけになった
服を洗って
洗面所に鉄のような
血の匂いが充満して
なんとも苦しい気持ちでした。
ところがその数ヶ月後
もう一度
バギーから落ちたのでした。
また鼻血を出し
左頬が赤くなり
傷が出来ていました。
その時は
近くに先生も誰もおらず
どのように落ちたのか
わからないと。
バギーのベルトはしっかり
止めていたのだと主張され
ました。
娘は自分でベルトを外せないし
私といる時に沢山暴れても、
バギーから落ちた事は
ありません。
私は家に帰って泣きました。
保育園への怒りよりも
可哀想で仕方がなかった。
こんなに顔やおでこを打って
何か後遺症が残ったら
どうしよう。
娘は脳の手術をしており、
強い衝撃は危険です。
(保護帽はかぶっています)
手足も不自由で
受け身なんて取れないのに
こんなに高い所から落ちて
怖かっただろうな。
先生もお友達もいない場所に
バギーに乗ったまま
ひとりで置かれていたなんて。
それが日常だったのかな。
重い障害のある子を
みたことがなくても
保育園と私達とが
同じ方向を向いて頑張って
いけば
互いに何か得るものが
有るんじゃないか、
将来的には
重い障害のある子を
受け入れてくれる保育園が
ひとつでも増えるんじゃないか
と思っていました。
他にも色々重なり、
なにが正解なのか
分からなくなっていました。
そんな時、
以前通っていた
小規模保育園が、
保育園を新設したのでした。
私は娘を
転園させる事にしました。
園長先生も、担任の先生も
「その方がいいのかも
しれない」
と口を揃えて言ったのでした。
保育園最終日に
年長さんの子が
ハグをしてくれて
ひとりの先生がさようならを
言いに追いかけてくれて
転園後に
クラスメイトのひとりが
お手紙をくれて。
(大切にアルバムに貼っています)
それがこの保育園での
最後になりました。