私が、今の仕事、住まいの町医者をしていることは、20代の頃
には考えられませんでした。

東京の下町、葛飾で生まれ、育ちました。

母から聞かされていたのは、母の父、祖父は、この地元で大工
の棟梁をやっていたことです。
ただ、大工の棟梁といういい方は決してしません。
工務店をやっていたと言います・・・。

私が、まだ幼いころに祖父は亡くなったので、思い出は、あまり
ありません。

でも、よく、この祖父の話しを母から聞かされて育ちました。

おまえが、おじいちゃんのように建築方面に行ってくれたらなと。

その頃は、意外や意外!素直だったのです??!

いざ台風が来たら、真っ先に建てた家にすっ飛んで行って、様子
を見てた。
わが子と同様に、建てた家を大事にしていたと。

ま、今でいう、住まいの町医者、住まいの掛かりつけの医者のよ
うな存在だったのですね。

それが母の自慢でした。

そんな環境で育ってきたものですから、いつの間にか感化され
てしまったようです。

大工は、工務店は、建てた家をわが子のようにいたわる、かわ
いがるのは、当たり前だと、今でも思っています。

子どもの頃の思い出から、ちょっとずつ住まいの町医者の歴史
をたどっていきます。
数回にわたって・・・。感謝

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