記憶がさだかではないが、私が初めて三島文学に接したのは「潮騒」だ。きっかけは山口百恵、三浦友和主演の東宝映画「潮騒」だ。映画公開が1975年4月26日なので、おそらくその前後に読んだと思う。私は中三になったばかりで巷では白のつなぎを着てサングラスをかけたお兄さんたちがかっこまーん♬とかテレビで歌っていた。ブルース・リーも流行っており、クラスではヌンチャクを振り回している悪ガキたちがいた。初三島である「潮騒」について私がどう感じたのかは全く覚えていない。

次の三島作品がおそらく「金閣寺」だ。1976年7月に篠田三郎主演のATG映画が封切られているので、おそらくその前あたり、5月か6月に読んでいると思う。三島の「金閣寺」を初めて読んだ時の感想は今でも覚えている。旧仮名づかいや旧漢字が難しかったのは、さほど苦痛ではなかったが、三島の「美」についての世界観に圧倒されて、ぼこぼこに打ちのめされた。何とか最後まで読み上げたが、全く歯が立たなかった。完敗したというものだ。当時はボクシングで輪島功一がぼこぼこにされながらも、何度も世界チャンピオンに返り咲いていた。彼のように再起を期していつか三島由紀夫を倒してやるという熱い思いを持ったことは今でも昨日のことのように思い出される。

 

ちなみに輪島功一は引退後西荻窪でジムを開いている。10年ほど前だろうか。井の頭公園を通っている玉川上水があるのだが、上水沿いの遊歩道で何度か輪島さんにお目にかかっている。彼は一人で、おそらくボランティアで遊歩道のゴミ拾いをしていた。会うたびに挨拶してくださる、大変気さくなおじいさんだった。今でもお元気なのだろうか。

 

初「金閣寺」で完敗した私だったが、それでも印象に残っている場面はある。それは戦中の場面でどもりの主人公が寺で唯一心を許せる親友と南禅寺を参拝した折、その個室で戦時中であるにもかかわらず美しく着飾った若い和装の女と、若い将校が対坐していた。主人公たちは離れた場所から覗いているので、二人の会話は聞こえないのだが、美しい女は何度かの会話の後に根負けしたのだろうか、恥じらいの表情を見せながら座を立った。しばらくのちに茶を入れた盆を抱えて女は戻ってくる。着座した女はおもむろに着物をはだけて片方のおっぱいをさらけ出し、それをつかんで薄茶の中に母乳を絞り出したのである。

そのような場面が三島の美しい文体で紡ぎだされているのである。思春期の真っただ中にあった私は圧倒されたのを覚えている。三島の紡ぎだした言葉の波は私の中で、その情景をまざまざと浮き上がらせたのである。それは他人の秘め事を実際にのぞき見しているような罪悪感を生じさせると同時に、何かしら偏向した愛の形態の、その美しさに心が震えるといった感覚が読みながら芽生えたのである。

 

 

今回久々に三島の「金閣寺」を読んだ。今では三島文学に完膚なきまでに叩きのめされることはないのだが、せいぜい読み手としては互角並みに戦えているといったところだろうか。南禅寺の場面でも今では冷静に読み通せるのだが、それでも十代のころに感じた感覚は新鮮に蘇ってくる。

 

 

「金閣寺」を読み返した理由は昨年上梓した平野啓一郎の「三島由紀夫論」のためだ。平野はこの文芸評論書の中で主に「仮面の告白」「金閣寺」「英霊の聲」「豊饒の海」を取り上げている。私はまずは「金閣寺」から始めた。したがって「序論」「あとがき」以外はまだ「金閣寺」についての評論しか読んでいないことは断っておく。そのうえでの私の感想だが、まるで大学の講義のテキストのようで、言葉は悪いが読んでいて面白くない。もちろんその内容は三島由紀夫研究の資料としては一級品であり、学術的な価値は非常に高いし、「金閣寺」に関しての三島由紀夫論について賛同できる部分は多い。例えば「絶対的」なものと「相対的」なものの対比から、「認識」と「行動」を説明することにより、作者である三島がどもりの主人公である溝口による「金閣寺」放火という行動に至らしめた経緯を平野は丁寧に解説した、ことなどだ。それは「絶対的」な「美」の顕現である観念の「金閣」の実相を「虚無」がその正体であるという「認識」に至らしめている。「認識」というものは相対的な生であり、そのことは金閣が「虚無」という美の構造でもって存在続けることである。放火の準備が整った段階で溝口は、この「認識」という概念にとらわれかけるが、最終的には「絶対」としての「美」である、「金閣」を選び、放火という「行動」に至った。このことは「絶対的」な「美」についての作者である三島の考え方が強く反映されている。そして「行動」を行った溝口は本来は「金閣」と共に滅びなければならないのではあるが、作者三島は彼に生きることを選ばせている。

 

 

「三島由紀夫論」は平たく言えば、平野啓一郎の亡き想い人に対しての恋文である。彼自身の小説が比較的読みやすい文体で書かれていることを思うと、平野の三島に対しての敬愛というものがこの文芸評論という形式をとった私小説の、読者に媚びようとしない文体に表れている。

 

文芸評論とはいわば感想文である。そういった意味からもこの「三島由紀夫論」というものは作者平野の個人的な感想を纏めたものである。(ただし平野は多くの資料を読み込んだうえでの感想を吐露している。)

 

 

読書というものは個人的な営みだ。そこには作者の考えよりは読み手側がどのように受け取るかということの比重が重い。同じ読み手でも歳月を重ねるごとに同じ作品についての感想は違ったものになってくる。

 

読書とは本来そう言ったものであり、ほかの人がどのように思おうが関係ないのではあるが、平野啓一郎のように三島を愛してやまない読者が二十年以上の長きにかけて書き手側として上梓した感想文は読み込むことのハードルが高い「金閣寺」を読むことの大きな参考書となるのではないだろうか。

 

それに加えて三島由紀夫や平野啓一郎といった賢い人が書いた本を読み込み、理解することができれば、自身も賢くなれたような思いにもなれ、気持ちがいい。

 

 

長々と長文を書いてしまったが、「金閣寺」や「三島由紀夫論」を語るにはまだまだ語り足りない。「金閣寺」は世界の文学史に残る作品だ。いわば二十数万年に及ぶサピエンス族が、その歴史の中で到達できた偉業の一つであるともいえる。読みこなすことが大変むづかしい作品ではあるが、平野の「三島由紀夫論」を片手に挑戦してみてはいかがだろうか。きっとその先に違った何かを感じ取ることができると思う。