1984年のアメリカ映画で主演はゴールディー・ホーン。

原題のProtocolとはアメリカ政府内の儀典局という意味。簡単なあらすじは、ホーン演じるナイトクラブ・サファリの従業員サニー・デイビスがひょんなことから米国訪問していたアラブのとある国の首長の暗殺を防ぎ、自身はおしりを狙撃されてしまう。一市民によるその勇敢な行動は全米で話題となり、サニー・デイビスは全米のアイドルとなる。

米国務省はその首長の国に基地建設を行う交渉をしており、首長の非公式な訪米は国務省にとって彼の国と条約を結ぶ絶好の機会だった。国務省はデイビスに近づき、連邦政府の接待係として首長の世話をするポジションをオファーする。場末のナイトクラブの従業員であるデイビスにとっては夢のようなオファーである。何も考えずにそのオファーを受けて首長の滞在中の接待を行う。

デイビスは首長を自身が務めていたナイトクラブ・サファリへ案内し、そこで乱痴気騒ぎを起こし、その様子はメディアを通じて全米に流されてしまう。その責任を取らせる形で国務省はデイビスに首長にアテンドして、その帰国まで世話をするように要請する。その要請を承諾して、中近東の彼の国を訪問したデイビスだが、宮殿に向かう途中に砂漠の岩山に首長とデイビスのとても大きな肖像画を見つけてしまう。

 

首長の訪米の目的は第二夫人を見つけることであり、基地建設の確約のために米国務省はサニー・デイビスを、本人の承諾を得ずに首長に差し出したのである。デイビスははめられたことに気付いて憤慨する。彼の国でもアメリカ人との結婚に反対する過激派がクーデターを起こし、デイビスの訪問は大きな国際問題となった。

 

帰国したデイビスを待ち受けていたのは米国議会の公聴会での証人喚問だった。議長はデイビスに、責任の所在を明確にするために米政府の誰が彼女に対してこの花嫁候補の接待係を命じたのかを質問するがデイビスは答えない。その代り彼女はすべての責任は彼女自身にあると答える。そしてまた、このような事態に彼女を陥らせたことに関してとても感謝していると回答した。

続けて彼女は言う。「私は今まで一度も選挙に行ったことがなかった。それどころか、憲法や独立宣言さへ読んだことがなかった。しかし、政府の仕事にかかわることにより、政治がどのように遂行されているのかを知った。憲法は国民一人一人のためにあるものであるにもかかわらず、憲法を尊寿すべき政府や議会はそのことを忘れてしまっている。私は憲法で守られるべき国民の一人であるにもかかわらず、アメリカ政府に騙された。それは政治に無関心で、何かあっても政府に対して声を上げようとしなかったためだ。私はそのすべての責任は私自身にあると思う。しかし今後は鷹が獲物を探すようにしっかりとあなたたちを監視していく」

 

デイビスは2年後の選挙で上院議員に当選する。

 

典型的な古き良き時代のベタなアメリカン・コメディだ。ナイトクラブ・サファリでのアメリカ映画の典型的な乱闘の場面ではアラブ人たちがアラビアンナイトの盗賊のように歯幅が広いナイフを持ち出して暴れたり、商社マンか、メディアか、外務省の人間かわからないがスーツにタイの日本人が大声で乾杯したり騒ぎまわったりもしている。今の価値観ではポリコレのコードに引っかかるかもしれないが、アメリカ政府内も茶化した内容なので、不快感を感じることはなかった。

 

ホーン演じるサニー・デイビスはその言葉によって憲法に記載された国民の権利を主張した。それと同時に個人の責任も明確にした。1984年時点ではこのことはアメリカ国民に限らず日本人や西側諸国の普遍的な認識だった。

 

これ以降、90年代からソ連の崩壊に伴い小国の乱立と、発展途上国の国々が、責任、国際法を尊寿するという責任をあえて無視して、自分勝手な権利を主張する時代になり、アメリカ国内は二分され、国連は機能せず、国際秩序が崩壊の危機に瀕しているのが現状だ。

 

日本においても全く同じ。国民一人一人の権利は憲法で守られている。しかしながらマジョリティーの権利はマイノリティーの権利のために犠牲になることが常識のように国会でも行政でもメディアでも扱われている。

 

私たち一人一人は日本国憲法をしっかりと読み込むべきだろう。

 

アメリカ万歳~Protocolは典型的なアメリカのおバカなコメディー映画だ。それであるにもかかわらず、今、見返してみると、現代社会の変わりように考えさせられるものが多い。私たちは進むべき道を歩んでこれたのだろうか?

 

頭でっかちのイデオロギーはもうたくさんだ。

心からニッポン万歳と胸を張って言える日が早く来ることを望みたい。

 

 

残念ながらこの映画は配信では見られないようだ。TSUTAYA DISCASにはDVDを置いている。ゴールディー・ホーンの作品が、配信であまり見られないのは非常に残念に思う。