週末は長崎港出島岸壁に最新の潜水艦たいげい型2号艦はくげいが来航した。

金曜日には歓迎式典が行われ、土日には一般見学(甲板への乗艦のみ)も行われた。

 

私は金曜日の歓迎式典を見学した。

第一印象は想像していたほど大きくはないということだ。昨年イージス艦こんごうを見学した際は遠目からも黒灰色に輝く巨大な艦体に圧倒されたが、はくげいにはそれほどの圧迫感を感じることはなかった。水面からは艦体の四分の一ほどしかその雄姿を露呈していないことがその大きな理由だろうか。

 

はくげい 長崎

 

歓迎式典では活水女子中高等学校のブラスバンド部が演奏を行った。何曲か演奏したが、圧巻はプッチーニのトゥーランドットだ。彼女たちの演奏が想像以上に素晴らしかったのは印象的だ。またその演奏の際、自衛官たちが背筋を伸ばして整列していたのだが、彼らの白い制帽に柔らかな陽光が反射して、日常では見られない精錬された光景であったのが特に心に残った。

 

長崎 活水女子中高等学校

活水の生徒の演奏は見事

 

きりっと整列した自衛官

 

安全保障を語ることはまだまだタブー視されている。

憲法改正を強力に推進していた安倍晋三元総理の暗殺は一個人の犯行とされているが、常識的に考えて大きな疑問が残る。しかしそのことを語ることもタブー視されているのが現状だ。被疑者の裁判は行われたのだろうか?

 

日本を取り囲む現状は非常に厳しい。台湾を除けば、日本を潜在的敵国と設定している国ばかりだ。それに加えて、日本の各都市はそれらの国々から核弾頭の標的とされている。

 

平和を希求することは世界中の多くの人々の願いである。歴史的および現状を考えると平和とは軍事バランスの均衡によってしか達成されていない。

 

たいげいの雄姿

 

極東地域においての軍事バランスの均衡を達成することは日本一国では不可能なのが現実だ。有事の際に日本と共動する同盟の強化が必要だ。

 

同盟の強化のためには外交力の強化、有事を想定した法の整備が必要となってくる。すでに岸田文雄内閣はこの方向に舵を切っていると想定されるが、私たち国民は理解できているであろうか?

 

本来ならばこのような重大な課題は国会で十分に議論して国民に認知させるべき事項である。しかし、野党は党利党略のために絶対悪の岸田自民党のパーティー券裏金問題に集中し、いつものごとく予算案を十分な審議もせずに通してしまった。

 

 

パーティー券裏金問題は現行の法整備(ザル法)にその本質が帰結し、与野党を問わず、共通の問題を抱えているので、徹底した法の改正論議を行うべき案件なのだが、野党やメディアは自民党旧安倍派たたきにのみに終始している状況だ。それにはもちろん理由がある。

 

外国人パーティー券購入などを残したい勢力がその理由の一つであることは間違いないが、一番の理由は経済安全保障法案、特にセキュリティークリアランスであろう。

 

セキュリティークリアランスの実施については不可避であるので、何とか抜け道を多くこしらえてザル法化することを目論んでいると思われる。もちろん岸田文雄による憲法改正を阻止、少なくとも遅延化させることもその一つだ。

 

安倍晋三の憲法改正絶対阻止のために、数年にわたって森友・加計・桜を見る会などの問題に議論を集中させて国会を空転させたことを再び行おうとしているものだ。

 

 

日本が今後も平和な国であるためには同盟力の強化であることが現実的な選択肢だ。メディアも与野党問わず個々の議員たちの多くもそのような理解でいると思う。日本がアジアの自由主義経済圏

 

日本、イギリス、イタリアで共同開発を行う次期戦闘機について第三国への輸出を可能にすることが閣議決定された。この決定事項について個人的には賛成するが、これは戦後の国の在り方を根本的に変えていこうとするものであり、本来なら閣議決定の前に国会内で十分に議論し、国民への理解を求めるべきものではなかったのだろうか。

 

国会が機能していない、かつ、自由主義社会の一員としての役割を鑑みた場合、このような手法はやむを得ないのではあるが、今後同じようなことが繰り返された場合、民意による歯止めが機能するか疑問が残る。戦前の昭和日本では大政翼賛会による国会機能の事実上の停止、矜持なきメディアの軍への従属と国民扇動、そして国民の同調圧力により対米戦争へと突き進んでいった。

 

 

令和の日本でも似たような状況を私たちは体験した。コロナ禍だ。日本においての罹患者は比較的統計が信頼できる欧米諸国のものと比較して、ゼロの数が一つか二つ少ない数字で、死亡者についていえば従来のインフルエンザによる死亡者数との大きな違いがなかった。WHOの指針により死亡時のPCR検査で陽性となれば、どのような死因であれ、コロナ禍による死者とカウントされたため、COVID-19が原因の死亡者数の実態はわからない。人に依れば、半数だとか三割くらいという意見もあった。そのような中で不要不急の外出の自粛、夜間の飲食店営業の自粛要請などが行われた。当初から市販のマスクはCOVID-19のウイルス防止のための効果がないと言われていたが、同調圧力によりマスク着用は強制された。モデルナやファイザーのワクチンが感染防止に効果を発揮したのは事実だ。RNA型のワクチンの副反応が報道されることはあったが、また政府の指針ではその接種は個人の自由意志とされたが、実際は同調圧力により接種は半ば義務化された。

 

コロナ化はもはや過去の出来事であり、政治もマスメディアも、国内の対応が適切であったかどうかの振り返りを行っていない。少なくない人たちが、疑問を呈した、日本に果たしてコロナ禍といわれるほどのパンデミックが起こったのかどうかの検証はされないまま忘却の海へと消えていった。しかしオリンピックを無観客試合で行う必要はあったのだろうか?東京の半年後に行われた北京オリンピックは有観客で行われた事実は私たちは忘れるべきではないだろう。

 

 

戦前の昭和では女性参政権こそなかったが、一般男性による普通選挙は行われていた。民主的な議会は運営されていたにもかかわらず、議員、メディア等は軍部の圧力に屈したのである。果たして令和の現在、代議士や参議はそれぞれの政治的理念で行動しているのだろうか?メディアはそれぞれの自由意思で報道しているのだろうか?

 

総選挙が近いという状況だ。早ければ今月、または6月に、遅くとも年内に総選挙は行われるだろう。世論調査によると、次の総理候補として、1位は石破茂、2位は小泉進次郎、3位は河野太郎、続いて上川陽子、高市早苗、岸田文雄となっているようだ。この結果からうかがえることは総理候補の世論調査は単に人気・知名度調査にすぎないということだ。かりに小池百合子が国政復帰をすればダントツ1位ではないだろうか?

 

 

一般的に言われているのは有権者の6割は浮動票ということだ。浮動票は風が吹けば維新や立件に流れ風が吹かなければなんとなく自民党となるという、有権者をバカにした考え方だ。かつて反自民の風が吹き荒れて私たちは民主党に政権運営と日本の政治を変えることを託したのだが、その期待は完膚なきまでに叩きのめされた。

 

次の総選挙は私にとって長崎で初めての投票となる。私は支持政党なしの浮動票だ。投票に当たっては候補者を吟味するつもりであるが、今回は初めて白票を投じることも選択肢として考えている。投票しないことは選挙結果に対しての信認を意味する。しかし、白票ということは立候補者に該当者なしを意味する。浮動票の半分、有権者の3割が白票を投じれば、政治不信というものが具体的な数値で示されることになる。自民党の得票率が3割程度だ。白票が自民党と同程度であれば、国政改革の必要性に議員一人一人が目覚めるのではないだろうか。