11月11日と12日に丸山華まつりが行われた。長崎の花街、丸山にある梅園天満宮の例大祭だ。華まつりとしては今回が23回目で歴史は浅い。

 

11日は長崎検番の芸妓たちによる踊り奉納が天満宮の拝殿で行われた。一般的に神社の例大祭で行われる笙、篳篥、鼓などの雅楽器と巫女舞という厳かな雰囲気の奉納舞もいいが、三味線、小唄に合わせた芸妓の踊り奉納は粋で華やかさもあり新鮮でよかった。

 

すず華姐さんと茶々丸姐さん

 

 

地方はるり羽姐さん

 

12日は女神輿巡行と花魁道中が行われた。梅園天満宮を出発して浜町から中通り商店街を抜け眼鏡橋に至るルートだ。花魁役はタナカハルミ、長崎を中心に活躍しているシンガー、タレントだ。彼女の凛とした佇まいがとても素敵だった。

 

長崎では徒歩や電車で回れる、大体30分以内の範囲で、このようなイベントに行けるので便利だ。そして東京などのイベントと比べると人出はそこそこで混雑していないので、間近で十分にイベントを楽しむことができる。

 

女神輿、笑顔が素敵だ

 

花魁道中

 

遊郭があった花街丸山では、江戸時代遊女たちが琴や三味線などの演奏をして客をもてなしていた。江戸も中期になると芸妓衆(げいこし)が現れ、座でおもてなしを行うようになり長崎花柳界の基礎が築かれた。

 

明治に入り芸妓衆は検番組織を確立し、長崎花柳界は発展していった。昭和の初期には最盛期を迎え、長崎市内では6軒の検番に数百名もの芸妓が在籍していた。戦後、検番は2軒になり、芸妓は100名在籍していたが、その後、長崎花柳界は衰退する一方で、昭和50年には置屋が廃止され、現在の長崎検番という事業形態となる。現在、芸妓は13名在籍している。踊りの立方(たちかた)が8名で、演奏の地方(じかた)が5名だ。

 

 

 

 

艶やかなすず華姐さんの舞、どことなく広末っぽい

 

花柳界は料亭文化と共にある。料亭文化とは、いわば接待文化だ。長崎でそれを支えていたのが、江戸時代は諸藩の貿易に携わる人たちであり、明治以降はそれが企業に代わった。バブル期までは企業は節税のため接待をよく行い、料亭文化を支えていた。それが可能だったのは企業や銀行同士の株の持ち合いによる安定株主を確保できていたからである。

 

バブル崩壊以降、企業や銀行は不良債権処理のために株を手放すことになる。そこに目を付けた(最初から目論んでいた?)のが国際金融資本だ。同時に企業は株主のものだという概念が市場に広がり、企業は株主の利益確保を優先させるために、経費削減し、利益を増やして株価を上げることに専念した。

 

このことが企業の接待文化の縮小となった。それに加えてバブル期以降、日本の食文化が多様化していったことも料亭のおもてなし文化の衰退を齎した。ワイン文化の浸透によりフレンチ、イタリアンの敷居が低くなり、企業の接待も多様化の時代になったのである。

 

平成に入ってから日本各地で料亭の廃業が相次いだ。長崎も多くの料亭が廃業した。

 

 

1988年J-WAVEが開局した。この局の特徴は演歌や歌謡曲は流さず、海外のポップスや、それと同等の曲調の和製ポップスを流したことだ。J-WAVEで流している和製ポップスは、それ以降Jポップと呼ばれた。Jポップは、CDの普及とともに市場を席巻し、音楽市場は拡大していったが、演歌・歌謡曲は市場拡大の波に乗れず衰退していき、じいさん、ばあさんが聞くだけのジャンルとなっていった。芸妓たちがお座敷で披露する小唄や民謡も、息を吹きかければ埃が舞うような、なんとなく古臭い遺跡のような存在と若い人たちに捉えられていった。

 

このようにして芸妓たちとのお座敷遊びといった文化は静かに衰退していった。

 

しかし、まだ絶滅はしていない。厳しいけいこがあるので後継者不足といった現実はあるが、それでも若い娘たちの関心が全くなくなってしまったわけではない。

 

梅園天満宮拝殿 緑の垂れが鮮やか

 

問題は市場が縮小してしまったことにあるのだろう。それに伴って芸妓たちがなかなか稼げなくなっていることが一番の問題だろう。昔のように旦那に養ってもらうような時代でもなくなった。東京や京都では市場拡大のために様々な試みがなされているが、まだまだ値段の面で利用者にとって敷居が高い。もっとカジュアルに舞妓と一緒に遊べる施設が花柳界入門の市場として必要だと思う。

 

長崎の芸妓さんたちが伝統に胡坐をかいているわけではない。今回の華まつりの踊り奉納だけでなく、グラバー園のイベントなどにも参加して、その存在を積極的にアピールしている。

 

右端は梅喜久姐さん グラバー園でのイベントより

 

私にとっては今回の踊り奉納、女神輿、花魁道中など面白いイベントだった。しかし観光客の認知度は低かったと思う。見物客のほとんどは地元の人たちばかりだった。アルゼンチンやドイツから来た人たちがいたが、長崎在住の人たちだったようだ。イベント自体は心に響くものがあった。江戸時代から受け継がれてきた伝統と文化の生き証人である長崎の芸妓さんたちがもっと観光の目玉となるように、地元の人間が盛り上げていく必要があるのだろう。

 

眼鏡橋にて