私が子供だった60年代から70年代にも多くの問題があった。例えばヴェトナム戦争、共産主義を基盤とした労働運動や学生運動、および過激派によるテロ活動、公害問題、オイルショック等。そういった中でも社会全般は前向きで明るかったと思う。今日より素晴らしい明日が来ると人々は信じて生きていたからだ。

 

上を向いて歩こうは坂本九が歌った60年代にヒットした曲だ。この日本語の曲はビルボードで全米一位という偉業を達成した。作詞永六輔、作曲中村八大。今聞くと古臭さは否めないが、人が本来持っている夢や希望といったものが自ずから喚起される良い曲だ。人口が増え経済が拡大していった高度経済期を代表する一曲といっていいだろう。

Bing DALL-E3による作成

 

プロンプトには学生運動としたが、女子学生が前面に出ているのはDALL-E3の好みか?

 

プロンプトにはヘドロの海に浮かぶキューピー人形で、公害による悲惨さを表現したかったが、作成されたのはどう見てもヘドロの海で遊んでいるキューピー人形だ。これはこれでシュールで面白い。

 

翻って令和の現在、人々は上を向いて歩くことを忘れてしまったかのようだ。私たちが直面している問題を昭和の時代のそれと比較しても、さほど差はない。中国の台頭は脅威なのは事実だが、60年代にはソ連を背景にした赤化革命の脅威に世界はさらされていた。

 

現在の日本において私たちが上を向いて歩けないことの唯一の原因は人口減少問題だ。これは日本だけの問題ではないのだが、ひとたび視点を地球儀規模に移すと人口増加、2050年には人口100億人(現在はおおよそ70億人)が潜在的な問題である。現在のところ100億人を満足させる食料供給の問題解決の解は見つかっていない。

 

エルサレム、嘆きの壁

エルサレムの嘆きの壁。これは思惑通りの完成度

 

国際社会では人口抑制というものが課題である。日本の人口減少は、様々な原因が考えられ、簡単に解決できる問題ではないのだが、地球儀規模でみると人口抑制といったベクトルに沿ったものであり、悲嘆すべき課題ではない。

 

とはいっても少子高齢化による経済活動の落ち込みは、私たち日本人に明るい未来を望めないといった絶望感を齎し、上を向いて歩くことをためらわせている。それは現在の社会構造がそのまま続くと考えているから将来の展望が開けないのだ。しかし昨今のAI技術の驚くべき進化に目を向けて欲しい。

 

宇宙を進む宇宙戦艦ヤマトとしたがやはりヤマトそのものは作成されていない。どちらかといえばスターウォーズの帝国軍の戦艦か?ちなみに赤毛の女の子はDALL-E3が勝手に作ったもの。宇宙戦艦ヤマトなので森雪をイメージしたのだろうか。

 

こちらは宇宙海賊コブラのアーマロイドレディーをイメージして作成。そのものずばりではないが、これはこれでセクシーで雰囲気出ている。

 

現時点でだれもがイラストや絵、音楽を作ることができる。まだこちらが意図したそのものずばりではないが、妥協できる品質のものは作成可能だ。それに加えて文章も書けるし、調べ物も人がやるよりは精度よく迅速に行ってくれる。2~3年以内には質の高い動画も作成可能となるだろう。そうすれば自分好みの映画を作ることも可能だ。

 

何もエンタメに限ったことではなく、ビジネス面でも情報収集から企画書づくり、製品設計の最適化プロジェクトの運営管理や、生産における在庫管理、受発注管理、生産から出荷まですべてAIによる管理で精度よく効果的に運営されていく。

 

故松本零士尊師へのオマージュ。もっと切れ長の目と心持ち薄い唇を指示したが、これが限界。でも雰囲気は出ている。

同じプロンプトの別バージョン

黒髪から金髪に変更。白黒での撮影はDALL-E3の選択

 

これらのことを考えると、AI活用により人手不足は解消される。そうはいっても生鮮食品などを取り扱うスーパーは必要だと思うかもしれない。そうかもしれないが、現在の流通システムでは生産者から消費者までの間には多くの中間業者が介在している。情報化社会において中間業者のあり方自体が見直されるべきだろう。

 

私たち人間の社会活動というものは情報をいかに活用していくかということが基本となっている。それは縄文時代から変わることはない。現在情報のデジタル化が進み、その管理においてはますますAIが活用され、私たちの社会は効率よく、精度の高いものとなっていく。少子化自体は将来については、ヴィジョンをしっかりと持てているならば、さほど問題ではない。

 

これもそのものずばりとはいかなかったが、銀河鉄道999が実写化されたらメーテルはこのような女性なのかもしれないと納得。

 

そうはいっても人口減少による市場の縮小で国力が弱まるといった考え方もある。それは間違ってはいない。が、あくまでも現在の社会システム、貨幣経済というものを基盤とした場合は、である。

 

私たちの社会は、個々人が社会の役割の中で相応の分担をして、その対価を報酬として受け取ることにより成り立っている。現在貨幣というものがその報酬の媒体である。しかし振り返ってみて欲しい、織田信長は家臣である豊臣秀吉や、徳川家康に年俸10億円を支払っていただろうか?領地を与え、そこの施政権を認めただけである。たまには戦功によって希少な茶器などを報酬として与えたが、貨幣を与えたことはないだろう。

 

日本の風景はまだまだ改善の余地がある。袈裟を着た僧侶が神社に参拝とは

 

本当は社殿の前で舞う巫女さんを作成したかったが、どうも紅葉、神社、巫女、舞うではコンプラに反するらしく、巫女ではなく女の子とした。BingかOpen AIの規定か知らないが、巫女さんの舞はエロいと判断されたのだろうか?

 

経済というものを広義でとらえて社会の役割分担に対しての報酬をどのように公平に分配するかと考えるならば、AIによって極度に進化した情報社会において貨幣の役割といったものは、何か別の概念に代わっていくのではないだろうか?少なくとも日本円やユーロ、英ポンド、米ドルというように国自体で発行する通貨というものはAI管理社会においては非効率なものとなる。

 

効率的な報酬システムを構築してその中にAIが担う経済活動も組み込んでいけば、人口減少による市場の縮小分をAIの経済活動でカバーできるし、それ以上に市場を拡大していくことも可能だ。AIのコンピューティングには電力の消費が伴う。また精度の高い情報を入手するために、何らかの費用も発生するだろう。またAIのコンピューティングに対して報酬を与え、報酬獲得をAIの命題とするならば、AIは十分に経済活動を行うはずだ。


日本の風景にはまだまだ違和感が残る

 

このように昨今のAIの極端な進化を鑑みるにAIを単なるツールとして考えるのでなく、私たち人類のパートナーとして考えるならば、近未来の展望というものに多くの選択肢が生まれ、今日よりましな明日を夢見ることができるのではないだろうか。

 

AI社会は、現在の国民国家という概念も崩壊させることになりかねない側面もあるが、それはまた別の機会に。

 

昨今のニュースを見ていると私たち日本人が本来持っている美学、真善美の中の美しい生き方を見失っているものばかりだ。そのような人の荒探しとか、自分勝手な金儲けのことしか考えていない人たちや組織を私たちは切り捨て、しっかりと上を向いてより良き明日のために歩いていきたい。