ひとつ前のブログで70年代から80年代にかけての資生堂のCMについて書いた。この時代にやはり忘れてはならない人がいる。この時代アジア人として初めてトップモデルと認められた山口小夜子である。

1972年から80年代半ばまでトップモデルとして世界中で活躍した。80年代半ばから90年代にかけてスーパーモデルと呼ばれる人たち、イネス、リンダ・エヴァンジェリスタ、クラウディア・シファー、ナオミ・キャンベルなどが活躍したが山口は彼女らに先駆けてモデル界に君臨したミューズであった。

山口のおかっぱでストレートな黒髪に切れ長の瞳は当時のファッション界においては異質のものであり、オーディションに何度も落ちているのであるが、山本寛斎に見いだされ72年にパリコレに出演している。彼女のエキゾチックな容貌は世界中のファッション業界から受け入れられたのである。世界的に保守的な考え方から何か新しい個性的なものが求められていた時代にマッチしたのである。

60年代後半社会主義者により先導された労働運動が世界中で盛んであった。パリにおいても68年に5月革命が行われシャルル・ド・ゴール政権にダメージを与えて翌年に辞任させている。またアメリカにおいては泥沼化していくヴェトナム戦争に対し嫌戦気分が蔓延していた時代である。ナパーム弾による村落の焼打ちや枯葉剤などの化学兵器による大量殺人などの実態がテレビなどを通じて報道されたのである。そのような既存の勢力に対して多くの人たちがNOと力強く叫んでいた時代であった。ファッション業界においても同様であり、カルダンやサン・ローランといった既存のデザインに対して何か新しい風を吹き込む存在として山本寛斎、三宅一生、高田賢三など日本人デザイナーが受け入れられたのである。その時に現れたのが切れ長の黒い瞳にこけしドールを連想させる、少女のような容姿を持った山口小夜子であった。74年にはニューズ・ウィーク誌において山口は世界のトップモデル4人に選出されている。

そのような山口の活躍に注目したのが資生堂である。それまでは外人やハーフのモデルを広告に起用していたのであるが73年に専属モデルとして起用し、日本女性の美をテーマにして大々的に広告を打ったのである。彼女の起用は86年まで続いた。どれも個性的で白人女性にはない、東洋的な神秘さを漂わせるものであった。そのテーマも世界的に受け入れられ77年には山口をモデルにしたマネキンがパリでもニューヨークでもロンドンでも見られることになったのである。

山口の成功は彼女自身の揺るぎのない日本の文化や美に対しての信念にあることはもちろんであるが、世界が何か新しい波を求めていた時代であったのは大きな理由として挙げられるだろう。その波に、高田賢三や小篠順子などの日本人デザイナーが上手く乗ることが出来て彼らにより起用された山口が世界的に認められたのであろう。また世界のトップブランドである資生堂の存在も彼女の成功へ大いに貢献している。そしてもう一つ大きな理由としては日本という国や日本人自身が世界をリードしていくという気概を持っていたことである(政治とマスコミは除く)。日本人自身が世界で成功することに対して自信を持っていたのである。いつの時代においても山口や、三宅、川久保玲と同程度の才能を持った人はいるであろう。彼や彼女らが成功するためには時代のニーズにマッチすることはもちろんだが社会がその成功を支えて行くことも重要である。最近のことを愚痴ることはあまりしたくないのであるが最近は政治やメディアに限らず日本をディスることが多すぎるのではないだろうか。そのような環境下では才能ある人がその才能を伸ばして成功に結び付けることは難しいということを社会は認識すべきだと考える。

トップモデルとしての一線を退いた後、山口は演じることや、舞踏の世界でも活躍し、DJもやったり、数多くのイベントの舞台にも立ち、その肉体で表現することをその死の間際まで続けた。

服は身体を保護するもので、身体はこころの真の衣服、心は体を着ていると山口は言う。着替えることが出来ない身体であるからこそ大切にしていきたい。またその身体を包む衣服も多くの物、人、水、鉱物、植物など様々な自然の摂理を含んだたくさんの命からなるという。それ故に、ほかに対しても目を向けて欲しいという。自分中心になるのではなく少しでもほかの人や物へ考えを向けることがかっこいいことであり、幸せへの第1歩となる。そしてそのことがファッションだと山口は考えた。

この様に多くの新しい風を日本のみならず世界へもたらし、こよなく日本を愛した山口であったが2007年8月に57歳でその生涯を閉じた。日本史を見ても北条政子、細川珠子(ガラシャ)と並んで信念を持ったカッコいい女であったのではないだろうか。

いつもは私の写真しかブログに乗せないのだが今回は山口小夜子の写真を載せたかったので「山口小夜子未来を着る人」から写真を拝借したことは断っておきたい