(「第41章 平成26年 WILLER EXPRESSの「リラックスワイド」で金沢へ」の続きです)
前夜に新宿を発った「WILLER EXPRESS」で金沢まで来て、市内の病院で療養している母を訪ねた僕は、午後4時過ぎに金沢駅に戻ってきた。
どんよりとした曇り空だったが、時折驟雨に見舞われたり、かと思うといきなり強い日光が差し込んできたり、金沢の街は湿気が強く、路面から水蒸気が立ち昇っていた。
これから、名古屋経由で東京へ帰ろうと思う。
金沢から名古屋へ向かう方法は幾つかある。
最もオーソドックスなのは、米原経由で北陸本線と東海道本線を走る特急列車「しらさぎ」であろう。
または、米原で東海道新幹線に乗り換えるという手もある。
富山に出て、高山本線を走破する特急「ひだ」に乗るのも、のんびりしているが楽しそうである。
僕は高速バスを選んだ。
16時40分に金沢駅東口を発車する「北陸道昼特急名古屋」号、金沢から北陸自動車道を西進し、米原JCTで名神高速に乗り換えて名古屋へ向かう路線である。JR東海バスと西日本JRバスの共同運行で、運行本数は夕方の1往復だけである。
金沢と名古屋を結ぶ高速バスは、昭和62年から同じ経路で1日10往復運行されている老舗の「北陸道特急バス」(名鉄・北陸鉄道・JR東海・西日本JRバス)が知られているが、「北陸道昼特急名古屋」号は全くの別扱いで、前者が片道4060円、後者が片道4410円と運賃も異なれば、共通の乗車券や往復割引の適応もない。
割高なのは、「北陸道特急バス」が横4列シートであるのに対して、「北陸道昼特急名古屋」号が横3列独立シートだからであろう。
この違いは、「北陸道昼特急名古屋」号が、僕が年末に利用した夜行高速バス「北陸ドリーム名古屋」号の折り返し運用だからである。
「北陸ドリーム名古屋」号は、名古屋を発って東海北陸自動車道を走破し、富山・高岡・砺波を経て金沢に至る夜行高速バスだ。
その車両と運転手が午後まで休養をとり、夕方に金沢から名古屋まで戻る。
「昼特急」という愛称は、東京と関西を結ぶ夜行高速バス「ドリーム」号の間合い運用として、平成13年に登場した「東海道昼特急大阪」号が嚆矢である。
新幹線が2時間半で結ぶ区間を7~8時間かけて走る昼行高速バスに誰が乗るのかと思われたらしいが、大変な人気路線となり、「日経優秀商品賞」にも選ばれたという。
以後、「中央道昼特急大阪」号(新宿ー大阪)や、「山陽道昼特急広島」号(大阪ー広島)、「山陽道昼特急博多」号(大阪ー博多)、「北陸道昼特急大阪」号(大阪ー金沢・富山)などの後発路線が次々と登場し、「北陸道昼特急名古屋」号も、平成22年に運行を開始したのである。
いずれも、かつては考えられなかったほどの長距離・長時間を日中に走るバス路線だった。
幹線鉄道、特に新幹線と平行する区間では、所要時間や定時性に劣る高速バスは、渋滞が少なく、眠っていてさほど所要時間の長さを感じさせない夜行でしか勝負できないとされていたものだが、これも時代の変化なのであろうか。
時間を気にせず、のんびりとバスに揺られていくという需要の増加は、価値観の変化なのか、安さに惹かれるデフレ時代の産物なのか。
「北陸道昼特急名古屋」号は夜行便と経路が全く異なり、北陸側の乗降は金沢市内のみで、富山も高岡も通らない。
夜行便が日中に折り返す運用は「昼特急」をはじめ他にも見られるが、ここまで経路を変えている路線は珍しい。
高速道路区間の距離だけで言えば、金沢西ICから名古屋西方の一宮ICまで、米原経由で222km、東海北陸道経由で220kmと、ほとんど変わらない。
後者の方が、片側暫定1車線の対面通行区間が多く、日本の高速道路最高地点を通るだけあって、勾配もきつく、速度や燃費の点から走りにくいことは容易に察せられる。
「北陸道昼特急名古屋」号は、金沢駅前に咲く桜並木を背景に、颯爽と乗り場に現れた。
金沢駅から乗車したのは数人ほどで、城下町らしく曲がりくねった通りを、自動車の波に揉まれるように走りながら、武蔵が辻、香林坊、片町と繁華街の停留所に寄って、20人ほどの乗客とともに名古屋を目指すことになる。
同じ区間を走る「北陸道特急バス」は人気路線と聞いていたので、日曜日の午後の上り便としては客が少ない印象であるが、やはり割高であることが原因だろうか。
その代わり、こちらは横3列独立シートで、隣りを気にせずゆったりとくつろぐことができる。
しかも、僕はこのバスに正規運賃より大幅に安い2980円で乗っているのだ。
JRバスの予約サイト「高速バスネット」の早割のおかげである。
後ろに座ったおじさんがくつろぎ過ぎて、足を僕の席のせもたれに押しつけるように組んでいるので、リクライニングするのが憚られたのがちょっぴり残念だった。
この日の客は全員が1人旅らしく、言葉を発する人は誰もおらず、音楽を聴いたり、本を読んだり、居眠りしたり、それぞれ自分だけの時間を過ごしている。
エンジンの音だけが低く耳を打ち、時の歩みが止まったかのような黄昏時を走る高速バスだった。
金沢西ICから高架のハイウェイに駆け上がると、左手後方に金沢の街並みが過ぎ去っていく。
背景の白山山系の山々は、まだ、うっすらとまばらな雪を残している。
強い西日が射し込んでくるから、右側の席の客はみんなカーテンを閉め切っていて、松任から小松にかけての海岸線を走る区間で日本海を眺めることができないのが惜しまれた。
小松空港への着陸態勢に入った飛行機が、雲の下をゆっくりと高度を下げていく。
このような天候では、機内はガタガタ揺られているだろうな、と思う。
こちらは至ってのんびり旅である。
僕が座る左側中程の6A席から眺める、未だ冬の気配を色濃く残す山並みと、陽の光に黄金色に輝く田園地帯は、単調だが、優しく心を癒してくれる。
思えば、この区間を走る高速バスの車窓では、いつも海にばかり気を取られていて、内陸側をじっくりと眺めたことはなかったかもしれない。
金沢から北陸自動車道で米原に出て、名神高速で名古屋へ向かうというコースは懐かしい。
昭和の終わりが近づいた頃、現在ほど高速バスが発達していなかった時代に、東京から4列シートの旧型車だった「ドリーム」号で名古屋に出て、開業したばかりの金沢行き「北陸道特急バス」に乗り継いだことがある。
僕にとって、高速バスの魅力に取り憑かれ始めた黎明期で、初体験のハイウェイを走るだけでワクワクした記憶が鮮明である。
あれから30年近い時が流れたのかと思う。
僕らの国や、東京と名古屋、金沢、そして僕自身を流れ過ぎて行った歳月のことを思うと、粛然とする。
行く手の空が真っ黒な雲に覆われ始め、県境を越えると、福井の野山は無数の水滴で窓がかすむ激しい雨降りの中にあった。
川沿いに並ぶ桜の木立ちが、枝を垂れて雨に打たれている。
金沢の桜前線は、東京と大きくずれている感じはなく、この雨で北陸の今年の桜も終わりかな、と思う。
雨脚が少し弱くなった南条SAで10分ほどの休憩をとり、再び走り出して間もなく、それまで滞りがなかった車の流れが滞り始めた。
窓際とは言え真ん中の席で、前方や右側がよく見えないから状況がつかみにくいが、フロントガラスの向こうでブレーキランプが幾つもきらめき、バスもぐいぐいと減速していく。
間もなくバスは完全に止まってしまった。
「この先、工事のため渋滞が出ております。御了承下さい」
と、素っ気なく運転手がアナウンスする。
いきなり僕は焦り出した。
名古屋に到着したら、東京行き夜行高速バスの出発までという短時間であるが、高校時代の2人の友人と30年ぶりに会う約束をしている。
前もっての打ち合わせで、
「金沢から名古屋へバスの予定なんだけど、日曜日の夜は渋滞で遅れないかな?」
と聞いてみた時には、名古屋在住も長く、仕事柄北陸との行き来も多いという友人からは、
「ないない。バス降り場で待ってる」
との返事が返ってきたので、すっかり安心していたのだ。
あとで聞いてみれば、その友人は、北陸へ高速バスを利用したことはなく、特急列車の往復ばかりだったという。
友人も、NEXCO中日本の都合までは読み切れないであろう。
僕は、高速バスに乗る時に前もってNEXCOのHPで渋滞予想を見ておくことにしているのだが、今回の工事渋滞の予想がないのはどうしたことか。
自然災害などによる、想定外の工事だったのだろうか。
スマホでリアルタイムの道路情報を見ると、今引っかかっているのは、およそ3kmの渋滞のようだった。
速度は、歩くより速いかなと思う程度である。
これは渋滞に巻き込まれたときの僕の基準で、3kmなら歩いても40分くらいかと思えば、精神衛生上、それなりの慰めになる。
最悪でも、このバスは30分以上遅れないだろう、などと、動かないバスの中で努めて楽観的に過ごすのである。
しかも、道路情報を眺めているうちに、とんでもない情報まで見つけてしまった。
この先、名神高速と東海北陸道が合流する一宮JCTを先頭に、8kmの渋滞が生じているらしい。
所要時間が記載されていないので、名古屋到着がどれほど遅れるのか、友人と過ごす時間がどれくらい削られてしまうのか、ますます不安になった。
やっぱり鉄道にすればよかった、と後悔した。
南条SAで見かけた金沢発大阪梅田行きの高速バスが、右車線をゆるゆるとした速度ながら追い越していけば、こちらも右車線に行けばいいのにと歯噛みしたり、こちらの車線が動き出せば肩の力を抜いたり、長い長い20分が過ぎ、ようやくバスの走りが常態に復した時にはすっかり気疲れしてしまった。
伸び上がったりキョロキョロしたりしているのは僕だけで、他の乗客は身じろぎもしない。
バスに乗っているのだから遅れるのは想定内、後戻りさえしなければいい、と達観しているのだろうか。
渋滞の間にとっぷりと日が暮れた。
そのために速度感覚が鈍ったのかもしれないが、そこからの「北陸道昼特急名古屋」号の走りは、それまでと打って変わって追い越し車線に移る頻度が高くなり、なかなか果敢に感じられた。
もとより望むところで、頑張れ、頼むぞ、と応援したくなる。
越前から若狭への国境を越える杉津峠は、昔も今も豪雪に見舞われる難所で、北陸道はどんどん高度を上げながら、幾つものトンネルで山岳地帯を貫いていく。
北陸トンネルが昭和37年にできるまでは、鉄道も、北陸道と似たルートで山越えに挑んでいた。
昼間ならば、右手に連なる険しい山々の向こうに敦賀湾を見下ろすことができる、風光明媚な区間である。
ところが、窓外は漆黒の闇に覆われて何も見えず、僕はインターやサービスエリアの標識に目をこらしながら、待ち合わせをしている友人に途中経過を報告するメールを打ったり、スマホの電波状態に一喜一憂したりと、忙しい時間を過ごしていた。
『遅れてすまん。19時30分に米原JCTを通過。このあたりの地理はよくわからないけど、米原から名古屋まで45分で着くと思う?』
『20時に岐阜羽島ICを通過した。新幹線では隣駅だけど、高速道路で十数分では着かないよね』
嬉しかったのは、道路情報を見るたびに一宮IC付近の渋滞がどんどん短くなっていくことだった。
ついていることに、全くスピードが鈍ることなく、一宮ICの看板が見えてきた。
『お待たせ。20時10分、一宮ICを出たよ。これから名古屋高速で20分くらいかな?』
と、少しばかりホッとしながらメールした直後に、
「ただいま一宮インターを出まして、これから一般道を走ります。現在、渋滞の影響で定刻より20分ほど遅れておりますが、このままで行ければ、終点名古屋駅到着は20時35分頃になる予定です」
と、久しぶりに流れた運転手の案内を聞いて、慌てて訂正メールを送ったりした。
開業直後の「北陸道特急バス」をはじめ、名古屋から西へ向かう高速バスは、名古屋市街地と一宮ICの間を国道22号線・名岐バイパスを走っていた時期があった。
それが旅の程良い序曲でもあったのだけれど、しかし、12月末に乗った高岡から名古屋行きの高速バスは、一宮ICから名古屋高速16号線を経由したので、てっきり「北陸道昼特急名古屋」号も同じ経路かと思い込んでいた。
友人を待たせている身としては、高速を使って少しでも時間短縮を図って欲しいところだけれども、それは僕だけの都合というものである。
過ぎ去っていく街並みを見ても、どこを走っているのか、皆目見当がつかない。
やきもきしている僕を乗せて、運転手の案内の通り、20時半を少し回った頃に、バスは新幹線ホームのきらびやかな照明が目眩い名古屋駅太閤通口に滑り込んだ。
2人の友人は、バスを降りたところで待っていてくれた。
それからの2時間の楽しかったこと。
遅い時間だから開いている店は限られていたけれども、「幻の手羽先」と銘打たれたビールに良く合う辛口の手羽先をはじめ、ソース味の「黒手羽先」、味噌串カツ、「エビふりゃ~」(ソースキャベツの乗ったエビフライ)、どて煮、豚ポン(ポン酢でさっぱり食べる生姜焼)、名古屋コーチンのひつまぶし……
ベタなメニューばかりだが、よく食べて、よく語り合った。
名古屋と金沢を結ぶ高速バスに乗ったのも、高校卒業以来の友人に会ったのも、考えてみれば不思議な符合だったと今にして思う。
ともに30年の歳月を越えた、タイムスリップのような日曜日の午後だった。
同じ時代を生きてきて、異郷の地で頑張っている友人と会うのは、つくづくいいものだと思う。
高校時代にはそれほど親密な間柄でなくても、不思議と場が盛り上がって話が尽きなくなり、東京行き夜行バスの切符なぞ打っちゃっても構うものかという心境になってしまう。
それでも後ろ髪を引かれる思いで、午後11時過ぎに、僕は名古屋駅太閤通口のJRバス乗り場の脇にある「ゆりの噴水」前に戻ってきた。
一緒に見送りに来てくれた友人が、
「バスは23時15分発なんだろ? どうせ待たされるんだから、ギリギリでいいんじゃね? もう少し飲もうよ」
と言ってくれたのだけれど、これから乗る高速乗合バス会社のHPには『発車時刻の10分前までには受付をお済ませ下さい』と書かれているのだから、やむを得ない。
これに乗り遅れたら、翌日の仕事に差し支える。
ひっきりなしに各地へ向かう夜行高速バスが出入りしているJR乗り場の中を通りながら、その友人は、
「ほう、すげえなあ、こんなに夜行バスに乗る人がいるんだ」
と驚いていた。
仕事柄、名古屋から各地へ出張することが多い友人だが、夜行高速バスは利用したことがないという。
23時発の東京行き「青春ドリームなごや」2号と「青春レディースドリームなごや」2号、松山行き「オリーブ松山」号、大阪行き「青春大阪ドリーム名古屋」1号。
23時10分発東京行き「青春ドリームなごや」4号。
23時15分発金沢行き「北陸ドリーム名古屋」号。
23時20分発東京行き「レディースドリームなごや2号」。
23時30分発岡山・倉敷行き「両備エクスプレス名古屋」号。
様々な行き先を掲げた夜行高速バスが、ロータリーにずらりと並び、乗客がひしめいている様は、確かに壮観だった。
年末に金沢行き「北陸ドリーム名古屋」号を利用した時に眺めた光景と、全く同じである。
唯一異なるのは、この日の僕が、JRバスではなく、元ツアーバスの高速乗合バスに乗ることだった。
前もってネットで予約しておいたのは、「桜交通」の新宿行き夜行便である。
コンビニで料金を振り込んだ時に手に入れた乗車券には、「23:15発 NA 04便 Quality Express」と記載されている。
「桜交通」は福島県白河市に本社を置くバス事業者で、平成15年に仙台と福島・郡山を結ぶ高速バスに参入し、以前より運行していたJRバスや宮城交通・福島交通の既存路線と激しい値下げ合戦を繰り広げたのは有名な話である。
平成17年にいったん路線を休止させたけれども、子会社の「さくら観光」が主催する首都圏と東北、中京、関西を結ぶツアーバスの運行を続け、昨年、全てのツアー路線が高速乗合バスとしての許認可を受けたのである。
「さくら高速バス」と名付けられた同社の高速乗合路線の予約は、今でも、「桜交通」ではなく「さくら観光」のHPで受け付けられているが、それはツアーバス時代の名残なのであろうか。
「ゆりの噴水」付近には、様々な高速乗合バスの係員があちこちに立っていた。
どの係員に声をかければいいのか迷ったけれども、案内板に「さくら観光ミルキーウェイEXP」と掲げている赤いジャンパーの女性に声をかけてみれば、
「あ、Nで始まる便は、あちらの係員にお願いしまーす」
あとで調べてみると、「ミルキーウェイEXP」は埼玉県に本社がある「さくら観光」という同名の高速乗合バスで、首都圏から仙台、名古屋、関西方面へ路線を展開しているが、僕が乗ろうとしている「桜交通」とは全くの別会社だった。
「ミルキーウェイEXP」の係員は、少なからず同じ質問をされているのであろう、いかにも手慣れた様子で滑らかに答えてくれたが、よく、面倒くさそうな表情をしなかったものと思う。
彼女が指さした方向には、10mほど離れて黄色いジャンパーを羽織った女性が数人の利用客に囲まれていた。
手持ちの乗車券を見せると、便名が書き込まれた小さな紙片を僕に渡しながら、
「23時15分になりましたらバスへ御案内致しますので、これをお持ちになって、もう1度ここへお越し下さい」
とにこやかに言う。
なんだ、結局は発車時刻に来れば良かったんじゃん、と僕と友人は顔を見合わせて苦笑いした。
寒さを凌ぐために、JRバスの待合室を拝借して立ち話をしていれば、あっという間に時が過ぎた。
友人とは集合場所で別れた。
先ほどの女性係員が、
「『さくらQuality Express』NA004便、新宿行きを御利用のお客様はぁ、これよりバスの方へ御案内致しまーす!こちらの歩道をまっすぐに歩いていただきましてぇ、信号を渡ったところにバスがおりますのでぇ、そちらの係員の指示に従って下さーい!」
と大声を張り上げている。
メガホンもなく肉声での案内だったから、大変だな、と思う。
御案内と言っても、係員が引率するわけではない。
他社の出発便とも重なったようで、数十人の乗客とともに、広々としたJRバス乗り場から、颯爽と発車していく定期高速バスを横目にぞろぞろ歩いていると、どことなくうらぶれた心持ちにさせられる。
空港で、JALやANAの広大なカウンターの隅っこに追いやられた格安航空会社の便に乗る時と似ているような感覚で、何となく自嘲気味になった。
「2列に並んで信号をお待ち下さーい!横にはみ出ないようにして下さーい!はーい、後ろから自転車が来まーす!道をあけて下さーい!」
歩道の要所要所では警備員が声を涸らして交通整理を行っているが、乗客たちは連れとの話に夢中になっているか、または1人で俯いて無反応かのどちらかである。
名古屋駅から則武1丁目交差点へ向かって少し歩いた、ホテル「ザ・グランドティアラ」の向かいの新幹線の高架下が、元ツアーバス系統の高速乗合バス乗り場である。
何の変哲もない道端に、ずらりと高速乗合バスが並んでいる様子は、昔のツアーバスの雰囲気そのままだった。
先頭のバスから順番に呼び出しがあり、列を離れた乗客の改札をしながら1台ずつ発車していくから、
「『さくらQuality Express』NA004便のお客様、お待たせ致しました。こちらのバスへお乗り下さい」
と案内されるまで、少しばかりの時間を要した。
僕が乗るバスは、白地にピンク色の波線と桜の花びらがデザインされ、「SAKURA QUALITY EXPRESS」と大書されている韓国製ヒュンダイ・ユニバースの車両だった。
全員の改札が終わって出発準備がすっかり整ったのは、23時30分を過ぎていたような気がする。
このあたりの時間の流れも、元々の高速バスとは違う、ツアーバスの感覚である。
航空機でも、出発時間はプッシュバックが始まった時などと定義されているから、鉄道と同じように杓子定規に考える必要は何もない。
若い運転手が係員に、
「前のバス、すぐ出発するの? 時間かかるの? 行っちゃダメ?──じゃあ、あと10秒!」
などと声をかけている。
間隔を詰めてバスを縦列駐車しているから、前のバスが発車するまで動けないのであろう。
せっかちな運転手なのかなと思ったが、あと10秒、というのは多分に冗談っぽい口調だった。
このバスと他のバスでは乗車人数に大きな差があるから、乗りこみに要する時間も当然異なるだろうと思う。
前に止まっているのは真っ赤な車体の「キラキラ」号で、前後の間隔を広めにした横4列シートであるから、30人以上は乗るものと思われる。
一方で、僕が乗る「さくらQuality Express」の定員は21人だけなのである。
昨年の10月から、東京と金沢を様々な方法で往復してきたが、2月以降は航空機や鉄道ばかりの利用が続き、さすがに経済的に余裕がなくなって、今回は高速バスだけで金沢を往復することにした。
夜行高速バスの往復は、若かりし頃は何の苦もなかったけれども、最近の夜行での往復は、さすがに身体にこたえる気がしていた。
僕も歳をとったな、と苦笑せざるを得ない。
今回は、帰りのバスを思いっきり豪華にして、少しでも楽に過ごせるようにと考えた。
「さくらQuality Express」は、そのためにぴったりのバスだった。
座席は「2×1 maximo」と呼ばれ、右側に2列、通路を挟んで左側に1列の横3列で配されている。
この構造の利点は、横3列独立シートよりも座席の幅が広くとれることで、「さくらQuality Express」では座面の幅が70cmと、これまで僕が乗った高速バスの中で最大である。「WILLER EXPRESS」の3列独立シート「リラックスワイド」の座席幅が49cmであることを考えれば、「さくらQuality Express」の幅の広さがよくわかる。
特筆すべきは、定員減になるにもかかわらず前後を7列に抑えていることで、前席とのシート間隔はなんと97cmもある。
しかも、個々の座席はシェルで囲まれて、最大140度のリクライニングを倒す時でも、座面が前にせり出しながらシェルの内部で背もたれが傾いていくため、後席の空間を狭めることが全くない。
前席の下部をくり抜いたフットレストの幅と奥行きも充分で、 身長175cmの僕が足をいっぱいに伸ばしてもまだ余裕があり、ふくらはぎを支えるレッグレストもぴったりとフィットするから、まるでベッドに横になっているかのような座り心地でくつろぐことができた。
僕が指定されたのはA-02、右側の2列側の窓際だったが、隣りの席とはカーテンで隔てられて、個室感覚は満点だった。
座席構造は「WILLER EXPRESS」の「コクーン」を更に広くした感じで、個室感覚は「コクーン」の方が優れているけれども、ゆったり加減の度合いは「さくらQuality Express」に軍配が上がる。
さすがにそこまではいらないよ、とツッコミたくなるほど過剰なサービスだが、このバスは昼行便にも使われているので、その時に使う乗客もいるのだろう。
実は、銭湯などに設置されているマッサージチェアは大好きなので、スイッチを入れてみたくてうずうずした。
毛布をはじめアイマスクや耳栓、スリッパなどのアメニティも充実している。
さくら観光のHPに「バスの旅を優雅に楽しみたいあなたに さくら観光のフラッグシップ」と誇らしげに謳われているのも、大いにうなずける。
僕はこの座席を6270円で予約したのだが、日によっては3000円~4000円台で販売していることもあるようだ。
新幹線料金が10780円、またJRバスの「ドリーム」号の正規運賃が6200円であることを考えれば、充分にリーズナブルと言っていいだろう。
実際に座ってみれば、こいつはいいぞ、とはしゃぎたくなるような、予想以上の豪勢さだった。
おそらく、この夜に東海道を行く旅人の中で、最も贅沢な客になったと言えるのではないだろうか。
乗る前のうらぶれた気分などは、とっくに消し飛んでいた。
これならば、疲れは最小限で済むだろうと安心した。
奮発しましたねえ、採算は合うのですか?──と、ちょっぴり心配にもなったけれど、余計なお世話であろう。
幾許かの心配事がない訳ではない。
ヒュンダイ・ユニバースのバスに乗るのは3回目だけれども、空調が国産車に比べて難があるように感じていた。
乗ったのはいずれも冬だったが、暖房が効き始めると、足元が異常に熱く感じたのだ。
1回目は左側の独立席で、車内全体が暑くて仕方がなかったけれど、足元はあまり気にならなかった。
2回目は今回と同じ右側の席で、壁際の足元から靴下を通してカアッと伝わってくる熱さが気になって、何度も目を覚まし、遂には、あいていた隣りの通路側の席のフットレストに足を投げ出した。覗き込みはしなかったけれども、右の壁の下に、ひと昔前の国鉄の気動車のような暖房のパイプでも通っているのだろうか。
果たして今回はどうなるものか、と若干不安だったけれども、しばらくするとやっぱり熱くなってきたものの、広いフットレストが幸いして足に逃げ場がある。
前夜からの旅の疲れとほろ酔い加減も手伝って、僕は出発して10分も立たないうちにコトン、と眠りに落ちた。
どのような経路で東名高速に乗ったのか、見当もつかない。
停車する柔らかい揺れで目を覚ましたのは、新東名高速道路の浜松SAだった。
東名高速からいなさ連絡路で内陸に向かい、新東名高速本線に乗って最初のサービスエリアである。
既に日付が変わって、午前1時を回っていた。
このバスにトイレはないから、機会があるならば必ず用足しをしておかなければならない。
バスを降りれば、ひんやりとした夜風はすこしばかり湿っぽく感じたけれども、雨が降った痕跡はなかった。
見上げれば、吸い込まれるように深い漆黒の夜空が広がっていた。
煌々と建物の照明に照らされながら、東京方面へ向かう様々な高速乗合バスが静かに翼を休めているけれど、さすがに降りる人は多くないようだった。
バスに戻ると、奇妙な低音が後方から聞こえてくるのが気になった。
マッサージ器を動かしている人がいるのかと思ったが、しばらくして歯ぎしりの音だと気づいて、猛烈に可笑しくなった。
どんなに豪華なバスでも、他人の鼾や歯ぎしりまでは遮断できない。
それでも、襲ってくる睡魔には勝てず、程なく深い眠りに引き込まれ、おや、この小刻みなバウンドは首都高速ではないのか、とぼんやり思ったのも束の間、暗かった車内に照明が灯り、運転手がささやくように新宿到着が間近であることを伝えた。
カーテンの外は、真っ暗である。
時刻は午前4時50分だった。
早暁の街はまだまだ眠りから覚めていないけれど、これでも定刻なのだ。
そのような運行ダイヤのバスを選んだのだから、こんな時間に降ろされても文句をいう筋合いはない。
名古屋からの所要時間は、最速の昼行便である「新東名スーパーライナー」と殆んど変わりがなかった。
夜行便としては異色の駿足ぶりに、運転手は仮眠をとらずに夜を徹してハンドルを握り続けて来たのだろうか、と思った。
僕は、と言えば、あまりにぐっすりと寝過ぎたため、名古屋から「どこでもドア」で東京へ瞬時に移動したような呆気なさだった。
はるばる300kmを越える旅をしたという実感が全く湧いてこない。
それだけ「さくら Quality Express」の寝心地が良かったということで、5時間余りで旅を終えてしまうには何だか勿体ない気分だった。
新宿駅西口を正面に見据えるコクーンビル前の路上では、他の高速乗合バスも、寝起きで不機嫌そうな表情の乗客を次々と降ろしていた。
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