第66章 令和5年 高速バスで利根川沿岸を行く~境町自動運転バスと東武伊勢崎線の大冒険~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
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【主な乗り物:高速バス東京-境町線、高速バス東京・新宿-伊勢崎線、境町自動運転バス、朝日自動車バス東武動物公園-境町線、東武特急電車「りょうもう」】

 

 

東京駅八重洲南口の高速バスターミナルを10時50分に発車した境町行きの高速バスは、内堀通りに出ると、そのまま北へ鼻先を向けた。

東へ伸びる八重洲通りに行かないのかと、一瞬虚を突かれたが、すぐに、なるほど、と思い直した。


左手に見える東京駅の駅舎が尽き、呉服橋交差点を左折すると、すぐに国道1号線であることを示す標識が目に入り、この道は「一国」だったのかと、また虚を突かれた。

国道1号線の経路は、赤羽橋あたりから南は知っていたものの、皇居から日本橋まで何処を通っているのかという知識はなかった。

 

車内に録音された案内放送が流れ、他の路線と大して変わらない内容なので聞き流していたけれど、車内事故防止のため一般道でのトイレの使用はお控え下さい、という文言は初めて耳にしたような気がする。

このバスには手洗いが設けられているのだな、と後ろを振り返って安心しながらも、最近、一般道を走行中にトイレで何か事故が起きたのだろうか、と余計なことが気に掛かる。

 

他の乗り物より揺れが激しいバスで用足しをするのは、ちょっとしたコツが必要であることは理解できる。

ある書籍でバスのトイレの狭さが話題になり、メーカーか事業者の担当者が、バスのトイレは狭い方が安全なんです、と解説していたのを読んで、妙に説得力があったことを思い出した。

 

 
大手町交差点で国道1号線から日比谷通りに右折したバスは、神田橋で首都高速都心環状線の高架をくぐり、駿河台を登ってお茶の水の街を抜けていく。


この道筋は、僕にとって懐かしい。

僕が初めて東京に滞在したのは、高校3年の夏休みに、お茶の水にある予備校の夏期講習に通った時で、駿河台の坂下のホテルで寝泊まりしたのである。

毎日、坂を歩いて予備校を行き来しながら、帰りに靖国通り沿いの古書店を覗くのが気晴らしであり、神保町に足を伸ばして、デパートのように巨大な三省堂書店に驚嘆し、書泉グランデやブックマートの趣味本の充実ぶりに時を忘れたのが、つい昨日のように思い出される。


靖国通りと交差する駿河台の交差点を走り抜けながら、神保町の古書店街は何年も訪れていないな、と感慨に耽ったり、坂を登り詰めて神田川とJR中央本線を跨ぐ聖橋を渡りながら、ここの風景は全く変わりがないな、と懐かしくなると同時に、そうか、境町行きの高速バスは王子コースを走るのか、と納得した。


 
東京駅と茨城県境町を直通する高速バスは、令和3年7月に運行を開始している。

東京駅八重洲南口で「境町」との行き先を掲げたバスを見かけたのは令和5年2月のことで、おお、新しい路線が登場したな、と思うと同時に、境町とは何処にあるのか、と戸惑った。

 

地図を確認しがてらスマホで検索してみると、昭和11年に著された「茨城大観」の記述が紹介されていた。

 

『戸数841、人口4551、猿島郡の中央に位し、県立中学校の所在地である。利根川に沿い往時、北総並常陸地方と江戸との舟楫の要津であった。今でも尚汽船によって東京との交通をなす』

 

江戸時代は、町を東西に流れる利根川の舟運の河岸が置かれて、2軒の河岸問屋があり、奥州から江戸に向かう荷駄が年間3万駄、その反対の荷駄が7000駄、計129隻の高瀬舟や艀舟が置かれていた交通の要所であったことが記録されている。

猿島台地に広がる町域には、廃藩置県で猿島郡と西葛飾郡の役所が置かれ、現代でも公共施設や商店街、大型店、住宅地が集中しているらしい。

 

 

これらの文献に、猿島という地名がしばしば見受けられ、平成11年から同28年まで運行されていた東京駅と茨城県岩井市を結ぶ「常磐高速バス」が、平成14年に猿島まで延伸されたという記憶があったので、境町を行き来する高速バスも、てっきり常磐自動車道を経由するものと思い込んでいた。

運行する事業者も、多数の「常磐高速バス」に参入しているJRバス関東と関東鉄道バスである。

 

東京駅を出て八重洲通りを東へ向かい、首都高速都心環状線宝町ランプに入るのが、他の「常磐高速バス」のルートである。

バスが内堀通りを北上し始めた時に、なるほど、と頷いたのは、地図を見ると、境町は常磐道と東北自動車道を繋ぐ首都圏中央連絡道の沿線にあって、少しばかり東北道寄りに位置しているので、東北道を使うのかもしれない、という予感があったためである。

 

 

王子ルートとは僕が勝手につけた名前で、何年か前に、東京駅から東北道経由で栃木県佐野市に向かう高速バスに乗った際に、てっきり首都高速都心環状線、6号向島線、中央環状線、川口線で東北道に入るものと思い込んでいると、都内の一般道を延々と走って王子駅を経由し、中央環状王子線を使う経路に仰天したことがあった。

 

境町行きのバスも同じ道筋をたどっているのだが、経験済みであっても、高速に入るまでが長いなあ、ともどかしくなるのは変わらない。

宝町ランプから入るのと王子経由と、どちらが速いのか、という疑問も浮かんでくる。

 

 
そのような僕の心境にお構いなく、バスは中山道を進んでいる。

木々が生い繁る東京大学と、道端にひしめく新旧の飲食店を眺めていると、我が国の最高学府の学生はこのような店で食事をするのか、と思う。

中には、如何にも味わいのある佇まいの古い店があり、もちろん僕の学力では箸にも棒にもかからないのだが、あの店に通うために東大に入れば良かった、と思わせる。

重々しい雰囲気の境内を抱える寺院も多い。

 

道路は混雑していて、路上駐車の車両や、我が物顔で行く自転車を避けるために右へ寄れば、停車している右折車両に阻まれる、といった具合である。

これではまるで障害物競走で、ぐるぐるとハンドルを回し続ける運転手に同情したくなる。

 
 
JR駒込駅を横目に通り過ぎると、丘陵を登り下りするきつい坂が増える。

東京と佐野を結ぶ高速バスに乗車した前後に、半年ほど駒込で働いていた時期があったので、このあたりの街並みも懐かしい。

 

飛鳥山で路面電車と並走し、王子駅の外れにある停留所から3人の乗客が乗り込んで来た。

東京駅から乗っていたのも似たような客数であったから、この便は10人にも満たない乗客で境町を目指すことになる。

 

境町の人口は2万4000人ほど、首都圏のベッドタウンとして、また子育てに適した街として名乗りを挙げているらしいが、1日8往復の高速バスを維持できるような需要があるのかどうか、僕には分からない。

同町のHPに東京駅を直結する高速バスの案内があり、補助金を出して運行しているのかもしれないと推測したりする。

 

 
尾長橋の交差点を右折すると、すぐに首都高速中央環状王子線の王子ランプである。

「小菅-流山 14km 50分」という渋滞情報の電光掲示板が目に入り、常磐道が混んでいることが判明する。

 

河川敷が広い荒川を渡った先が江北JCTで、右に進めば常磐道である。

お願いだから渋滞する常磐道に向かわないでくれ、と祈るような気持ちになったが、バスは左の流入路に進んで首都高速川口線に入った。

 

 
この日は旧盆が始まったばかりだったから、どの高速道路も渋滞が生じるのは当たり前で、首都高速川口線も流れが滞りがちだったが、加賀ランプを過ぎると幾らか速度が上がったので、僕は胸を撫で下ろした。

川口JCTで道幅が広がって東北道に入り、いよいよ行き足を速めて浦和料金所を通過する頃、腕時計の針は11時48分を指していた。

東京駅から小1時間も費やしており、どの高速バスも同様であるが、都心を抜けるのは大ごとなのだな、と改めて思う。

 

東北道の流れは滑らかだったが、運転手は、少しでも速い車線にバスを移してアクセルを踏み込んでいく。

せっかちなのか、遅れが生じているのか。

一般道の走行が長かったし、大したことはなかったとは言え、曲がりなりにも渋滞に巻き込まれたのだから、定時運行のはずはないだろう、と再び定時運行への不安が頭をもたげた。


車窓は広々として、せせこましい都心部を抜けて来た前半が嘘のようであるが、溜め息が出るほど陽射しが強烈で、空調が効いているはずの車内にいても、じんわりと汗が滲んで来る。

令和5年の夏は「災害級の酷暑」と頻りに報じられていた。

 


久喜白岡JCTで、バスは首都圏中央連絡道つくば方面の外回り車線に針路を変えた。

幸手付近では、広々とした水田と、瀟洒な住宅地が車窓に映し出される。

遥か彼方に無数の鉄塔が目立ち、ここに送電線が集中しているのはどうした訳だろう、と首を捻りたくなる。

 

SF作家の半村良が、対外権益を守るために海外派兵が可能な軍事国家となった近未来の日本を描いた「軍靴の響き」で、海外派兵ばかりでなく徴兵に踏み切ろうとしている政府に抵抗する市民グループが、抗議活動として東京全域を停電に陥れる章がある。

その首謀者が、事前に参加者に説明する東京の電力供給についての一節が、妙に記憶に残っている。

 

『くもの巣のように張りめぐらされた東京の電力供給網も、その源を辿って行くと幾つかの大きな流れになります。まず鹿島から来る鹿島線、次いで例の東海から来る原子力線、猪苗代湖から来る猪苗代新幹線および同旧幹線。次いで上越幹線、群馬幹線、それに信濃川、中津川方面から来る中東京幹線。黒部から千曲川方面の電力を集めて奥秩父を経由する黒部幹線。栃尾、霞沢、安曇などの電力が集まる安曇幹線、そして東京西部へ入って来る甲信幹線。天竜東幹線や東富士幹線などはいったん東富士変電所を経由して東京のいちばん南から入って来ています。結局鉄道の配置と非常に似た形で東京へ集まって来ますので、そのように覚えて下さって結構です。そしてそれとは別に、横須賀から房総にかけて、東京の外側をぐるりととりかこむ形で、やはり幹線級の超高圧線が走っています』

 

『横須賀からここまでが東京南線、ここからさっきの中東京幹線の終点までが東京西線。北部は外川が新古河につながる房総線という形になっています。このほかに只見川方面から電源開発公社の只見線と佐久間ダムからの佐久間東幹線が入って来ています』

 

『全都の電力供給をたち切る今度の行動の場合、忘れてならないのは国鉄が独自に持っている国鉄信濃川線です。これを潰さないと山手線だけは走っているという状態になるのだそうです』

 

『占拠する主な拠点は、西から順に見て行って、京浜、西東京、中東京、北東京、東東京、新京葉の各主要変電所及び閉塞所。それに大師、南大田、八重洲、江東、新東京など、東京湾火力発電所からの供給を阻止する市街地の変電所でしょう。また東京駅近くにある電力タワーの機能も停止させなければなりません。あの塔は強力な送電指令塔で、東北、北陸、中部など、各電力会社から融通受給をするほか、各主要拠点との無線連絡を受け持っているのです』

 

 
僕は、関東地方で送電線を目にするたびに、この話を思い出す。

空想と分かっていながら、読み進めるほど陰々滅々と気分が重くなっていく小説であるが、この一節が印象的なのは、東京という世界有数の都会を支えるために、これほどあちこちから電気を搔き集めなければならないのか、気が遠くなるような膨大な電力を僕たちは消費しているのだな、と実感するからであろう。


幸手付近で見える無数の送電線の鉄塔は、猪苗代幹線や東京西線、房総線あたりが集まっているのかな、と思う。

 

 
圏央道は幸手ICと五霞ICの間で対面通行になり、右手に小さく見え始めた筑波山が、やがて正面に移って来る。

少しずつ家が建て込み始めると境古河ICで、バスが料金所を通過したのが12時16分だった。

このインターの名は何度も目にしたことがあるけれども、境古河の境とは境町だったのか、と蒙を拓かれた。


瀟洒な家々の合間に見える水田の稲が、緑ではなく黄色く見えるのはどうしたことだろう、などと考えているうちに、車窓は黒土と緑の対比が鮮やかなネギ畑を映し出し、すぐに境町バスターミナルに着いた。

 

 
広大な敷地のアスファルトが眩しく日差しを照り返し、太陽が頭上にあるから殆んど影がない。

片隅に屋根が設けられて、脇に小型のバスが停車しているが、高速バスは反対側の隅に停車して扉を開けた。

乗降口を出ると、息が詰まるような熱気が怒涛の如く僕にまとわりついた。

 

 
第1目標の高速バスは乗り終えたが、この日の行程は、ここから先が読めなくなる。

 

境町高速バスターミナルは、どうしてこのような場所に設置したのか、首を捻るほど町の中心部から外れている。

東武伊勢崎線東武動物公園駅や東武野田線川間駅、JR東北本線古河駅などと結ぶ路線バスが町内を通り抜けているが、高速バスターミナルには寄ってくれない。

路線バスが通る目抜き通りまで1~2kmを歩くか、と覚悟していたのだが、あまりの暑さに、意気込みはみるみる萎んでいく。

 

 
もう1つ、この孤島のようなバスターミナルのアクセス手段があるのだが、極めて面白そうでありながら、幾許かのためらいを余儀なくされる方法であった。


僕は敷地を横切って、反対の隅に停車している小型バスに歩を運んだ。

バスの内外に人影はなく、車体から太いケーブルが外の充電装置と結ばれている。

丸っこいチョロQのような車体で、大きさはミニバンに毛が生えた程度、扉が前後長の半分を占めているような外見である。

これをバスと呼ぶのか、 と思いながら、開閉ボタンを押して内部に入ってみると、籠る熱気に窒息しそうになった。



扉を囲むように、コの字型にシートが並び、窓の枠にモニターが掛かっている。

あるべきモノが車内に見当たらないことは、あらかじめ予想していたので、なるほど、と1人で頷いた。

このバスは、我が国で初めて乗客を乗せて運行している自動運転バスで、運転席がない。


 

車内を見回しながら腰を下ろしてみたが、硬くて座り心地の良い座席ではなかったし、何よりもあまりの高温に辟易して、僕はいったん外に出た。

周囲は林と田畑と住宅ばかりで、暇潰しの店舗も見当たらない。

高速バスで東京からやって来た若い女性が、男性の出迎えを受けて、しばらく木陰で立ち話をしていたが、いつの間にか姿を消していた。



自動運転バスなのだから、何の前触れもなく発車して、置き去りにされないかが心配になるけれども、蒸し風呂のような車内で待つのも堪らない。

 
そのうちに、ラフな格好の若い男性がどこからともなく現れて扉を開け、リュックを座席に置いて外に出ると、バスから充電ケーブルを外し始めた。

乗客か、と早とちりしたのだが、乗務員らしい。

彼が再び乗車したので、僕も車内に戻ると、冷房が動き始めて、生き返るような冷気が流れ始めた。

乗務員が後部座席に荷物を置き、その前に立っているので、僕は前部の席に後ろ向きに座った。

「優先座席」と書かれているが、優先すべき乗客は1人もいない。



発車準備を整えた乗務員が、僕に向き直って、

 

「どちらまで行かれますか」

 

と聞いたので、

 

「道の駅まで参ります」

 

と答えると、かすかに頷いた。

 

自動運転バスは町営で、2系統が無料で運行され、その1つが高速バスターミナルから中心街を通って利根川沿岸にある「道の駅さかい」まで1日4往復走っている。

途中から、東武動物公園などへ向かう路線バスと同じ地区を走るようであるが、路線バスが「境小学校前」、自動運転バスが「境小学校入口」などと、名称が微妙に異なる停留所が多く、確実に乗り換えられるのは、自動運転バスの終点の「道の駅さかい」だ、と見定めた。


 
程なく、バスはするすると発車したが、乗務員が何か操作をしたのか、発車時刻を迎えれば自動で動き出すようになっているのか、機械と人間の役割分担は、最後まで判然としなかった。


腕時計を見れば12時28分、定刻である。

東京発の高速バスは12時23分着の予定だったが、自動運転バスは1日4往復しかなく、次の便は14時18分までない。

境町のHPに『高速バスの運行の遅れ等により、自動運転バスの出発に間に合わない場合があります。その際はお手数ですが他の交通手段をご利用ください』と書かれているので、僕は高速バスの車中で渋滞にやきもきしていたのである。

 


自動運転であるものの、無人運転ではないようで、乗務員は前向きに立ったまま、家庭用ゲーム機のコントローラーのようなものを両手で持っている。

この年の6月18日に、 豪華客船「タイタニック」号の残骸を見物する深海潜水艇「タイタン」が海中で圧壊する事件が起き、搭乗していた運行会社のCEOが、ゲーム機と同じコントローラーで潜水艇を操縦していたことが話題になったが、それを知らなければ、僕は大いに驚愕したことであろう。

時代は変わるのだな、と思う。


境町の自動運転バスはフランスNavya社製の「NAVYA ARMA」で、境町は3台購入している。

 

『3台の内2台の外装及び座席のカバーは、境町出身の美術家である内海聖史氏が制作したキービジュアルを採用し、境町のコンセプトである「自然と近未来が体験できるまち」をイメージしてデザインしています。また、3台のうち1台の外装には、境町とBOLDLY株式会社が、境町の近隣を流れる利根川をテーマに公募したデザインを採用しています』


と、町のHPに書かれている。


 
フランス製の車に乗るのは生まれて初めてであった。

道路の舗装が良いのか、バスのシャシーが高性能なのか、揺れは少ない。

電気自動車だからエンジン音はなく、至って静かであるが、曲がる場合はくるくると面白いように小回りが利き、狭い箇所もうまくすり抜けていく。

ただし、加減速や発車、停車は案外に急で、衝撃が大きく、人によっては酔うかもしれない。

交差点でも、間際まで速度を落とさず、停止線ぎりぎりに止まる。


僕は、アニメ「ルパン三世」に登場するフランス製のフィアット500のきびきびした走りっぷりを思い出した。



他の車への注意喚起であろう、路面に「自動運転バス」の黄色いロゴが描かれている。
 

右折の際は、対向車が通り過ぎるのをきちんと待つのだが、発車のタイミングが間延びしているように感じたのは、自動運転が慎重に設定されているのか、僕が短気なのか。

駐車場から出ようとして逡巡している車があり、先へどうぞ、と合図をした時は、明らかに乗務員がコントローラーをいじったように見えた。

道端にある停留所ではしっかりと歩道に寄り、ショッピングセンターの駐車場に付属した停留所でも、「河岸の駅さかい」に隣接した朝日自動車の車庫の敷地にある停留所でも、うまく車両を操るものだ、と見えない操縦装置に感心した。

 

自動運転ばかりに気が回り、日光東往還に沿う中心部の町並みはあまり印象が残っていないのだが、古びているものの、味のある造りの旧家が多く、落ち着いた佇まいに心が和んだのを覚えている。

ただし、途中の乗降はいっさいなく、この便は僕の貸し切りであった。


 
「河岸の駅」から利根川沿いを走り、自動運転バスは、不意に何の変哲もない駐車場に滑り込んだ。

「終点『道の駅さかい』です」


と、乗務員が一瞬だけニコリとした。

バスを降りると、きちんと駐車枠に収まっているので、ますます感心した。

 

駐車場の川寄りに道の駅があり、レストランも売店も賑わっていたが、僕は、東武動物公園駅に向かう路線バスの乗り場を探さなければならない。

路線バスで訪れる客など皆無なのであろう、歩き回っても店の案内ばかりで停留所の案内はなく、露店の従業員に尋ねると、わざわざ奥にいる店長に聞きに行ったので、恐縮した。

境町の人は優しいな、と思う。

 


教えられた停留所は、自動運転バスの駐車場が面した県道126号尾崎境線にあった。

既に折り返したのであろう、自動運転バスの姿はなく、強い日差しにうだりながら10分ほど待てば、13時17分発の朝日自動車の路線バスが、時間表より若干遅れて姿を現した。


バスは、座席数の3分の1程度の乗客を乗せて、先程、高速道路から眺めた田園地帯を坦々と走る。

このあたりの地理はよく分かっていないのだが、境町から北西へ向かえば古河、西へ進めば久喜、そして東武動物公園駅は南に位置している。

 

 
「道の駅さかい」の南で利根川を渡り、すぐに、利根川から分かれたばかりの江戸川の橋に差し掛かる。

ならば、江戸時代に浅間山の噴火によって流出した土砂で底が浅くなり、氾濫が増えた利根川の水が江戸に流れ込まないよう、江戸川の分岐を狭めた「棒出し」と呼ばれる突堤を設けた関宿は、境町のすぐ西にあったのか、と思い当たった。

利根川を渡れば、関宿がある千葉県野田市であり、更に江戸川を越えれば埼玉県幸手市と、40分程度を過ごすだけの路線バスでありながら、その経路は3県に跨っている。

 

幾ら進めども、水田と集落を囲む雑木林が繰り返される車窓に代わり映えはなく、僕は、車内でスマホをいじるのに余念がなかったのだが、決して暇潰しではない。

高速バス東京-境町線に乗り終えた後の旅程は、その先の交通機関の選択肢が少なく、不安を覚えていたのだが、こうして自動運転バスと東武動物公園行きの路線バスに無事乗り継げたので、欲が出た。


東京近郊を行き来する大抵の高速バスは、乗車体験があるものの、乗り残している路線もある。

東京-境町線もその1つだったが、もう1本の未乗路線である東京-伊勢崎線にも乗ってみたくなった。

 

 
高速バス東京-伊勢崎線は、平成21年7月にJRバス関東が開業し、当初は新宿と本庄・伊勢崎を1日10往復で結んでいたが、令和4年にふかや花園プレミアムアウトレットに停車するようになり、令和5年4月から一部の便が東京駅発着になったのである。

埼玉県と群馬県の比較的地味な地域を結んでいるためであろうか、新しい高速バスに乗りたがる僕にしては珍しく、路線の存在感が小さかった。

たまに、目白通りなどで「新宿↔️本庄↔️伊勢崎」と横っ腹に大書されたバスを見かけては、そうだ、この路線に乗るのを忘れていた、と思い出していたのだが、それっきりになっていた。



茨城県発着の高速バスと群馬県の高速バスを一緒に乗り潰すとは、一見、無茶な行程に思えるのだが、高速バスが出入りする伊勢崎駅は東武伊勢崎線の終点であり、同線の東武動物公園駅に出られれば、1~2時間程度で行ける。

こうして、東武動物公園駅に向かう路線バスに乗れた以上は伊勢崎に行こう、と、僕は「高速バスネット」で伊勢崎から東京への高速バスの予約を試みていたのである。

 

幸い通信環境が良く、伊勢崎駅16時14分発の高速バスの予約は無事に終わった。

ネットの乗り換え案内を念入りに調べて、高速バスに間に合うという目処が立った頃に、狭い町並みに入り込んで、東武動物公園駅の狭いロータリーに着いた。

時計は午後2時になろうとしており、スマホばかりいじって過ごしたのが勿体ないような、長閑な昼下がりのバス旅であった。

 

 
東武動物公園駅は、駅名から予想されるのとは大違いの質素な佇まいだった。

東武動物公園は反対側の西口にあるので、そちらに回れば違った印象を抱いたのかもしれないが、路線バスが着いた東口は小ぢんまりとした商店街で、日光街道や杉戸町役場があるのもこちら側である。

 

駅の所在地は宮代町で、杉戸町との境界は、東口から100mほど北を流れる古利根川にある。

僕が駅前で目にしているのは宮代の町並みということになるのだが、明治32年の東武鉄道伊勢崎線開業時から、駅は杉戸の名を冠し、昭和56年に宮代町に開園した東武動物公園にちなんで、現在の駅名に改称されたのである。

 

僕は、土地の伝統的な名前を冠した駅名を、安易に観光地などに変えてしまう風潮に抵抗を覚える保守的な人間である。

例えば、故郷の長野駅が善光寺駅になったら嫌だな、と思うのだが、同じ長野県の軽井沢駅の隣り駅が沓掛から中軽井沢に変えられたり、山梨県富士吉田市の玄関が富士山駅に改名されるなど、世の中の趨勢は僕の好みと異なるようである。

まして、もともと地元の町名ではなかった駅の名など、宮代町の人々は未練がなかったのかもしれない。

 

 
この駅で、僕は大いにやきもきさせられることになる。

 

橋上のコンコースにある出札窓口に隣接する券売機で、14時29分発の「りょうもう」17号の表示を見ると、残席が少ない「△」が表示されている。

よし、ツイてる、と意気込んでボタンを押すと、「満席のため発売できません」の表示が出た。

僅かの差で、誰かが残りの指定席をせしめてしまったのか。

 

ところが、最初の画面に戻った表示は、「△」のままであり、どうなっておるのか、と訳が分からない。 

窓口の駅員に声を掛けてみると、

 

「あー、『りょうもう』は朝から満席なんですよね」

 

と、つれない返事だったので、眼の前が真っ暗になった。

 

 

「りょうもう」17号に乗れば、さすがに特急だけあって、太田駅の乗り換えだけで、伊勢崎駅に15時39分に着く。

 

「りょうもう」17号:東武動物公園14時29分→館林14時54分→太田15時13分

普通電車:館林14時34分→太田15時15分→伊勢崎15時39分

 

この館林14時34分発の伊勢崎行き普通電車が、16時14分発の高速バスに間に合う最後の電車で、館林駅では乗り換えられないけれども、「りょうもう」が太田駅で追いつくのが、この案の要であった。

 

 
ところが、「りょうもう」17号に乗れない場合は、久喜駅と館林駅で乗り継がなければならず、どう転んでも館林14時34分発の電車に間に合わない。

 

東武動物公園14時11分→久喜14時17分/14時18分→館林14時47分

東武動物公園14時31分→久喜14時37分/14時38分→館林15時07分

東武動物公園14時51分→久喜14時57分/14時58分→館林15時32分

 

東武動物公園からの下り電車は頻繁にあるのだが、どれも久喜止まりで、その先の電車も半数が日光線に乗り入れる。

伊勢崎線で館林に進む電車は1時間に3本、その先は太田駅で分岐して伊勢崎方面に向かう系統と、赤城駅に向かう系統に分かれるため、伊勢崎駅に行く電車は1時間に1本になる。

太田駅止まりの電車もあるが、接続する伊勢崎行きの電車はない。

 

館林14時58分→太田15時27分

館林15時33分→太田16時01分→伊勢崎16時26分

 

大手私鉄の路線でありながら、ここまで運転間隔が間延びするとは、まるでJRのローカル線のようである。

普段ならば、遠くまで来たものだ、と旅情に耽るところだろうが、この日はそれどころではなかった。

伊勢崎線は天下の東武鉄道の基幹路線なのに、電車の本数がここまで先細りになるとはけしからぬ、と憤慨しても、「りょうもう」17号に乗れないのであれば、どう足掻いても伊勢崎駅に着くのは16時26分で、予約した高速バスの発車後になる。


 
再びスマホを開いて時刻表を見れば、高速バスは、伊勢崎駅18時44分発の最終便がある。
心中を占めるのは、クレジットカード決済で支払いまで済ませた乗車券を、どのように払い戻せば良いのか、そして18時44分の便をまた予約し直すのか、という面倒な事柄ばかりである。
東京着が午後9時を回るけれども、まだ便が残っているだけマシ、と思うしかない。


先発する14時11分の急行に乗っても、14時51分の急行と同じ結果になるのを承知で、僕は重い足取りで改札をくぐった。

ホームで待つ間に、特急券はなくても、知らん顔で「りょうもう」に潜り込んでしまおうか、などという悪巧みが心に浮かんだが、ふと、ホームに置かれた特急券の券売機が目に入った。

覗いてみると、「りょうもう」17号はやはり「△」マークである。

駄目もとで「△」を押してみると、「降車駅をお選び下さい」と画面が転じたではないか。

さっきはこの段階で「満席」の表示になって終了したのだが、半信半疑で「太田」を選ぶと、「人数をお選び下さい」「御希望のボタンに触れて下さい『座席表から選ぶ』『どこでもよい』」などと、どんどん画面が進む。

ここで押し間違うと、元も子もないから、懸命に気持ちを落ち着かせながら、慎重にボタンを押すと、呆気なく特急券が打ち出された。

 

券面には、間違いなく「りょうもう17号」「東武動物公園→太田」と書かれているし、日付も間違っていない。

ぐずぐず座席など選んでいるうちに、また満席になってはたまらないから、「どこでもよい」のボタンを押したのだが、窓際席が取れたというオマケつきだった。

 

 

ベンチに座って辺りを見回せば、同じ構内風景でありながら、全く別の駅のように晴れ晴れと見える。

自販機のコーヒーが美味い。

天にも昇る心地、とは、このような気分なのか、と思う。

 
 『14時29分発の特急「りょうもう」17号は全車指定席です。特急券をお持ちでないお客様は御乗車できません。なお、本日は満席になっておりますので御了承下さい』

 

という放送が繰り返し流れたが、僕は胸を張って乗車できる。

殊勲甲の券売機を見ると、いつの間にかシャッターが閉ざされていた。

 

数人の駅員がホームに立ち、どうやら「りょうもう」は、乗車口を絞って検札を行うようである。

特急券を持たずに「りょうもう」に忍び込むなど、端から無理だったのである。

僕の近くに立ったのが、窓口で「『りょうもう』は朝から満席なんですよね」と言った駅員だった。

あれ、こいつはさっき特急券を入手できなかった客だよな、と怪しまれるのではないかと首をすくめたが、僕をちらりと見て、かすかに頷いたように見えた。

首尾よく特急券を手に入れたんですね、と祝福してくれたのかもしれない。

 
 
定刻に入線してきた「りょうもう」17号の座席に収まると、つい先程まで無理だと思い込んでいた旅程を、順調にたどれるのが、夢のようである。

南に面した左側の席だったので、容赦なく差し込んで来る陽射しのためにカーテンを開けられなかったが、惜しいとも思わなかった。

うつらうつらしながら過ごすうちに、久喜、館林、足利市に停車して、15時13分に太田駅に滑り込んだ。

 

ホームの向かいで待機しているのは15時15分発の伊勢崎行きで、僕が乗れないと諦めていた館林14時34分始発の普通電車である。

すっかり安堵したためか、疲れが溜まっていたのか、本格的に居眠りをした。

寝ぼけて途中駅で下車しそうになりながらも、無事に伊勢崎駅に辿り着いたのである。


 
伊勢崎駅も、カンカン照りの猛暑の中にあった。

バス乗り場の上屋の陰になっているベンチに座っても、日なたと暑さは全く変わらず、上屋からミストが吹き出しているのが救いである。

 

境町で高速バスを降りてから、不案内な土地を走る自動運転バスと路線バス、そして混雑する東武伊勢崎線特急と、この日は大冒険の連続だったな、と苦笑いが浮かんできたけれども、とにかく僕は、最終走者の東京行き高速バスに間に合う時間に、伊勢崎駅にいる。

 

 
冷や汗をかいたのは、停留所の時間表に、次の18時44分発の便が運休と書かれていたことである。

思わず「マジかよ」と声が出て、バスを待っている他の客が驚いて顔を上げた。

スマホで予約を入れた時に、3本の便に赤い「◆」マークがついていたのは気づいていたが、まさか運休の印とは思わなかったので、もし特急「りょうもう」17号に乗れなければ、伊勢崎に来ても全くの無駄足になるところであった。

 

高速バス東京-伊勢崎線は、開業の2年後に1日10往復から8往復に減便されたものの、運賃の値下げや停留所の増設などを経て、10年以上を走り続けてきた。

現在、1日5往復にとどまっているのは、新型コロナウィルス流行による乗客減少から、未だに立ち直っていないのだろうか。

別の欄に掲載されている群馬と仙台を結ぶ夜行高速バスも、「運休中」の紙が貼ってある。

運転手の深刻な人手不足と相まって、コロナ禍をきっかけに運休し、そのまま復活していない高速バスは少なくない。

 

 
世の中は、コロナ禍の痛手から復元しつつあり、盆の人出は流行前と同程度になると予想されていた。

特急「りょうもう」の混雑もその現れであろうし、高速道路も、この数年で最も渋滞がひどくなると言われていた。

 

旧盆が始まったばかりだから下り線の帰省ラッシュはあっても、上り線は大して混雑していないだろう、と楽観的に考えていたのだが、スマホの道路情報を見れば、三芳PA付近を先頭に十数キロ、通過に50分という渋滞が生じていた。

 

 
定刻に現れた高速バスは、驚いたことに、全席のカーテンを締め切っていた。

夜行バスかよ、とツッコミたくなったが、車体そのものが熱せられているのか、冷房の効きは今ひとつだった。

 

近年の我が国の最高気温の記録は、北関東の街で計測されている。

何を好きこのんで、災害級の猛暑の真っ只中に、最も気温の高い土地を旅したのか、と自嘲したくなるけれども、僕は旅の結果に満足していた。

 

 
伊勢崎駅前から南下する県道62号線は、伊勢崎市役所東交差点で国道462号線と名を変えて、利根川を渡る。

カーテンを少しだけめくってチラリと外を見るだけで、目を痛めそうな光の乱舞である。

乗客はカーテンを閉めれば済むけれども、運転手は大変だな、と思う。

 

そして、利根川の青々とした流れ。

そっとカーテンをめくり、濃緑色に染まる河川敷の鮮やかさを眺めながら、この日は利根川を遡って来たのだな、と思えば、利用した様々な乗り物から眺めた真夏の情景が脳裏に蘇ってくる。

 

 

バスは、本庄児玉ICから関越自動車道に入った。

渋滞の真っ只中の嵐山PAで一憩し、30分遅れの19時20分頃にバスタ新宿に着くと、乗客がどっと席を立った。


その先の甲州街道は、すっかり暮れなずんでいた。

御苑トンネル、四ッ谷駅前、麹町、半蔵門と歩を進め、皇居の外堀に映るビル街の灯を眺めながら、午後8時近くの東京駅八重洲北口バスターミナルに到着すると、バスから降りたのは僕1人だった。

 

 
 
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