【主な乗り物:多摩動物公園ライオンバス】
多摩動物公園のライオンバスのことを初めて知ったのは、幼少時代に読んだ絵本だったと記憶している。
青と白のツートンカラーに塗られ、大きな窓と、車体下半分の青色の部分にも窓がある、武骨なバスの絵には、子供心に胸をときめかした。
ライオンではなく、バスそのものに興味を持ったのだから、今に通じる乗り物好きの傾向は、幼いころから芽生えていたことが窺える。
写真ではなくて絵だったから、少々デフォルメして描かれていたのだろうと思う。
後になって実際の写真を目にすると、このようにのっぺりした外観ではなく、ゴツゴツとあちこちに凹凸があったような気がしてならない。
いつかは、ライオンバスに乗ってみたいと思っていた。
信州に住んでいた頃は、パンダを見に上野動物園に連れて行ってもらったことはあっても、多摩動物園に行くという話は全く持ち上がらなかった。
大きくなって一人旅をするようになってからは、他に乗りたい物が沢山あって、ほとんど忘れていた。
そもそも、動物園とは、1人で行く場所ではないだろう。
ところが、ふとしたきっかけで、妻と動物園の話になった時に、妻は多摩動物園に行ったことがあるというではないか。
「いいなあ、僕は上野は行ったことがあるけれど、多摩はないんだよ。あそこは、バスに乗ってライオンを見るんだよね。まだあるのかなあ」
「行ってみる?私も、上野より多摩の方が、雰囲気、好きなんだ」
「おお、ぜひ連れて行ってくれ!」
「ライオンを見たいの?それとも、バスに乗りたいの?」
「え?──も、もちろん、ライオン……」
可笑しそうな妻の笑顔の前に、思わず口ごもってしまった僕なのであるが、とある日曜日の朝、2人で勇んで出かけた。
その日は小雨がぱらつく肌寒い天候だったためか、10時少し前に着いた駐車場も園内も、人影は少なかった。
傘を出したり畳んだりするのが少しばかり億劫だな、と思ってしまうのだが、
「良かった。私が前に来た時は、メチャ混みだったもん」
「案外、山なんだなあ」
「そうだよ。上野と全然違うの。自然の中って感じで、いいでしょ?」
多摩動物園は、入場口を入ると、広い道路がすぐに坂道になる。
道端に生い繁る木々の緑が、雨に濡れて鮮やかである。
「さて、まず、ライオンバスだよね?」
「いや、別に、どこからでも」
「無理しないでいいよ。確かこっちだったと思うんだ」
と、妻に引っ張られるように丘を1つ越えると、いきなり目の前に、中東風の尖塔が出現した。
「わあ、懐かしい、変わってない!」
「どうして中東なんだ?」
「わかんない。中東にライオンっていないの?」
「いやいやいや、普通、アフリカでしょ」
「アフリカには、こういう建物はないの?」
「ううむ、知らない……」
妻と突っ込み合いながら、僕は道端にある「バス乗り場」に近づいた。
「どこ行くのよ?」
「え?いや、ライオンバスに乗ろうかなって」
「そこは園内のシャトルバス乗り場!ライオンバスはこっち」
と妻が指し示したのは、地下に潜っていく階段だった。
この尖塔に入るためには、地下通路に降りなければいけないらしい。
ライオン園の外でバスに乗ってから中に入っていくものと、何となくイメージしていたから、戸惑ってしまう。
ライオンバスは、ちょうど10時の便が発車した直後だった。
だいたい、20分おきくらいに運行されているようだ。
巷の地下道と何ら変わらない、殺風景な薄暗い通路を歩いていくと、正面にガラス張りの引き戸が幾つも並んでいる。
にこやかな係員さんの指示で、地下道の中で次の便を待たされた。
最初は何が何だかわからなかったが、ライオンバスが戻ってきて乗客が降り始めてから、ようやく仕組みが飲み込めてきた。
曲がりなりにも、この建物の外に、肉食の猛獣がたむろしている訳である。
ライオンバスは、このガラス戸の外に隙間なく横付けされる。
地下道をくぐって建物に入る構造も、ライオンと人間の領域をきちんと分け隔てるためなのだろう。
いつの間にか、僕らの後ろに列ができ、
「どうぞ、お乗り下さい」
と、係員に案内されてガラス戸をくぐっても、あまりに車体がぴったりとくっついているから、まるでどこかの観覧席に入ったみたいで、バスに乗った気分にならない。
車内には、両側の窓に向いたロングシートが背中合わせに置かれている。
僕らは最後部に陣取った。
後ろにもライオンバスが控えている。
白と黒の縞々のサファリ模様に塗られたボディを見て、子供の頃に見た絵本と、デザインがだいぶ変わったのだな、と思う。
まるでシマウマのようであるから、ライオンが獲物と思って狙ってくるのではないだろうか。
「それが狙いじゃない?だって、せっかくライオンバスに乗っても、ライオンが遠くにいるんじゃつまらないじゃん。バスの外にも肉をくっつけて、ライオンが近づくようにしているって聞いたよ」
と妻が言う。
初めての僕は周りをきょろきょろ見回しながら、感心するばかりである。
扉が閉まると、いよいよライオンの国へ出発である。
エンジン音が殆んど聞こえない、静かなバスだった。
あんまり音がやかましいと、さすがのライオンも、警戒して近づいて来ないのであろう。
建物の出口でいったん停止し、檻のように頑丈な鉄格子の扉が開くのを待つ。
後ろのライオンバスがだんだんと遠ざかり、するすると閉められた鉄格子の向こうに消える。
どのようなシチュエーションでも、バス旅は楽しい。
鉄道ファンとしても有名な紀行作家の宮脇俊三氏は、遊園地の豆汽車に乗るのも大好きだったというから、バスファンがライオンバスに乗ってはしゃいでも、罰は当たらないであろう。
いきなり、道端に、家族連れのライオンの姿が現れた。
寝転んでいるのは奥さんであろうか、子供であろうか、立派なタテガミのオスが、顔を近づけて毛づくろいをしてあげているようである。
バスの通り道を、子連れのメスが悠然と横切っていく。
近づくバスには目もくれない。
ここでは彼らと彼女らが主人公なのだ。
ぬうっと、バスの窓に顔を擦りつけるように近づくライオンもいる。
ガラスは強化されているのだろうが、僕らをエサと思っているんじゃないだろうかと、ちょっぴりヒヤヒヤする。
気分はすっかりアフリカのサファリ、というのは大袈裟で、周りにはライオン園を囲むコンクリートの壁が連なっているし、しとしとと、いかにもアジア風の雨模様だから、ここが動物園であることは隠しようもない。
しかし、次々と現れるライオンの予想以上の迫力に、僕も妻も、歓声を上げながら、夢中で見入っていた。
こんなに夢中になって動物に見入ったのは、何十年ぶりだろう。
すっかり童心に帰った気分である。
建物に戻って時計を見れば、十数分しか経っていないことに驚いた。
「とても面白かった!」
「うん、来てよかったよ。ありがとう」
「どっちが良かったの?」
「もちろん、ライオン!」
今度は、自信をもって答えられた。
ちなみに、ライオン園の建物についての種明かしも、園内の看板にあった。
ナイロビにある回教寺院をモデルにしたとのことである。
建物を出て、園内を巡る通路からライオン園を見下ろせば、ちょうど、次の便が出発するところだった。
敷地内を、縞模様のバスがゆっくりと動いていく。
ライオンの姿を求めて、時には、バックで方向転換したりするから、バスの動きを見ているだけでも飽きが来ない。
「ほら、片方の窓のお客さんだけしか見られないってことにならないように、向きを変えて戻っていくんだよ、きっと」
と妻が言う。
僕らの乗ったバスは、Uターンこそしなかったけれど、ぐるっと回って反対側から元の場所に戻ったり、左右の客が等分にライオンが鑑賞できるよう工夫しているのは、よくわかった。
バックしているバスに近づくライオンもいて、轢いてしまわないかと、思わず身を乗り出した時もあった。
気まぐれなライオンの動きに合わせなければならないから、運転手も大変だと思う。
多摩動物公園のライオンバスを運行しているのは、京王バスと聞いた。
多摩動物公園の歴史は、昭和33年5月の開園まで溯る。
当初は上野動物園の分園であったが、上野に比して約4倍もの広大な敷地を生かして、動物たちが自由に動く様を見せることを目指したと聞く。
当時としては最新の、無柵放養式展示を導入した動物園なのである。
ライオンバスが走り始めたのは、ライオン園が一般公開された昭和39年である。
初代園長の発案で、サファリ形式の観覧は、世界初の試みだった。
当時は、日本にこのような施設がなく、地域住民からの猛反発を受けたらしい。
何に反対を受けたのかピンと来ないのだが、昭和38年5月に運行開始予定だったライオンバスのデビューは、結局、翌年の夏までずれ込んだのである。
ライオンバスは特別製で、強化ガラス2枚の合せガラス窓、ライオン4頭(約1トン)が屋根に上っても充分な強度の車体、2両を背中合せにできる後部の非常扉、不燃性材料の客席、無線機やアンモニア銃の装備など、充分な安全性を備えている。
大人気のライオンバスであるが、平成28年4月から休止が決まっていることを、ここに来て初めて知った。
発着場の建物が耐震基準を満たしていないため、改築工事をしなければならないらしい。
地震で建物が損傷して、見物客のところにライオンが乱入する事態にでもなれば大ごとであるから、やむを得ないことである。
再開まで3年と言われているが、公式には未定とされている。
危なかった、と思う。
子供の頃から抱いていた夢をかなえるのが、ぎりぎり間に合ったわけである。
妻に感謝である。
まさか、復活しないということはないと思うけれど、いつの日にか、また、ライオンの国をバスで巡ってみたいと夢見ている。
↑よろしければclickをお願いします m(__)m