第10章 平成3年 真冬の北海道を駆け巡る長距離バス乗り継ぎ紀行~網走・札幌・室蘭編~ | ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

このブログへようこそお出で下さいました。
バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

【主な乗り物:高速バス「ドリーミントオホーツク」号夜行便、高速バス「白鳥」号】



北海道をバスで回った長旅の最後の夜を過ごすのは、前年の平成2年5月に開業したばかりの網走発札幌行き高速バス「ドリーミントオホーツク」号の夜行便である。 
網走バスターミナルに行くと、白地に赤と青のラインが入った三菱エアロクィーンが建物の横に待機していた。
この路線は北海道中央バス・北見バス・網走バスの3社が共同運行しており、この夜の担当は北見バスだった。


前もって電話予約をしてある旨を伝えて、窓口で乗車券を買い求めると、乗降口に立っている2人の運転手に乗車券を見せ、指定された座席に荷物を置いてから、再び外に出て一服した。
一方の運転手が、僕を一瞥して、乗客名簿を明かりにかざしながら、

「予約しているお客さんは、これで全員揃ったなあ」

と、ぽつりと呟いた。

「じゃあ、行こうか。5分前だけど」

と、もう1人の運転手が、吸っていた煙草を灰皿にぽんと投げ入れたので、僕は慌てて車内に戻った。
このような寂しい夜の街に置き去りにされるのは、真っ平である。



22時45分、「ドリーミントオホーツク」号は定刻の5分前に発車した。
早発する高速バスは珍しい。
大抵は、これ以上乗って来る客もいないような気配であるし、もう出発しようよ、と乗客が内心で思っていても、定刻まで粘って待つバスが殆んどである。
網走からの客数は僅かに4名で、薄暗い車内には空席が目立つ。
間際にターミナルに来て、乗せて欲しいと言う飛び込み客がいたらどうするのかと思う。

交替運転手が客席を振り返って挨拶し、ビデオで車内設備の説明が始まった。
「ドリーミントオホーツク」号は、前の8列が横3列独立シート、後方の2列が横4列シートで、定員は30名である。
フットレスト・レッグレストが付いたリクライニングシートはゆったりとして座り心地が良く、マルチステレオチャンネル、ビデオ、スリッパ、毛布、おしぼり、日本茶・ジュース・コーヒーといった飲み物、そしてトイレと車載電話など、当時の夜行バスの標準装備は全て備わっている。



毛布は各座席に配られている訳ではなく、網棚に重ねて置かれている。
次に停車した北見で乗ってきた隣りの席の男性は、僕がかぶっている毛布を不思議そうに見つめて、

「それはどこにあるんですか」

と聞いたものである。
「ドリーミントオホーツク」号は、夜行便だけでなく昼行便も運行しているので、そのままの状態になっているのかもしれない。

発車後、程なくして照明が減光されたが、読書灯が点かない。
これも昼行便で時々経験することである。
僕は本などを読む気力も残っていなかったから、全く気にしなかったが、1人の乗客がそれに気づき、

「すみません。ちょっと」

と何度も運転席に声をかけた。
ところが、2人の運転手は、

「いやあ、えらい雪が積もったなあ」
「俺も回送の時に驚いたよ。北見は道が乾いていたものな」

などとお喋りに余念がなく、聞こえないらしい。
ついに、その乗客は席を立って運転席を覗きこみ、読書灯のスイッチを入れてくれるよう頼んでいた。
乗客の側も、開業したての夜行バスにまだ慣れていないのか、読書灯のスイッチを入れるつもりで降車ボタンを押してしまう客がいたりする。

「皆さん、もう何回もお乗りになられて車内設備はよくご存じでしょうが」

と運転手が挨拶した「スターライト釧路」号に比べれば、初々しい雰囲気の夜行バスであった。



「ドリーミントオホーツク」号は国道39号線を南下していく。
雪が踏み固められた路面にチェーンの跡でも刻まれているのか、車体がガタガタと小刻みに揺さぶられる。
北国ならではの乗り心地である。
それが、いつしか子守歌のように感じられて、猛烈な眠気が襲ってきた。

ふと気づくと、バスは、北見バスターミナルに進入しようと大きく左折しているところだった。
暗闇の底に沈む市街地の路面は濡れているが、雪は全く見当たらない。
網走から56kmを走っただけであるというのに、北海道の天候の七変化には、何度も驚かされる。
本来ならば北見の発車時刻である23時55分に到着したので、網走を5分早発したことを考えれば、雪道だったためか、少しばかり遅れている。

道内有数の都市だけあって、ここからの利用客は多く、満席になった。
これで了解した。
仮に網走で飛び込み客がいたとしても、予約がいっぱいで乗せる余地がないため、遠慮なく早発したということなのであろう。

北見を出た時にはざわついていた車内が、再び元の静けさを取り戻した頃、僕は眠り鼻を起こされたので、かえって目が冴えてしまった。
消灯すれば眠れるだろうと思っていたのだが、メインの照明が消されても、天井に一定間隔で並ぶ小さなオレンジ灯が、いつまで経っても消える気配がない。
車内の隅々がぼんやり見通せる程度の明るさが残されている。
鼻先をつままれても分からない暗さが夜行バスの魅力と思っていた僕は、がっかりした。
完全に消灯した「オーロラ」号や「スターライト釧路」号の闇が恋しい。
さすがに4夜目の夜行で疲れがたまっていたらしく、それでもいつの間にか眠ったようである。



「ドリーミントオホーツク」号は、国道39号線で石北峠、大雪湖、層雲峡などの風光明媚な観光地を通過し、旭川鷹栖ICから道央自動車道へ歩を進めたはずである。
できれば、眺めの良い昼行便で走りたかったと思う。

次に目を覚ましたのは、道央道の砂川SAでの運転手の交替だった。
そっとカーテンをめくると、煌々と水銀灯に照らし出された広大な駐車場は、深い雪に覆われていたようだったが、眠気をこらえながらぼんやりと眺めただけだったので、はっきりと覚えている訳ではない。


 

午前5時45分、車内の照明が灯されて、こじ開けられるように瞼を開くと、間もなく札幌に到着する旨のアナウンスが流れた。
札幌中央バスターミナル、北2西3(法華クラブ前)の各停留所を予定より2~3分ずつ早めに通過し、終点の札幌駅前バスターミナルに着いたのは、定刻2分前の5時58分だった。
余裕のあるダイヤなのであろうが、雪道でも時間通りに到着させる運転手の力量には、今回の旅で何度感心させられたことだろう。
 

人気が全くないターミナル内の通路は、ところどころシャッターが閉め切られたまま、出口が判然とせず、車道を通って外に出るより他に方法がない。
運行指令室で、係員のおじさんが体操をしている。

建物の外の待機場には6時50分発の苫小牧行き、7時発の旭川行きの高速バスの姿が見られ、道内各地へ次々と高速バスが発車していくターミナルの1日の始まりを告げていた。



今回の旅もいよいよ終わりが近づいた。

3泊を夜行バスの車内で過ごし、日中もバス三昧で過ごした旅も、いよいよ最後の1本を残すのみとなった。

トリをつとめるのは、道南バスの札幌発室蘭行き「白鳥」号である。
室蘭からは、普通列車で東室蘭に出て、特急「北斗」6号で函館に向かい、盛岡で東北新幹線「スーパーやまびこ」に接続する特急「はつかり」22号に乗り継ぐ予定だった。





札幌と室蘭の間には、当時、道南バスの「白鳥」号が7往復、北海道中央バスの「高速むろらん」号が7往復、更にJRの特急列車「ライラック」が7往復がひしめき合っていた。
片道1800円・往復3400円と運賃が廉価な高速バスに乗客が移ってしまったことに危機感を募らせた国鉄は、特急自由席が往復割引になる4000円のS切符で対抗した。

その結果、S切符が設定されていない札幌と苫小牧の間では、距離が短いにも関わらず、特急利用で4180円という運賃の逆転現象が起きてしまったのである。
この時の苫小牧の対応が面白い。
国鉄に値下げを直訴するのではなく、北海道中央バスと道南バスに高速バスの開設を陳情し、その派生効果として鉄道の運賃が安くなることを期待したというのである。
札幌と苫小牧の間には、道南バスの「ハスカップ」号と北海道中央バスの「高速とまこまい」号が走り始め、国鉄のS切符も設定された。


†ごんたのつれづれ旅日記†-P1000578.jpg


札幌駅前バスターミナルの道南バスのホームは、午前7時を過ぎても閑散としていて、北海道中央バスの高速路線やJR北海道の市内路線が目まぐるしく出入りする他の乗り場とは対照的だった。
乗車券売り場にいた話し好きの係員さんが、今の気温はマイナス5℃と教えてくれる。

構内には、そのような寒さなど吹き飛ばしてしまうような熱気がこもっていた。
旭川、留萌、岩内、美唄、芦別、小樽などへ向かう様々な行き先を掲げた高速バスが次々と入線し、乗客を乗せては、エンジンを吹かして出発していく様は、見ているだけでも飽きが来ない。
それらのバスに乗って、終点の街を訪ねてみたいと思うけれども、僕にはもう時間がない。



7時15分頃になると、僕が佇むホームに、ぼちぼちと人が集まり始めた。
道南バス独特の、深みのある濃緑色を身にまとった7時20分発の登別温泉行き「おんせん」号が、10人ほどの乗客を拾って発車して行く。
その後を追うように、羽ばたく白鳥のイラストが美しい、真っ白なスーパーハイデッカーが静々と姿を現した。
ドイツ製ネオプランN116/2シティライナーの洗練された容姿は、噂には聞いていたものの、実際に対面してみると圧倒される。

旅の終わりを飾るために「白鳥」号を選んで良かったと思う。

 

国産車が多い我が国のバス業界で、会社のバスは珍しく、大半がヨーロッパ製であったが、後に韓国車も見受けられるようになる。

僕が外国産のバスに乗るのは、確か、2度目だったと記憶している。

初体験は、当時、名古屋と神戸を結んでいた日本急行バスの「ベンツ特急」だった。



乗り込んでみると、車内には背もたれの高いリクライニングシートがずらりと並んでいる。
横4列・縦12列で、トイレのスペースを除いて45人乗りとは、かなり詰め込まれた定員数であるが、前後の狭さを全く感じさせないことが不思議である。
日本急行バスのベンツ特急も、前後12列でありながら窮屈さが感じられなかった。
前後のデッドスペースが少ないことと、すっぽりと身体を包み込むような座席の構造がその理由であると聞いたことがある。

シートにはフットレストとレッグレストが備えられ、テレビ・マルチチャンネルステレオ・清涼飲料水の自販機・マガジンラック・トイレ・おしぼりも装備されて、北海道最後のバス旅は豪華に演出されている。



定刻7時30分になると、ターミナルの係員が、

「乗客数3人ね。じゃあ、気をつけて」

と手を挙げた。
どの路線でも朝の下り便は利用客が少ない傾向があるが、これだけデラックスなバスに乗っていると、何だか勿体ないような気分になる。

ターミナルビルから道路への出口では、JR北海道バスの旭川行き「高速あさひかわ」号と小樽行き「うしおライナー」号が、左右並んで一斉に飛び出した。
鮮やかな3路線同時発車はなかなか壮観である。

「うしおライナー」号は、この旅の数年前に、僕が初めて乗車した北海道の高速バスであるから、とても懐かしい。

当時は「札樽高速線」と呼ばれていたが、洒落た愛称を貰ったようである。



しばらく市街地を走るうちに、「高速あさひかわ」号は道央道札幌IC方面へ、「うしおライナー」号は札樽自動車道の札幌西IC方面へと袂を分かつ。
「白鳥」号は大谷地ターミナルを経由してから道央道に乗るのである。

朝のラッシュが始まり、街路は車で埋め尽くされている。
豊平川の橋梁を渡る頃に、砂塵に煙る建物の向こうから、くすんだ朝日が昇ってきた。
前日に根釧原野で拝んだ太陽とは比ぶべくもないが、それなりに心が暖まる。

高層アパートが何棟も視界を塞ぎ、道央道の高架をくぐって、7時55分に大谷地ターミナルに到着した。
ここでの停車は、上り便の急ぎの客が札幌市街での渋滞・遅延を避けられるように設けられたとのことで、市街地とは地下鉄東西線で結ばれている。
ここからの乗車は7名と札幌駅より多く、需要の大きな中間ターミナルになっていることがわかる。

 

7時57分に大谷地を発車し、「白鳥」号は、しばらく道央道の側道を平行して走った後に、札幌南ICからハイウェイに入る。
「-6.7℃」の気温表示が、窓外を過ぎ去っていった。
数字を目にするだけで身震いがしそうな冷え込みであるが、柔らかい日差しが差し込む車内は暖房も程良く効いて暖かい。

運転手が軽やかに次々とギアを上げ、ぐいぐいアクセルを踏み込んでいく。
高速バスのこの瞬間の加速感は、たまらなく爽快である。
札幌以北の高速道路より交通量が多いように見受けられるが、バスはすかさず追い越し車線に移動して更に速度を上げる。
ネオプランシティライナーの高速走行での安定感は素晴らしく、道路の継ぎ目によるショックも、横滑りのような車体のブレも、殆ど感じられない。
同じドイツ製でも、サスペンションが固めに感じたベンツ特急とはひと味違う乗り心地である。



 

「ドリーミントオホーツク」号が開業し立ての新路線であるならば、「白鳥」号は、日本でも有数の老舗路線である。
札幌と室蘭の間に長距離バスが走り始めたのは、昭和30年6月に遡る。
道南バスと北海道中央バスがそれぞれ特急バスの運行を開始し、高速道路が開通していなかったから、4時間かけて両都市を結んでいたという。

 

以下は、昭和30年6月2日付の室蘭民報の記事である。

『室蘭-札幌間134kmの道のりを結ぶ道南バス会社初の直通バスは、6月1日午前8時、室蘭駅前を札幌に向かって出発した。
この日は29日から降り続いた雨もカラリと晴れ上がり、まるで今日の門出を祝うような爽やかな朝だ。
バスは54人乗り大型ロマンスカーで、車内は五色のテープに彩られ、バスガイド嬢の声も一段と冴えて7、8人の試乗客を夢心地に誘う。
幌別を過ぎ、登別が近くなると、初夏の太陽が若葉に映えて一段と清々しいが、3日も降り続いた雨で、まるで算盤の上を走っているような激しい振動の連続。
この算盤道路も白老を過ぎてからはようやく本調子に返り、バスも徐々にスピードを増してきた。
車内では車掌やお客が“のど自慢”に花を咲かせ、和気あいあい。
10時かっきりに苫小牧に着いたが、ほんの20~30分にしか感じなかった。
苫小牧駅前で小休憩の後、10時05分同駅前を発車、男仏原野を一直線に千歳に向かって行くほどにバスの調子もいよいよ快調、千歳町の2kmほど手前で札幌から室蘭行きの中央バスに出会い、互いに今日の幸運を祈る。
11時05分に千歳に着く頃から雲が低く垂れ込め、俄か雨もパラついたが間もなく晴れて、弾丸道路を滑るようにして下った。
塵1つ見えないこの舗装道路を、超スピードで矢のように走る自衛隊の車や高級乗用車の交錯は、歓喜の一言に尽きる。
ひとたび恵庭、豊平に入れば、沿道に連なるリンゴの花が咲き始めてまるで絵のようだ。
この弾丸道路に入ってからバスの振動は全く感じない。
かくてエルムの都札幌には、定刻12時カッキリ到着。
4時間の道のりと思われない短い時間であった』

高度経済成長前の日本の道路の情景が目に浮かぶような文面である。
添えられた写真では、客船の出港時のようなテープが何本も窓から見送りの人々と繋がり、おらが町に長距離バスが走り始めた、という地元住民の喜びが伝わってくるが、車内でのど自慢大会とは、観光バスじゃないんだから、と、思わず苦笑させられる。



「白鳥」号には思い出がある。

僕が初めて北海道を訪れたのは昭和62年の夏休みで、大学の部活の合宿や大会が終わった8月中旬だった。
その年の4月に国鉄が分割民営化され、全国を「JR」のロゴをつけた列車が走り始めたばかりの頃である。
当時の僕は鉄道ファンだったので、道南周遊券を購入し、上野発の夜行急行「八甲田」の自由席に揺られ、青森で青函連絡船に乗り継ぎ、函館から札幌行きの特急「北斗」に乗り込んだのだが、洞爺駅で「北斗」を下車して洞爺湖に寄り道をして、路線バスで室蘭に抜けたのである。
鉄ちゃんに徹することなく、どうやら、観光をしようと思ったらしい。



室蘭駅で周遊券の旅に戻って、札幌行きの特急「ライラック」に乗ろうとしていた僕の前に、「高速白鳥号 札幌」と行先表示を掲げた濃緑色の日産ディーゼルスペースウィング3軸スーパーハイデッカーが現れた。

武骨な日本離れした外観は、まるでアメリカの大陸横断バス「グレイハウンド」を彷彿とさせ、北海道の大地を走るのにふさわしい長距離バスに思えたのである。
乗りたい、と身が焦がれる程に思ったが、僕は乗らなかった。
特急「ライラック」に乗りたいという、鉄道ファンの気持ちが勝ったのか、これ以上、周遊券以外の出費を費やす余裕がなかったのか。



緑色の「白鳥」号は、僕にとって一期一会になった。
あれから5年が経ち、念願の「白鳥」号に乗る機会が訪れた今回の旅では、純白のドイツ車に世代交代していたという次第である。


歓迎すべき進化に違いないけれど、室蘭のくすんだ街並みにぴったりと合っていたスペースウィング3軸車に乗りたかったという渇望は、今でも残っている。
その後、「白鳥」号は濃緑色の国産車に戻された。
高速バスへの投資が厳しい時代となり、高価な外車を購入する余裕がなくなって来たのだろうと察せられる。


†ごんたのつれづれ旅日記†-P1000428.jpg

 

「オーロラ」号が横3列シートになったり、「わっかない」号がスーパーハイデッカーに更新されたり、この旅の後に良くなった点も多々あるけれど、一方で、「わっかない」号で添乗員のサービスがなくなったり、旭川と稚内を結ぶ「すずらん」号が廃止されたり、「ねむろ」号が減便になっていたり、それは時代の趨勢でやむを得ないこととは言え、ファンとして寂しい限りである。

 

それだけに、北海道の長距離バスの全盛期であった平成初頭の旅の記憶は、僕にとってかけがえのない宝である。


†ごんたのつれづれ旅日記†-P1000471.jpg
†ごんたのつれづれ旅日記†-P1000596.jpg


真新しいネオプランシティライナーが、まだらな雪が斜面を覆う切り通しの中を走りこむうちに、左右に原生林が開けた。
広葉樹と針葉樹の混成林で、中でもトドマツが多いという。
100万都市札幌のすぐ近郊に、これほど奥深い森林地帯があるとは驚きである。
しかし、ベッドタウン化は着実に進んでいるらしく、広島町、恵庭市あたりでは、無残に切り開かれた赤土の造成地が目立つ。
昭和30年代に「白鳥」号が走り始めた頃は、このあたりの自然はもっと奥深く、豊かだったのかもしれないと思う。

千歳ICを過ぎると、左手に丘陵に囲まれた市街地が見え、上空を着陸態勢に入ったジェット機がゆっくりと舞い降りていく。
再び繰り返される原生林と造成地を眺めていると、100年あまりでよくぞここまで開拓したものと思うのだが、一方で、人間のやることが荒々しく感じられてしまう。
道北や道東では、厳しい自然に立ち向かう人々の逞しさに思いを馳せたものだったから、旅行者の心理とは勝手なものであると思う。
シカの絵が描かれた動物注意の標識が、まだまだ残されている自然の片鱗を伺わせる。



美沢PAまで1kmの標識が窓外を飛び去っていった直後に、不意に運転手がブレーキを踏みながら手を伸ばして、ハザードランプを点灯させた。
数百メートル先に黒煙が上がっている。
近づいてみれば、乗用車が中央分離帯に衝突して炎上している。
乗っていた人は無事だったらしく、電話をかけに行くのだろうか、道端をとぼとぼと歩いている姿が見えたから、胸を撫で下ろした。

苫小牧東ICを過ぎると、動物注意の標識がキツネの絵に変わった。
南東に向かってきた道央道は緩やかに右へ曲線を描きながら、太平洋の海岸線に沿って南西に針路を変える。
左手には、白煙が立ちのぼる工場群の煙突越しに、果てしない海原が陽の光を反射して金色に輝いている。
右手には、支笏・洞爺の冠雪した山々が遠望できる。



白老町に入ると、高速道路の両側に牧草地帯が開け、馬が放牧されているのが目に入った。
このあたりは道内有数の競走馬の産地である。

海岸線にそっぽを向いて、再び丘陵地帯に分け入り、トンネルを幾つかくぐる頃、室蘭を7時50分に発車してきた上り「白鳥」号とすれ違った。
続行便を従えて、2台ともほぼ満席の盛況である。

午前9時過ぎに、登別室蘭ICから一般道に降り、ダンプトラックがびゅんびゅん飛ばしている国道36号線に入った。
広く真っ直ぐな完全舗装の国道に、算盤道路と揶揄された30年前の面影は全く感じられない。



いよいよ旅の終わりが近づいてきたと思うと、寂しさが胸にこみ上げてくる。
バスに乗りに来たというのに、胸中に思い浮かぶのは、なぜか、旅の途上で出逢った人々のことばかりだった。

函館フェリーターミナルから駅へ向かう路線バスの中で、料金を受け取りがてら丁寧に整理券を配っていた運転手。
「オーロラ」号の改札で、僕が東京で購入した乗車券に戸惑いの表情を見せた運転手。
「わっかない」号で車内トイレに駆け込んだ運転手は、今日は乗務前にきちんと用足しを済ませただろうか。
「すずらん」号の陽気な運転手と添乗員は、今日も豪雪の国道40号線を行き来しているのだろうか。
「皆さん、何度もお乗りになられて」と、自信に満ちた口調で挨拶した「スターライト釧路」号の運転手や、発車前に深々と客席に一礼した「ねむろ」号の運転手。
根室交通331系統で、大きな札しか持っていなかった僕に「また乗った時に払ってくれや」と笑顔で言い切った胡麻塩髭の運転手。
釧路発美幌行きのバスが阿寒湖に立ち寄った時に、笑顔で言葉を交わしながら交替したベテラン運転手と若い運転手。
雪に埋もれたバス停を1つ1つ確認しながら、キビキビと雪道を走り抜いた美幌発網走行き路線バスの運転手。
網走を早発して僕を仰天させた「ドリーミントオホーツク」号の運転手。
そして、心なしか晴れがましい表情で新鋭の外車を操る「白鳥」号の運転手。

職人芸を思わせる確かな腕前と真摯な仕事ぶりで、道路状況が厳しい冬季であるにもかかわらず、大した支障もなく僕の旅を支えてくれた乗務員には、心から感謝したいと思う。


そして、最果ての長距離バス乗務員の振る舞いや雪道に、共に一喜一憂しながら乗り合わせた多くの乗客や、訪ねた街で巡り合った土地の人々。



幾許かの感傷に駆られた僕との別れを惜しんでくれたかのように、北海道の自然は、最後の魔術を見せてくれた。

室蘭市内に入って、開発局前、鷲別と降車停留所を通過していくうちに、あれほど晴れ渡っていた空が俄かに掻き曇り、雪が舞い始めたのだ。
みるみる路面が白く染まっていく。

 

意外と起伏に富んだ市内では、東町ターミナル、新日鉄前、御前水町、母恋駅前、市役所前、小公園前、中央町と、名前を聞くだけで旅心が盛り上がってくる停留所に「白鳥」号はこまめに停車していく。
車の数が多く、道路の流れは滞りがちである。
それまでの雄々しい高速走行とは一変したもどかしい走りっぷりだが、力強く大空を羽ばたいた後に、翼を広げて舞い降り、悠然と水面を泳ぐ白鳥に相応しい終幕だった。
乗客も手慣れたもので、自分の目的地が近い停留所で気軽に降りていく。



室蘭駅の手前で、9時30分発の上り便が、

「道南バス、こちら651です。室蘭駅前を6名で出発です」

と営業所に無線連絡をしている雑音混じりの声が、まるでタクシー無線のように、こちらのバスにも聞こえてくる。

定刻9時35分に、「白鳥」号は室蘭駅前に到着した。
僕はしばらく停留所に佇んで、ネオプランシティライナーが回送されて行く後ろ姿を見送った。
季節や天候が異なるためか、濃緑色に身を包んだスペースウィング3軸車を見送った数年前とは、全く別の街に来たような気がした。

足かけ3泊4日で、11本のバスを乗り継ぎながら北海道をひとめぐりした旅は、雪景色の中で、静かに終わりを告げたのである。


 

 

↑よろしければclickをお願いします。