紀伊半島飛び石バス紀行(5)~ホワイトビーチシャトル号で南紀白浜へ~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

平成26年6月の週末、外に立っているだけで辟易するような蒸し暑い夜のことである。
 
 
人々が雑多に行き交う池袋駅東口の高速バス乗り場に、今宵1晩を過ごす「ホワイトビーチシャトル」号が姿を現した時、ついている、と思わず小躍りしたくなった。
「ホワイトビーチ」などという海岸が日本にあったかしら、と一瞬思ってしまうが、直訳すれば「白浜」で、大宮を始発にして、池袋・新宿・横浜を経てから、紀伊半島西岸を経由して南紀白浜まで710kmあまりを疾駆する夜行高速バスの愛称である。
 
長距離を走る夜行バス路線は、発着するそれぞれの地域のバス事業者が交互に運行することが多い。
「ホワイトビーチシャトル」号は、首都圏側を西武バス、南紀側を明光バスが担当しており、僕のような一介の乗客にとっては、どちらのバスに当たるのかは運次第である。
 
 
西武の夜行バスには、何回か乗車したことがあった。
「ホワイトビーチシャトル」号と対比を成すかのように、紀伊半島東岸の町を結ぶ大宮・池袋-勝浦温泉間夜行高速バスも、西武バスが運行している。
勝手知ったるバスが来ることは、ハズレがない安心感にもつながるけれど、画一的に見える長距離バスでも、バス会社によって雰囲気は大きく変わる。
 
平成の初頭のこと、東京と長野を結んだ夜行高速バス「ドリーム志賀」号に初めて乗った時は、東京駅の乗り場に、子供の頃から乗り慣れた長野電鉄バスが姿を現しただけで、もう故郷にたどり着いたような気分になった。
 
「このバスは一路信濃路へ参ります」
 
との運転手さんの何気ないアナウンスに、望郷の念が猛烈に湧き上がってきたことが、今でも忘れられない。
東北へ向かう夜行高速バスで運転手さんが「おばんです」と挨拶したり、西へ向かう高速バスの案内がコテコテの関西弁だったりという経験もある。
 
それが思わぬ旅情をそそることも多く、全国一律のJRや航空機では味わえない旅の醍醐味だと思っている。
 
†ごんたのつれづれ旅日記†
 
「ホワイトビーチシャトル」号を見かけたことは、それまでに2回あった。
いずれも東名高速道路足柄SA下り線のことで、1回は、大宮・池袋・横浜から長駆福岡へ向かう「ライオンズエクスプレス」号の休憩中に出会った「ホワイトビーチシャトル」号は、緑色の明光バスの車両だった。
東京から白浜までバスで行けるようになったことは知っていたけれど、実物を目にすれば、無性に乗りたくなった。
 
昭和の末から全国的に高速バスの路線が増え始めた頃には、
 
「この街にもバスで行けるようになった」
「あんな地域にまで高速バス路線が延びた」
 
という新鮮な驚きに、わくわくする日々を送っていたものだった。
実際に、高速バスが通じたから訪れたという街は少なくない。
 
最近は高速バス路線網も飽和状態になったようで、未知の土地へ向かう新規開業路線は滅多になくなってしまったけれども、平成25年3月に開業した「ホワイトビーチシャトル」号は、久々に心が躍る新路線だった。
 
 
首都圏と紀伊半島の西岸地域をダイレクトに結ぶ交通機関は、羽田空港と南紀白浜空港を結ぶ航空路線を除けば、これまで存在したことがなかった。
開業の報を耳にして、一刻も早く乗ってみたくなったのも無理からぬことであろう。
「ホワイトビーチシャトル」号を初めて見た1年後に、ようやくその願いがかなったことになる。
 
2度目は徳島行き夜行高速バス「マイフローラ」号に乗っていた時で、白地にライオンズマークが描かれた西武バスだったが、ハイデッカータイプの車両だったから、背の高いスーパーハイデッカーを投入していた明光バスより多少見劣りがした。
ハイデッカーもスーパーハイデッカーも、乗り込んで眠ってしまえば乗り心地にそれほど違いはなく、ともすれば、車高が低いハイデッカーの方が揺れが少なかったりもするのだが、それでも、天井が高い客室にはゆとりがあるし、堂々たる外観と合わせて、比べてしまえばどうしても明光バス便に乗りたくなる。
 
その後、スーパーハイデッカーの白浜行き西武バスを見る機会もあったから、足柄SAで見かけたのは続行便だったのかもしれないけれど、池袋駅前に緑と白に塗り分けられた爽やかな塗装の明光バスが現れた時には、とても嬉しかったのだ。
 
 
開かれたスィングドアの前に集まった乗客の中で、そのようなことに喜んでいたのは僕だけだったろう。
他の乗客は至って事務的に運転手さんの改札を受け、かさばる荷物をトランクに預けてステップを上がっていく。
 
僕が指定された席はA-3で、3Aなどと座席番号を振ることが多い他社のバスと異なり、アルファベットと数字を逆に並べるのは西武バスが絡む路線に多い。
アルファベットを振らずに前方から1、2、3……28、29などと番号だけで表示するのは、近鉄バスが主導権を握る路線に見られる方法である。
 
 
このバスは20時ちょうどに発車する大宮駅が始発で、そこから乗車してきた客もいるのだろうが、僕が乗り込んだのは最後の方だったから、自席で一夜の準備を終えた客が、大宮から乗っていたのか、池袋からなのかという区別はつかない。
 
ほぼ満席の乗客を乗せて定刻20時40分に池袋を出発した「ホワイトビーチシャトル」号は、明治通りを南下して新宿に向かう。
 
煌びやかなネオンが車内に差し込んでくる池袋の繁華街を出て、目白台地を緩やかにカーブを描きながら下り、我が国でも初期の立体交差として知られる千登世橋の古風なアーチをくぐり抜けて、寄り添ってくる都電荒川線とともに、桜並木に縁取られた神田川を渡るあたりは、都心とは思えないほど潤いのある風景である。
学習院と早稲田大学がひしめく直線区間に入り、戸山団地を左に見ながら進み、伊勢丹の手前で靖国通りに右折すれば、今度は歌舞伎町のどぎつい照明が車窓を彩る。
JRの大ガードをくぐって新宿駅西口に至るルートも含めて、僕の自宅に程近い見慣れた沿道風景であるが、夜行高速バスの高い視点から見下ろせば、まるで別の街を走っているかのような新鮮さがある。
 
 
新宿駅西口ロータリーの片隅で乗車扱いをしている最中に、窓のカーテンを開けて、路線バスを待つ帰宅途上の人々を見下ろしていると、つい先程まで自分が身を置いていた日常生活が彼岸のことに思えてくる。
南紀白浜行きの夜行高速バスを見上げながら、路線バスを待つ人々がどのような思いを抱いているのか、その無表情さから伺い知ることは難しいけれども、こちらは遠くへ旅立つ喜びが一層強くなる一瞬である。
 
平成28年4月に営業を開始したバスタ新宿では、長距離バスやリムジンバスばかりが発着する訳だから、日常が同居する光景は皆無で、なかなか味わいにくい感慨かもしれない。
 
21時10分に新宿を発った「ホワイトビーチシャトル」号は、高層ビル街を抜けて首都高速4号線の新宿ランプに入り、首都高速環状線と1号羽田線、横羽線を経由して横浜駅に向かう。
前途は迂遠だと言うのになかなか首都圏を抜け出さないから、もどかしく感じる時間であるが、御苑、赤坂、六本木、芝といった都心部や、浜崎橋JCTでほんの一瞬だけ左手に広がる東京湾とレインボーブリッジ、お台場など、東京の夜景を存分に楽しむことができて飽きることはない。
 
 
22時10分発の横浜駅東口YCATバスターミナルを出ると、交替運転手さんが前方からひょっこりと顔を出した。
 
「皆さん、こんばんは。本日は明光バスの白浜行き夜行高速バスを御利用下さいましてありがとうございます」
 
と一礼しながら、車内設備と翌朝の到着時刻の案内が始まる。
その口調が朴訥かつ独特の抑揚があり、「7時」を「ななじ」と表現するあたりなどは、関西弁とも大きく違う紀州弁の味わいが満点で、和歌山のバスに乗っているのだな、と嬉しくなってしまう。
紀州弁の特徴として「さ行」「た行」「ら行」が混同されることはよく知られており、難波と和歌山市を結ぶ南海電鉄の特急電車「サザン」の車内放送では、
 
「でん車両だ席指定、特急『サダン』和歌山港行きでごだいます」
 
などというアナウンスを聞くことができたという。
 
「どうきんって漢字出てこやんわ!このパソコン壊れちゃーるわ!」
 
という台詞も紀州弁の一例としてよく取り上げられるが、「ホワイトビーチシャトル」号の運転手さんは、さすがに文字の混同は無かったものの、緊張しているのか、頑張って標準語を使おうとしているためなのか、たどたどしいアナウンスが逆に好ましい。
最近は録音による標準語の案内が増え、高速バスに乗って目的地の地域性を実感したのは久しぶりのような気がする。
 
 
車の波に揉まれるように保土ケ谷バイパスを北上し、横浜町田ICから東名高速道路に入ってからは熟睡した。
 
途中、足柄SAでの休憩でバスを降りて用足しを済ませた事はかろうじて覚えている。
「LIONS EXPRESS」号でも目にした奈良行き「やまと」号や、今治行き「パイレーツ」号、高松行き「ハローブリッジ」号などを見かけたことは、後で撮影した写真を見て思い出したくらいで、夢のひとコマのような消灯前の休憩の記憶である。
 
はっきりと目を覚ましたのは、翌朝、阪和自動車道紀ノ川SAで休憩した時だった。
和泉、岸和田、泉佐野など大阪湾岸の街を抱く河内平野と、橋本、貴志川などの紀ノ川沿いに開けた平地を隔てている葛城山系を越えた阪和自動車道が、和歌山平野に飛び出していく場所である。
 
霊山峰の山腹で眺めが良く、眼下に銀色に輝く紀ノ川の流れを一望しながら身体を伸ばせば、遠くまで来た、という実感がこみ上げてくる。
時刻はまだ午前5時半であるが、夏の陽は高く昇り、この日も暑くなりそうな予感がした。
なだらかな山並みに囲まれた和歌山平野も、強い日差しに照らされてゆらゆらと揺らめいている。
展望台に添えられた花壇に、色とりどりの花が咲き乱れている。
 
 
ここからは、大阪発白浜行き「白浜エクスプレス大阪」号で10年程前に走った懐かしい行程だが、「ホワイトビーチシャトル」号は細かい経路で若干の相違がある。
 
河川敷にこんもりと木々が繁る紀ノ川を渡り、和歌山市街の東側を南下して海南ICを降りた「ホワイトビーチシャトル」号は、JR紀勢本線海南駅で最初の降車扱いをする。
 
海南ICから再び高速道路に戻ったかと思うと、両側の車窓は、眩いほどの青葉に覆われた山肌に遮られてしまう。
長さ1830mの藤白トンネルをはじめ、1240mの下津トンネル、和歌山県内最長を誇る3831mの長峰トンネルと、長大トンネルが連続する。
平行する国道42号線や紀勢本線が海岸線に沿って大きく西に迂回する区間であるが、ハイウェイは内陸の山岳地帯を真っ直ぐに貫いていく。
有田ICからの湯浅御坊道路も同様で、地図を見れば、ジグザグに波線を描く鉄道に対して、高速道路は、和歌山市から御坊までほぼ一直線に伸びている。
 
 
有田川に沿って紀勢本線が右手から近づけば、険しい山越えも終わりを告げ、バスは有田ICで再び高速道路を降りて藤並駅に寄る。
 
続く御坊ICでも降車扱いをするが、海南、藤並、御坊の各停留所は、「白浜エクスプレス大阪」号では停車しなかったように記憶している。
「ホワイトビーチシャトル」号だけが立ち寄っていく3つの町には、かつて、JR紀勢本線から枝分かれするローカル私鉄があった。
海南市の日方駅から登山口駅まで行く野上電鉄、藤並駅と金屋口駅を結ぶ有田鉄道、そして御坊駅と日高川駅を結ぶ御坊臨海鉄道である。
 
野上電鉄は、たわしやロープなどの特産品を港のある日方町へ運搬することを目的として、大正5年に開業した。
有田鉄道は、沿線で穫れた木材や有田みかんなどの農産物を湯浅港まで運搬するため、大正4年に開業している。
 
いずれも紀勢本線が開通するよりも8~9年前のことで、成り立ちや開業時期など何かと共通点が多い2つの私鉄路線が、和歌山県南地域に近代交通の恩恵を初めてもたらした功績は大きい。
 
 
紀勢本線が開通したことで、野上電鉄では、日方駅の構内に「連絡口」と命名した駅を新たに設け、国鉄海南駅との連絡を図っていた。
しかし、モータリゼーションの影響で乗客数が減少し、平成6年に鉄道とバス路線の全線を廃止して、会社は解散してしまう。
 
有田鉄道も衰退の一途をたどり、平成13年には運転本数が1日2往復まで減らされて、「最も運行本数の少ない私鉄路線」として鉄道ファンに珍重されることになる。
晩年の利用者数は1日平均29人だったというから、平成14年12月に廃止されたのもやむを得ないことであろう。
 
 
一方、御坊臨海鉄道の開業は紀勢本線開通後の昭和6年で、町外れにある御坊駅と市街地を結ぶことが目的だった。
御坊と日高川の間の営業距離は3.4kmで、日本で最も短い私鉄であった。
 
鉄道ファンになりたてだった子供の頃に御坊臨海鉄道の写真を見て、あちこちが凹んだり錆び付いたりしている旧式な車両に、いつか乗ってみたいものだと胸をときめかした。
全国版の時刻表の片隅に掲載されたこの鉄道の欄を何回も繰り返し眺めたものだったが、ついに乗る機会には恵まれなかった。
 
昭和48年に、鉄道会社としての箔付けを欲した東京の不動産会社に買収されて紀州鉄道と壮大な会社名になったものの、平成元年には西御坊と日高川の間が廃止されて、営業距離は2.7kmと更に短くなってしまう。
 
統計上では、日本一営業距離が短い鉄道事業者としては、鞍馬山鋼索鉄道のケーブルカーの207mが筆頭であり、普通鉄道では南海電鉄線の末端区間に和歌山県が敷設した2.0kmの路線や、京成電鉄線の末端区間に敷かれた芝山鉄道の2.2kmが挙げられるが、いずれも他社路線の延長上に過ぎず、独立した路線としては紀州鉄道線が最短である。
不動産会社のサイドビジネスと成り果てているとは言え、1日20往復が運転され、年間利用客が10万人を数えるという現状は立派なものだと思う。
 
 
有田ICから御坊ICまでの19.4kmの区間は国道42号線のバイパスとして建設された湯浅御坊道路に変わるが、設計速度時速80kmの往復2車線構造で、阪和自動車道と一体化している。
 
御坊ICの手前の山中に、川辺ICが設けられている。
「川辺 日高川」と書かれた道端の標識に、釣鐘に炎を吹きつける大蛇の絵とともに「道成寺」と記された看板が付けられているのが目に入った。
 
室町時代に演じられた能の「道成寺」や、それを元に作られた歌舞伎の「娘道成寺」の物語は、子供の頃に父から概要を聞かされて、心に強く刻まれていた。
無性に怖かったのだ。
その舞台がここだったのか、と、居住まいを正す気分になる。
 
 
元となった安珍清姫の伝説は、「今昔物語」などにも著されている。
 
時は醍醐天皇の御代、10世紀初頭の延長6年夏のこと、奥州白河より熊野に参詣に来た僧の安珍は、大変な美形で、紀伊国牟婁郡真砂の庄司清次の館に宿を借りた際に、その娘清姫に一目惚れされる。
積極的に迫る清姫に、安珍は思わず清姫を抱き寄せてしまいそうになるが、自分は出家の身、妻を持つ訳にはいかないと思い直し、
 
「私は熊野詣の途中です。日々精進潔斎してここまで来ました。今ここで精進潔斎を破れば、神仏の罰が私と貴女の両方に下ることでしょう。熊野参詣を果たした後、ここに戻ってくるので、その時まで待って下さい」
 
と言い逃れ、熊野に参拝した後はさっさと別路で帰途についてしまう。
怒った清姫は裸足で追いかけて上野の里で追いつくが、安珍は、自分は別人であるなどと嘘を重ね、熊野権現に助けを求めて清姫を金縛りにした隙に逃げ出す。
清姫の怒りは天を衝き、遂に、火を吹きつつ川を渡る蛇の姿と化した。
道成寺で梵鐘の中に逃げ込む安珍であったが、蛇身となった清姫は鐘に巻き付き、安珍は鐘の中で焼き殺されてしまう。
そして、清姫も蛇の姿のまま入水したのである。
 
物語では「帰りに寄るから」と清姫を騙した安珍の因果応報とされているのだが、男の立場からすれば、修行中であることを忘れず、言い寄る女性を拒む行為は僧として当たり前で、殺されるとは酷すぎる、と、子供心に理不尽さを感じたものだった。
そんな疑問を抱きながら父の話に聞き入った幼少の記憶が呼び覚まされて、懐かしさとともに、紀州に来た、という実感が募る標識だった。
 
 
次の印南SAバスストップからは、「白浜エクスプレス大阪」号と共通の停留所になる。
ただし、印南SAから白浜まで、「白浜エクスプレス大阪」号は12ヶ所の停留所に停まっていくが、「ホワイトビーチシャトル」号は9つの停留所に絞っている。
印南SAは市街地からはずれた山の中腹だが、専用の駐車場が備えられて地元住民の便が図られている。
 
次の停留所のみなべ役場前に停まるために、バスは速度を緩めて、阪和自動車道みなべICを降りた。
コンビニと工場と農協の建物が並ぶだけの、何とも殺風景な停留所で、陽光だけが賑々しく跳ね回っている。
紀州梅で有名な「みなべ」が「南部」であることは、「白浜エクスプレス大阪」号に乗車した時に初めて知った。
「なんぶ」と読んでしまいそうな難読地名であるから、町ごと平仮名表記に変えてしまったのだろうか。
 
阪和道の終点は南紀田辺ICであるが、「ホワイトビーチシャトル」号は高速道路に戻らず、国道42号線・熊野街道で、海岸線に沿って走り始める。
右手には、ぎらぎらと日差しを反射する紺碧の太平洋が、車窓いっぱいに広がった。
濃緑色に覆われた山中の高速走行からの、鮮やかな色彩の変化は、夜行明けでうつらうつらし始めていた僕の眠気を吹き飛ばすのに充分だった。
 
 
芳養駅前バス停を過ぎると、国道の周囲が建て混んできて、大きな街に近づきつつあることが察せられる。
 
熊野大社の入口として「口熊野」と称され、武蔵坊弁慶の故郷、また、源平合戦で活躍した熊野水軍の根拠地としても知られる田辺市は、南国らしく陰影の少ない街並みだった。
車ばかり多くて、人通りが少ないのは、今やどの地方都市でも共通の現象である。
こんな狭い道をバスが通っていいのだろうか、と息を呑むような街路で、路駐の車をよけたり、対向車とのすれ違いに苦労しながら、市役所前、田辺駅前、つぶり坂と、市内停留所で少しずつ客を降ろしていくうちに、バスに残っているのは、わずか数人ほどになっていた。
さすが、和歌山市に次ぐ県内2位の人口を誇る街だけのことはある。
 
 
田辺まで来れば、終点の白浜町は、田辺湾を挟んだ反対側だった。
珊瑚礁の触角のように入り組んだ入江を右手に眺めながら、バスは国道42号線を離れて、田辺と白浜を隔てるなだらかな丘陵を越える。
幾艘もの漁船やレジャーボートが、波に揺れている。
 
海産物を扱う土産物店が並ぶとれとれ市場前を過ぎれば、次は白浜バスセンターである。
「ホワイトビーチシャトル」号の終点は、1kmほど先の新湯崎停留所なのだが、僕は次の乗り換えの都合から、ここで下車した。
 
時計の針は、定刻の7時56分より少しばかり早い、午前7時半過ぎを指している。
バスセンターが建つ街角は閑散として、バスを降りた数人の客が消えてしまうと、人っ子1人見当たらなくなった。
かすかに潮の香りを運んでくる風が、からりとして爽快だった。
 
 
 
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