ドリームスリーパー広島・東京号の贅沢な一夜~個室寝台の系譜を継ぐ最上級のおもてなし~後篇 | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

 
広島バスセンターを21時50分に発車した、全席個室の夜行高速バス「ドリームスリーパー広島・東京」号の走行距離は833.4km、12時間もの長旅である。
 
 
中国道を山陽道に乗せ換えて、新名神高速道路や新東名高速道路を使うことで、平成元年に誕生した「ニューブリーズ」号に比べて100km近くも短くなったのかと思う。
 
ビルの3階にあるバスセンターの連絡通路を下り、桜並木が囲む広島城の脇をすり抜けて、まばらに明かりが残るビルの谷間を東へ進む。
時々、路面電車とすれ違う。
車内では何人かの客が、おや、という表情でこちらを見つめているようである。
 
「ドリームスリーパー広島・東京」号の外観は確かに派手だが、それだけではなく、普通のバスでは座席が並んでいるだけなのに、1つの席が壁に囲まれている個室の構造も、充分に目を引くはずである。
窓は個室いっぱいの長さを占め、上下の高さも側面の3分の2を占めるくらいに大きいから、カーテンを開け放てば眺望は抜群である。
車内に差し込む街灯の眩しさが、他の客の迷惑になることを心配する必要もない。
 
逆に外から丸見えではないかと、普通のバスに乗っている分には気にならなかったことが気になって、僕は慌てて室内灯を消した。
 
 
広島駅の手前で、川面が黒光りする猿猴川を渡る頃に、交替運転手さんがこちらを振り返った。
 
「ドアに気をつけて下さいね。ストッパーがないから、バタンって閉まっちゃうんですよ」
「閉めといた方がいいですかね」
「そうですね」
 
言われた通りに扉を締めて、くつろぐことにした。
 
 
座席のリクライニングとレッグレストの調節は、窓際のパネルにある電動スイッチで行えるようになっている。
製造会社がロケット先端の形状からヒントを得て開発したというムアツクッションが枕、背面、座面、レッグレストを覆い、柔らかな無数の点状の突起で身体を支える構造は、血行を妨げず通気性も良いという。
「マイフローラ」号の布張りのシートや「はかた」号の革張りのシートよりも座り心地は確かに良い。
 
「ゼログラビティシート」は、座面が30度後ろに傾くように沈み、背もたれの角度は140度、そしてレッグレストを水平にしたリクライニング姿勢が売りである。
「ゼログラビティ」とは、無重力という意味である。
浮遊感を演出したいという設計者の意図は理解できるような気がするけれども、無重力という程ではない。
 
背もたれと座面がV字型を成しているから、他の夜行バスのシートのようにお尻がずり落ちないことは、大変有り難い。
中でも、レッグレストが水平であることが、最も楽に感じた点であった。
政治家やエグゼクティブが執務室の机の上に足を伸ばしてくつろいでいるシーンが、外国映画などに多く見られることを考えれば、それも頷けるというものである。
前後を僅か6列に減らしているだけあって、水平に足を伸ばしても充分に余裕がある。
 
座席に付属している安全ベルトは3点式で、若干窮屈ではあるけれど、安全面からやむを得ない。
 
ただ、「ゼログラビティシート」に座った姿は、端から見れば、蛙が仰向けに引っくり返っている姿に似ているかもしれない。
中国バスでは、この姿勢を「ゼログラ姿勢」と呼んでいるようで、命名のセンスはともかく、ワンタッチで「ゼログラ」状態になるスイッチまで備わっている。
 
色々と注文はつけたくなるけれども、日本の夜行バスにおける最上の進化を遂げた座席であることに、異論はない。
 
 
次の乗車停留所である広島駅新幹線口では、個室の扉を開けずに過ごしたから、様子がよく分からなかった。
個室のバスにおける唯一の難点は、視界が限定されることである。
進行方向右側の部屋にいる人間に、左側の乗り場が見えるはずもない。
 
乗車した客がいたのかいなかったのか定かでないまま、数分で発車すると、駅前ロータリーを出ないうちに、
 
『本日は、数ある交通機関の中で「ドリームスリーパー広島・東京」号をお選びいただいて誠にありがとうございます──』
 
と、無機質な録音ではあるものの、よく通るテノールの男声アナウンスが流れ始めた。
それを聞き流しながら、今夜、数ある交通機関の中からこのバスを選択した乗客は何人いるのだろう、と気になった。
広島バスセンターで運転手さんが広げていた乗客名簿が、よくは見えなかったものの、真っ白だったことを思い出す。
このバスの始発地は20時40分発のアストラムライン中筋駅バスターミナルだから、個室に閉じこもっている先客がいないとは限らない。
 
 
コンコン、とノックの音が聞こえて扉を開けると、交替運転手さんが紙袋を差し出しながら通路に跪き、
 
「開業記念です。どうぞ。何か分からないことがございましたらお聞き下さい」
 
と笑顔を浮かべている。
身を低くして乗客と同じ目線を心掛けている姿勢は「マイフローラ」号でも経験したことで、好ましい印象である。
思わず、今日の乗客は何人ですかという言葉が口から出かかったが、さすがに躊躇した。
 
「ありがとうございます」
「何かございませんか?」
「ええ……大丈夫、だと思います」
 
「マイフローラ」号では何か聞いたのだっけ、と頭をめぐらせながらも適当な質問が思い浮かばず、間が持たないやりとりになってしまったから、運転手さんは心なしか物足りなさそうな表情で、扉を閉めた。
 
 
改めて室内を見回してみれば、毛布やスリッパをはじめ、窓際の収納ケースにはウェットタオル、歯ブラシ、アイマスク、マスク、耳栓、ヘッドホン、充電用のUSBコードなど各種の備品が揃い、窓際にはイオン発生器「プラズマクラスター」が置かれている。
毛布とヘッドホン、USBコード以外は持ち帰り自由である。
 
オリジナルデザインのミネラルウォーターもあったから、わざわざ地下街まで往復してコンビニを探す必要はなかったか、と苦笑した。
 
扉の脇の壁には、装備の説明が細かく記された立派なパンフレットが架けられているから、運転手さんを煩わせるまでもない。
これで聖書が置かれていれば、ホテルと変わらない。
 
 
前方の壁にはテーブルが畳み込まれている。
備え付けのパンフレットには、『食事やビジネスなど、ストレスなく様々な用途にご利用いただけます』とテーブルについて説明されていた。
 
高速バスのテーブルは、肘掛けから引き出したり前席の背もたれの裏に付いている簡易で小型のものが多いから、広い空間を生かした大型テーブルをアピールしたい気持ちはわかるけれども、少しばかり虚を衝かれたのは事実である。
夜行バスの車内で、その気になればビジネスが出来る、とは前代未聞の発想ではないだろうか。
 
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昭和44年に国鉄の夜行バス「ドリーム」号が登場した頃のチラシに、
 
『明日のスケジュールが楽になりました 今夜はドリーム号でお休み下さい』
 
と、ビジネス客向けに宣伝されていたことを思い浮かべてしまう。
 
横4列シートに詰め込まれて、隣りや前後の客同士で譲り合い気を遣いながら過ごした懐かしい一夜のことを思えば隔世の感があるけれど、「ドリーム」号は、あくまで、夜行で移動して昼間にお働き下さい、と運行時間帯について言及していたのであって、車内で仕事が出来るようにしましたという「ドリームスリーパー」とは趣旨が異なる。
移動時間も惜しんで仕事をするとは、あたかも高度経済成長期に引き戻されたような気分である。
 
僕は、就寝までの毛布置き場にしてしまったのだけれど。
 
 
パンフレットの冒頭には、このバスのコンセプトが記されている。
 
『快眠バス「DREAM SLEEPER SUPERIOR CLASS」は、ご乗車くださるお客様に心地よい眠りと上質なリラクゼーションをお届けすることをメインコンセプトとした、新発想の高速乗合バスです。
ひと晩かけて長距離を移動する車内でのストレスを少しでも和らげたい、心安らぐひと時をお過ごしいただきたいという強い思いを乗せて、お客様を安全に目的地までご案内いたします。
これまで採用されてこなかった様々なファシリティを導入することで、移動しながら“心地よい眠り”を手に入れるという新時代の移動空間が実現いたしました。
そこにあるのは「安全・安心・エコで健康」な視点です。
それは人と乗りものとの新しい関係を築き、やがて高速乗合バスの新しいスタンダードとなります。
では、ごゆっくりお寛ぎください』
 
また、目玉商品としての個室については、
 
『ブラック&メタルとブラウングレイン(木目)のコントラストが上質でホテルのような落ち着きのあるリラクゼーション空間に仕上げました。
また環境に配慮して、各種LED照明を採用しております。
居室内にダウンライトと間接照明(前壁上方向)の2つの照明器具を採用いたしました。
お客様のお好みで最適な明るさに調整いただくことにより気持ちが癒されリラックスしていただけます』
 
と描写され、
 
『デザインが優れたものに贈られる、公益財団法人日本デザイン振興会主催のグッドデザイン賞2016年を受賞いたしました』
 
と誇らしげに締めくくられている。
 
 
わざわざ訪問してくれた運転手さんに、凄いバスですね、と愛想くらい言えば良かったかな、と悔やんでいるうちに、バスはぐいっと角度をつけて急坂を登り始め、高架道路で速度を上げた。
標識は確認出来なかったが、府中ランプから広島高速2号線に乗ったのではないかと思う。
 
そのまま東広島ICで山陽道に入り、バスの走りが安定する。
窓外を流れるのは、切り通しの暗い斜面ばかりである。
瀬戸内海の海岸線近くまで張り出した山中を行く山陽道には、トンネルも多い。
 
 
漆黒の闇に包まれた車窓に見るべき景色など何にもないけれど、豪華な座席で1人くつろぎながら、茫然と時が過ぎていくという状態には、この上ない贅沢さを感じる。
このような時間を日常生活で確保しようとしても、なかなか出来ることではない。
 
だからこそ、僕はバス旅を選んだ。
 
Free Wi-Fiが備わっているから、テーブルを使ってスマホやタブレット、またはパソコンを開くことは可能だが、どこでも出来るような暇潰しで時間を費やすことなど、実に勿体ない。
せっかく日本で最も贅沢な高速バスの客になったのだから、東京までの一夜を心ゆくまで楽しみたいと思う。
 
「ドリームスリーパー広島・東京」号は、福山西ICでいったん高速を降り、国道2号線を東へ進む。
広島市内よりも灯が少ないが、道端に連なる黒々とした家屋の陰影から、福山市内に入ったことが窺える。
 
ここは曾遊の地である。
「メイプルハーバー」号も途中停車したが、印象深いのは、平成17年に「弥次喜多ライナー」号で訪れた時のことだった「日本一の長距離を走った昼行高速バス弥次喜多ライナー号で東海道・山陽道中バス栗毛」)。
 
 
横浜を早朝7時30分に発ち、町田を経由してから福山に18時21分、広島に20時17分に到着する、昼行便としては日本最長距離を踏破する高速バスで、未だにこの記録は破られていない。
「ドリームスリーパー」といい、「弥次喜多ライナー」といい、独創的な路線を次々と世に送り出す中国バスとは、面白い会社だと思う。
ただ、ここまで酔狂な旅を選ぶ客は少なかったようで、開業後たった7ヶ月で消えた、薄命の高速バスだった。
 
「弥次喜多ライナー」で福山に着いたのは、11時間を走り詰めだったバス旅の終盤である。
半ば朦朧とした眼で眺めた黄昏の福山駅前は、賑わっているようでありながらも灯りに乏しく、翳りを帯びた雰囲気だったことが脳裏によみがえる。
その時、バス乗り場に掲げられている古びた広告に、時が止まったかのようなレトロさを感じたものだったが、日付が変わろうという深夜に立ち寄った「ドリームスリーパー広島・東京」号の窓に映る駅前は、人影もまばらで、一段と寂しかった。
 
 
じっと耳を澄ませていたが、客が乗ってくる気配は皆無である。
23時50分の発車時刻を過ぎても、なかなか動き出そうとしないから、少しばかり不安になった。
 
「どうしましょうか」
「うーん」
 
かすかに2人の運転手さんの会話が聞こえてくる。
予約した客が来ていないのだろうか。
 
誰か乗って来い、と念じながら午前0時を数分過ぎた頃に、扉が閉められて、車内に流れ込んでいた外の雑音がぴたりと途絶えた。
 
こうなると、胸中に1つの疑念がどうしても湧き上がってくる。
今夜、「ドリームスリーパー広島・東京」号上り便の客は、もしかすると僕1人なのではないか。
本当にそうならば、夜行高速バスを貸し切るとは、前代未聞の珍事である。
夜を徹してハンドルを握る運転手さんたちも、さぞかし張り合いのないことであろうと、気持ちが重くなる。
 
 
福山東ICから山陽道に復帰したバスは、0時40分に吉備SAへ滑り込んだ。
ステップで靴を履いて外に出たのは、僕だけである。
 
「何時に出発します?」
「50分ですね」
 
休憩時間を確認してから小用に往復し、夜空を見上げて大きく深呼吸していると、視界の隅で、運転手さんが僕の姿を目にして車外に出て来るのが見えた。
そのまま直立不動で佇みながら、ホテルのドアマンのように、僕を待っている様子である。
 
「ドリームスリーパー広島・東京」号の客となってからの数々のおもてなしには、恐縮してばかりであるが、根が貧乏性だから鷹揚に振る舞うことは苦手で、逆に窮屈に感じてしまう。
今にして思えば、不審者が侵入しないように見張っていたのかもしれないが、それだけならば運転席に座っていればいい話である。
発車時間ぎりぎりまで夜風に吹かれてのんびり一服したいと思っていたのだが、運転手さんが気の毒で落ち着かず、早々に切り上げて車内に戻ることにした。
 
その先は、カーテンを閉め切り、ゼログラ姿勢で熟睡した。
 
最初のうちは壁の上部の磨りガラスから差し込む通路の明かりが眩しかったが、間もなく消灯したようで、備えつけのアイマスクを使うこともなかった。
 
 
減速の気配に目を覚ますと、バスは高速道路の本線から出入路に逸れようとしていた。
直線的に長い坂を登っていく道路の造りに見覚えがあり、浜松の近くの新東名高速道路遠州森町PAではないかと思った。
腕時計の針は午前6時30分を指している。
運転を交替するための停車で、床下の仮眠室の扉が開け閉めされる音がかすかに聞こえた。
 
「休憩はここだけですよ」
 
と、昨夜の吉備SAで運転手さんに告げられたことを思い出した僕は、車内トイレで朝の用足しを済ませることにした。
 
 
両側を壁に遮られた通路の照明は消されたままで、通常のバスよりも深い暗闇に包まれていた。
 
車内中央部の右側に設けられたトイレは、清潔ではあるものの、拍子抜けしたことに他の夜行バスと変わらない構造で、客室から1段低い穴蔵のような手狭さである。
ホテルのように広々としていた「マイフローラ」号のトイレと比較してしまうが、揺れるバスでは狭いトイレの方が転倒の危険性が少なく安全だと聞いたことがある。
 
客室最後部にはパウダールームが設けられて、こちらも「マイフローラ」号よりこぢんまりとしているけれど、気持ち良く洗面できたから新鮮な気分になった。
 
 
東名高速道路よりも奥まった山中を走る新東名高速の車窓は、山また山である。
山の端の木立ちからチラチラと除く朝の太陽が眩しい。
日は既に三竿、と言う。
それほど寝坊した訳ではないけれど、静岡県内を東へ走り込む「ドリームスリーパー広島・東京」号から見上げたお日様は、10本の竿を繋げても届かない高さだった。
 
日が長くなったな、と思う。
 
 
夜行で旅する場合には、朝早く叩き起こされて急かされるように目的地で降ろされるダイヤよりも、とろとろと半覚醒のような時間を過ごしながら、少しばかり遅めの時間帯に到着する方が、僕の好みである。
だから、「ドリームスリーパー広島・東京」号のゆったりと過ごせる朝のひとときは嬉しいのだが、少々気がかりでもある。
 
中筋駅21時40分-広島バスセンター21時50分-広島駅22時00分-福山駅23時50分-水道橋東京ドームホテル9時20分-大崎駅9時45分
 
大崎駅21時50分-水道橋東京ドームホテル22時30分-福山駅7時25分-広島バスセンター9時35分-広島駅9時45分-中筋駅10時00分
 
という運行ダイヤでは、翌日に仕事を控えた人間には使いづらいのではないだろうか、と思う。
広島・東京ともに最終の新幹線や飛行機より2時間ほど遅い発車であり、中国バスのHPには『終電を逃してもドリームスリーパーで帰れます!』と書かれているから、そのような需要を狙っていることは理解できる。
 
 
ちなみに、「ニューブリーズ」号の現時点での運行時刻は以下の通りである。
 
広島バスセンター20時20分-広島駅20時35分-西条駅21時40分-新宿バスタ7時35分-東京駅8時05分
 
東京駅20時00分-新宿バスタ20時45分-西条駅6時30分-広島駅7時35分-広島バスセンター7時50分
 
「ドリームスリーパー広島・東京」号より2時間ほど早い時間帯で運行されているから、新幹線や飛行機と出発時間は同じということになる。
 
レールウェイライター種村直樹氏が、広島を19時に発車していた開業日の上り「ニューブリーズ」号に試乗した記録を読んだことがあり、文中に登場する女性客の1人が、
 
「同じ時間に出る新幹線を使えばその日のうちに着いちゃう訳だし、考えちゃうわね。またバスを使うかどうかは、時間と財布と相談して」
 
と話していたことを思い出す。
 
この開業初便は、事故渋滞と朝のラッシュに巻き込まれ、大幅に遅延して東京駅に着いた。
28年前の開業当初に比べて、現在の下り便はほぼ同じ時間帯でありがら、上り便の発着時刻は1時間以上繰り下げられている。
 
各地から東京に向かう上りの夜行バスは、東京近辺での朝の渋滞を避けるために地方を早めに発車したものだったが、最近はその傾向が減って、このような通勤ラッシュの真っ只中で定刻に到着できるのか、と心配になるダイヤが増えたようである。
東京近郊の高速道路の車線拡張工事や、首都高速中央環状線などの完成により、平日朝の渋滞が緩和してきているのだろうか。
 
 
かつての寝台特急列車はどうだったのかと、昭和63年の時刻表を紐解いてみれば、
 
あさかぜ2号:広島20時00分-東京7時25分
あさかぜ4号:広島22時07分-東京9時30分
富士:広島22時35分-東京9時58分
はやぶさ:広島22時43分-東京10時09分
みずほ:広島23時48分-東京11時00分
さくら:広島0時10分-東京11時26分
 
みずほ:東京18時05分-広島4時58分
富士:東京18時20分-広島5時25分
あさかぜ1号:東京19時05分-広島6時19分
あさかぜ3号:東京19時20分-広島6時35分
(下りさくら・はやぶさは広島通過)
 
と、上りは「ドリームスリーパー広島・東京」号に近い遅めの列車が、下り列車は「ニューブリーズ」号に近い時間帯の列車が多い。
 
 
思い起こせば、僕が生まれて初めて広島まで出かけたのは、寝台特急「あさかぜ」のA個室寝台であった。
あの頃、寝台特急の広島-東京間における個室利用の運賃総額は2万7800円で、学生時代の僕には身分不相応の贅沢だった。
 
「ドリームスリーパー広島・東京」号の運賃は2万3500円である。
「ニューブリーズ」号が1万1900円、新幹線の普通車指定席が1万8040円であることを考えれば、新幹線よりも高額という点で、「ドリームスリーパー広島・東京」号は従来の高速バスの常識を超越しているのだが、寝台特急の個室に相当すると思えば納得できるのではないか。
 
利用客の減少により、上記の寝台特急列車は全て廃止されてしまったけれど、「ドリームスリーパー広島・東京」号の乗り心地は、往年の個室寝台に匹敵すると僕は思う。
運転手さんたちの気配りに溢れた持てなしは、ホテルや豪華客船の接客係を彷彿とさせて、間違いなくどの夜行交通機関よりも優れている。
 
 
1ヶ月前の平成29年3月には、広島線と同じ車両を投入した「ドリームスリーパー東京大阪」号が、関東バスの手により東京と大阪の間に登場した。
こちらの運賃も新幹線より高いと話題になったが、「マイフローラ」号や旧「ドリームスリーパー」号、そして「はかた」号の実績を踏まえて、相応の設備を整えれば高額でも需要はあるとの読みなのであろう。
 
「マイフローラ」号を生んだ海部観光の社長は、「現代の寝台特急」をイメージしたとインタビューに答えていた。
 
寝台特急列車から夜行高速バスへ、連綿と受け継がれてきた個室の系譜の正統な後継者が、「ドリームスリーパー」なのだと思う。
 
 
高速道路が海岸に近づき、山裾の合間から眺望が開ける沼津付近では、山肌を靄が這い、煌めく海の向こうに伊豆の山々が霞んでいる。
御殿場JCTで東名高速に合流すると、静かな走り心地だった新東名高速に比べて、暴れ馬のように揺さぶられるが、手綱を引き締める熟練した騎手のように、バスを手なずける運転手さんのハンドルさばきは微塵も揺らがない。
 
ぼんやりと過ごすうちに時間の感覚が麻痺したようで、居眠りしたのかもしれないけれど、気づいたら多摩川を渡って首都高速道路3号線に入っていた。
タイヤを鳴らす路面の継ぎ目の間隔が短くなる都市高速道路特有の感触に、東京に戻ってきたことが実感される。
 
「本日は水道橋東京ドームホテルを御利用のお客様がいらっしゃらないようですので、大崎バスターミナルに直行致します」
 
と交替運転手さんがアナウンスする。
大崎に向かうのならば、大橋JCTで首都高速中央環状線に入って五反田ランプで降りるのが順当か、と思ったが、バスはそのまま直進して都心環状線に乗り、首都高速2号線に分岐した。
水道橋に寄る経路で免許を取得しているのだから、客がいないからと言って近道する訳にはいかないのだろう。
 
 
大崎バスターミナルに向かうのも、バスで首都高速2号線を走るのも、初めての経験だった。
品川区に長く住んでいたから、とても懐かしい車窓である。
 
かつてこの道を走っていたバスと言えば、都営バスと東急バスが運行していた「東98」系統東京駅-等々力操車場線を思い出す。
2扉一般車両の普通の路線バスにも関わらず、通勤目的なのか、平日朝の上り便だけ首都高速2号線を経由していたのである。
 
いつか乗って見たいものだと思っていたものの、いつの間にか高速経由便だけが消えてしまったから、「ドリームスリーパー広島・東京」号のおかげで少しは無念を晴らすことができる。
 
 
目黒ランプで高架下の地平に降りると、録音されたテノールの男声が丁寧に到着案内を始め、
 
「皆様にとりまして本日が良き1日となりますよう、乗務社員一同、心からお祈り申し上げます」
 
と締めくくった。
 
山手通りから狭隘な側道に入り込む大崎駅西口バスターミナルでは、3つの乗車バースが新潟行き「WILLER EXPRESS」、成田空港・芝山行き「成田シャトル」の京成バスと千葉交通バスで塞がっていた。
 
 
若い係員が近づいてきて、
 
「今、ちょっとあいてないもんで……」
 
と愛想笑いを浮かべる。
 
「えー?1人降ろすだけなんだけど」
 
運転手さんの返事を耳にして、やっぱり乗客は僕だけだったのか、と一晩抱き続けていた疑問が氷解した。
日本一高級なバスを独り占めしたとは、贅沢な旅をさせて貰ったものだと思う。
 
「じゃあ、そこの0番につけちゃって下さい」
 
係員に誘導されて、通路を兼ねたバースに横付けした「ドリームスリーパー広島・東京」号は、僕1人を降ろすと、そそくさとターミナルを出て行った。
 
 
晴れ渡った真っ青な青空の下で、ターミナルの敷地に咲く満開の桜が目にしみる。
首都高速の沿線にも、ビルの谷間で咲き誇る桜が目立った。
東京を出た時の桜は五分咲きだったが、福岡や広島では、盛りを過ぎた葉桜が多かった。
 
春は、この週末で一気に東京まで押し寄せてきたようだった。
 
 

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