夜を駆ける強者たち~横浜-徳山間夜行高速バス ポセイドン号 2泊3日の記録~前編 | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

かつて、「海神」の名を冠した高速バスがあった。
平成2年12月に開業した、横浜と岩国・徳山を結ぶ「ポセイドン」号である。
 


当時は全国に高速バス路線が次々と登場していた時代だった。
昭和53年に、人口が大阪市を抜いて我が国第2位の大都市となった横浜市を発着する高速バスも、相次いで開設されていた。

平成元年2月:奈良行き「やまと」号
同年3月:大阪駅行き「ハーバーライト大阪」号、大阪上本町行き「ブルーライト」号、名古屋行き「ラメール」号
同年7月:京都行き「ハーバーライト京都」号、田沢湖行き「レイク&ポート」号、金沢行き「ラピュータ」号
同年12月:和歌山行き「サウスウェーブ」号、広島行き「赤いくつ」号
平成2年4月:弘前行き「ノクターン」号
同年5月:神戸行き「アンカー」号
平成2年7月:盛岡行き(愛称なし)
同年12月:飯田行き「ベイブリッジ」号、高松行き「トリトン」号、徳山行き「ポセイドン」号
平成3年11月:新潟行き「サンセット」号
平成9年10月:広島行き「メイプルハーパー」号
平成17年9月:仙台行き「ドリーム横浜・仙台」号
同年10月:広島行き「弥次喜多ライナー」号
平成18年10月:福島行き「ドリームふくしま・横浜」号
平成20年3月:秋田行き「ドリーム秋田・横浜」号

その他、平成元年9月の品川発横浜経由名張行き「いが」号を皮切りに、東京など首都圏各地を起終点にして横浜を経由する路線も増加している。

 

 


そんな最中の、平成3年のことである。

長距離高速バスの旅の魅力に取りつかれていた僕は、大学のレポートで、夜行高速バスの運転手さんの疲労調査を行うことを思い立った。
前の年の10月に、新宿と福岡を結ぶ営業距離1161kmの夜行高速バス「はかた」号が開業し、医学的見地からも安全性の検討が成されたという時事的な話題も、動機の1つである。
一方で、個人的には、趣味と実益を兼ねていたことも否定しない。

4人の友達とグループを作り、首都圏の複数のバス事業者に依頼したところ、横浜に本社を置く相模鉄道バスが、協力してくれたのである。
多客期で忙しい時期でもあり、また、不都合な結果でも出たら困るから、と尻込みする事業者が少なくなかったから、相鉄バスの申し出は、とてもありがたかった。
調査は、 日本産業衛生学会産業疲労研究会が作成した「自覚症状調査用紙」を使用し、 僕ら調査員が夜行バスに同乗した上で、約2時間おきの交替ごとに運転手さんに答えていただく方法を採用した。

 


8月上旬の夕刻、僕は大学同期のO君と連れ立って、横浜駅から10kmほど離れた閑静な住宅街にある、相鉄バスの営業所を訪れた。
厚木バイパスに面した営業所は、仕事を終えて次々と帰ってくるバスで活気に溢れていた。

その片隅で、長距離高速路線に使われる大型のスーパー・ハイデッカーたちがずらりと顔を揃えて、発車を待っている。
金沢行き「ラピュータ」号、大阪行き「ブルーライト」号、高松行き「トリトン」号、田沢湖行き「レイク&ポート」号などが勢揃いしている様は、バスファンとしてこたえられない眺めだった。

 

 

 

 

 


午後6時を過ぎると、白地にブルーの波線が描かれたバスが、重々しくエンジンを始動した。
このデザインは、岩国の錦帯橋をイメージしているという。
相鉄バスにおいて最長距離、日本でも当時4位の営業距離を誇っていた高速バス「ポセイドン」号が、その日に運行される夜行バスの第1陣として発車準備を整えていたのだ。

神奈川県横浜市から、山口県岩国市を経由して徳山市までを結ぶ「ポセイドン」号は、相模鉄道バスと防長交通バス2社の共同運行である。
路線バスであるから、当然のことながら、毎日運行である。
それぞれの会社のバスが、横浜と徳山から夜を徹して目的地に向かい、次の夜には担当会社が入れ替わった形で地元へ戻るわけである。

 


相鉄バスが組んだ「ポセイドン」号の運行予定表は、以下の通りである。

■岩国・徳山行き

出勤:18:00
出庫:18:30(乗客名簿を受け取る)

 

-B-

相鉄高速バスセンター到着:19:10・発車:19:20(乗車扱い)

 

-B-

横浜駅西口到着:19:25・発車:19:30(乗車扱い)

 

-A-

(ヘッドホン配布)
富士川SA到着:21:25・発車:21:30

 

-B-

(23時頃消灯)
上郷SA到着:23:29・発車:23:34

 

-A-

大津SA到着:1:25・発車:1:30

 

-B-

上月PA到着:3:22・発車:3:27

 

-A-

七塚原SA到着:5:28・発車:5:33

 

-B-
 

(大野ICを過ぎたらモーニングコール、おしぼり配布、ヘッドホン回収)
岩国駅到着:7:15・発車:7:20(降車扱い)

 

-A-

徳山駅到着:8:20・発車:8:30(降車扱い)

 

-A-

周南営業所入庫:8:50
(終業点呼、乗車人員・遺失物報告、終業点検、トイレ洗浄・清掃実施)
周南営業所退社:9:35

■横浜行き

周南営業所出勤:17:35
周南営業所出庫:18:05(乗客名簿を受け取る)

 

-B-

徳山駅4番ポール到着:18:20・発車:18:30(乗車扱い)

 

-B-

岩国駅到着:19:30・発車:19:40(乗車扱い)

 

-A-

(ヘッドホン配布)
七塚原SA到着:21:17・発車:21:22

 

-B-

(23時頃消灯)
上月PA到着:23:23・発車:23:28

 

-A-

大津SA到着:1:20・発車:1:25

 

-B-

上郷SA到着:3:16・発車:3:21

 

-A-

富士川SA到着:5:20・発車:5:25

 

-B-
 

(横浜ICを過ぎたらモーニングコール、おしぼり配布、ヘッドホン回収、相鉄高速バスセンター内の休憩室・シャワー室御利用案内)
横浜駅西口三越前到着:7:20・発車:7:25(降車扱い)

 

-A-

相鉄高速バスセンター到着:7:30・発車:7:40(降車扱い)

 

-A-

営業所入庫:8:10
(終業点呼、乗車人員・遺失物報告、終業点検、トイレ洗浄・清掃実施)
営業所退社:9:40

 

 


「A」「B」というのは、その区間を運転する運転手さんの分担を示している。

この日の「ポセイドン」号は1台の運行で、徳山まで往復する運転手さんは2人だった。
「A」区間を運転するのが、この便のチーフドライバーを務めるMさん、「B」区間がNさんである。

Mさんはバスの運転歴が23年、Nさんは運転歴18年で、4年前に横浜と大阪を結ぶ「ブルーライト」号の開業で相鉄バスが高速バスに初めて参入して以来、高速クルーのローテーションに組み込まれているベテランである。
その確かな運転技術とタフさ故に、同僚の運転手さんたちから、

「この2人はスーパーマンだから、安心して乗ってきな」

と太鼓判を押されたほどだった。

2人の出勤予定は午後6時だったが、5時頃には営業所に姿を現して、足かけ2泊3日の長丁場となる勤務の準備を始めていた。
Mさんが燃料・エンジンオイル・前照灯・ブレーキランプ、ウィンカー、側面灯、タイヤの空気圧などを念入りに点検する間に、Nさんはバスと事務所を往復しながら、乗客名簿、運行予定表、乗客が使うヘッドフォンが入れられている籠などを積み込む。
事務所のカウンターには、他の夜行路線の籠も並べられていた。

発車20分前に2人は控え室に戻り、勤務を終えて日報に記入している運転手さんたちと談笑しながら、一服点けた。
Mさんは、持参の弁当を食べ始める。
Nさんは、自宅で早めに夕食を済ませてきたという。

18時25分、事務所のカウンターで、出発前の点呼が行われた。
運行管理担当者が、

「御苦労様です。夏休みに入って車の量も増えてきているようですが、くれぐれも安全運行でお願い致します」

と挨拶し、MさんとNさんは口を揃えて、

「それでは行ってきます」

と挙手の礼を返す。
後ろで聞いている僕らも、思わず身が引き締まる思いである。

18時30分、最初の「B」区間はNさんが運転席につく。
後ろから覗きこむと、コンパクトな空間に、実に様々な計器やスイッチなどがひしめいている。
ここが、MさんとNさんの今夜の仕事場である。
まじまじとバスの運転席を観察するのは、初めてのことだった。
バスなんぞは、ハンドルを握ってギアを操作し、アクセルとブレーキを踏めば、動いたり止まったりできる単純な乗り物と思っていたのだが、大勢の乗客を乗せて巨大な車体を安全に操るのは、やはり大ごとなのだと思う。
Mさんはガイド席に座って側方確認を行う。

「ポセイドン」号は巨体を揺すりながら、悠然と営業所を後にした。
山口県徳山市まで962.27km、13時間の旅の始まりである。
この日、横浜は、8月とは思えないほど涼しくて、どんよりとした曇り空の下で黄昏時を迎えていた。

 


「ポセイドン」号は、厚木下川井ICから保土ケ谷バイパスに乗り、横浜新道、国道16号線、新横浜通りを経由して横浜の中心部へ向かっていく。
ガイド席で前方を見据えるMさんは、前日、山梨県まで拘束時間15時間半の貸切バス業務をこなし、自宅では11時間の睡眠を取ったという。
ハンドルを握るNさんは、前日、栃木県まで13時間貸切バスを運転し、それから、この日の出勤まで昼夜合わせて10時間の睡眠を取っている。

ちなみに、相鉄バスの高速路線のクルーは、各営業所の貸切バス要員から選出され、その頻度は原則的に月2~3回であるという。
2人とも、とても3日間にまたがる長い仕事に出かけるとは思えないほど元気いっぱいだった。
コックピットで音響機器のテストを行ったり、ネームプレートを忘れたと騒いでは、

「疲労じゃないよ。よくあることなんだ」

と僕らに向かって弁解したり、とにかく朗らかである。
これまでに何本もの夜行バスを利用してきたが、そう言えば、眠そうな表情の運転手さんを見たことはない。
どのような勤務にも体調を万全に整えて臨む、彼らのプロフェッショナル意識には、全く脱帽である。

対する僕ら調査員は、全く精細に欠けていた。
最大の心配は、同乗するO君である。
彼は、これまで夜行バスに乗った経験がなく、故郷の大阪への帰省ももっぱら新幹線を愛用している。
普段から、

「乗り物は、時間を金で買える唯一のものなんです。料金が高くたって速い方がいいに決まってます」

と豪語する。
車内で過ごす時間が、とにかく退屈でたまらないらしい。

しかも、僕らは、夏休みに入って部活が終わってから、調査の準備と称して5人の調査班員が連日集合し、いつの間にか夜を徹しての酒宴に変わっているという有様で、O君などは実質2時間しか眠っていない。
かく言う僕の方も、夏風邪のために前の日に微熱を発してしまい、朝になって熱は下がったものの、怠さが抜けきっていない。
運転手さんたちに聞こえないよう、座席に身を沈めながら、

「明後日の朝まで生きていられるのだろうか」

と、こっそり2人で囁き合ったものだった。

 


19時ちょうど、予定より10分早く、「ポセイドン」号は、横浜駅の北に広がる繁華街の鶴屋町に新設された、相鉄高速バスセンターに到着した。
一般路線バスも駐車している狭い敷地内をターンテーブルで一回転し、更にバックして所定の停車位置に付ける。
Nさんがバックギアを入れると、外で誘導するMさんの声が、自動的にスイッチが入る後部マイクを通じて運転席に送られてくる仕組みに感心した。

相鉄高速バスセンターは前年の10月にオープンしたばかりで、3階の待合室には更衣室やシャワールームが備えられている。
「ポセイドン」号の到着を知って、早々と乗客が姿を現した。

「お待たせしました。徳山行きです」

Mさんが乗客名簿をチェックしながら乗車券を受け取り、Nさんが行き先を確認しつつ、大きな荷物をトランクに入れている。
徳山までの荷物は奥の方へ、岩国までの荷物は手前へと仕分けされている。

「娘が酔いやすいので、1ヶ月前の発売日に窓口に並んで、1番前の窓際の席を手に入れましたの」

という母娘2人連れをはじめ、7人が乗車した。

横浜駅で改札を行う係員さんを便乗させて、「ポセイドン」号は、19時20分定刻にバスセンターを発車した。
ネオンや照明が煌びやかな横浜駅西口バスターミナルは、どこの駅前にも見られるホーム形式の普通のバス乗り場で、帰宅を急ぐ人々ですし詰めの路線バスが、引っ切りなしに出入りしている。

 

 


横浜発着の高速バスは、当時、相鉄バスと神奈川中央交通バス、そして京浜急行バスの3社が参入していたが、神奈中と京急が東口のYCATを発着していたのに対し、相鉄バスだけは西口を利用していたのであった。
相鉄高速バスセンターが完成するまで、同社の高速バスは、全てここを起終点にしていたのである。

1台の路線バスが乗り場への入口を塞いでしまい、身動きが取れない。
もどかしく思ううちに、ようやく「ポセイドン」号が8番乗り場に横付けしたのは、定刻より1分遅れの19時26分だった。
ここで16人が乗車した。
あらかじめ予約していた乗客23名全員が揃ったのを確認すると、改札していた係員さんは乗降口の外で直立不動になり、

「じゃあ、気をつけて」

と手を挙げた。

19時31分、見送りの人々の手が一斉に振られる中を、「ポセイドン」号は、エンジンを唸らせながら、静々と動き出した。
無事の発車と最終人員を運行管理者に報告するのか、係員さんが携帯電話のボタンを押している姿が後方に流れて、人波の中に消えた。

僕とO君の席は、最前列中央の2番席と、最後部右側の29番席に確保されている。
無論、きちんとお金を払って、乗車券を購入したのである。
2番席を道路状況などをチェックする調査席に、29番席を仮眠席に使用することとした。

富士川SAまでのA区間は、O君が調査を担当することにして、僕は後方へ退いた。
横浜駅から運転席に座ったMさんに代わり、Nさんがマイクを握ってコクピットからひょっこりと顔を出す。

「本日は、相模鉄道の高速バス『ポセイドン』号を御利用いただきまして、ありがとうございます」

一連の挨拶の後に、車内設備を説明するビデオがモニターで流された。
「ポセイドン」号の座席配置は、横3列独立シートで、定員は28名である。
座席は29席あるのだが、中央の16番席は、左右の移動に使うことを考慮して、発売されないことになっている。
個々の座席は、枕付きの、146度まで倒れるリクライニングシートであり、レッグレスト・フットレストが装着されて、毛布・スリッパ・簡易テーブルも備わっている。
車内には、トイレ・公衆電話・ビデオ放映装置・航空機などと同じく音楽番組などを愉しむマルチステレオチャンネル・セルフサービスのおしぼり・お茶やコーヒーなどが置かれた冷水と温水の出るサービスコーナーなど、当時の夜行高速バスの標準装備は全て揃っていた。

 


「なお、本日は、乗務員の健康調査のために、2名の調査員が同乗しております。乗務員が交替するサービスエリアにて車両点検と調査のため下車致しますが、乗客の皆様はお降りになれませんので、御了承下さい」

と補足してから、Nさんはヘッドホンを配り始めた。

「ポセイドン」号が、13時間の行程中、全く開放休憩を行わないことは、あらかじめ分かっていた。
サービスエリアなどでバスを降り、夜空を見上げながら身体を伸ばすのはバス旅の愉しみでもあるから、開放休憩があるに越したことはない。
ファンの中には、開放休憩を設けない高速路線を、「拘束バス」などと揶揄する向きもある。
しかし、バスの車内には、トイレやおしぼり、飲料水などをはじめ、1晩を過ごすためのひと通りの設備は揃っているわけだから、降りないように言われればやむを得ないと思っている。
いったん乗客が降りて散らばってしまえば、なかなか時間通りに戻って来ずに発車時間が遅れたり、時には乗客数を数え間違えて乗客を置いてきぼりにしたり、という事態を、僕も見たことがある。
はたまた、エリア内で乗客が交通事故に遭った例もあると聞くから、開放休憩は、運転手さんにとって気苦労の種であるのかもしれない。

ただ、僕たちが調査で下車するに当たって、

「あの人たちは降りられるのに、なぜ自分たちは駄目なのか」

と他の乗客が不審に思わないよう、僕たちの身分をはっきりと説明していただくことを、前もって頼んでおいたのである。

市街地と横浜新道で渋滞に巻き込まれたが、保土ケ谷バイパスの流れは比較的スムーズで、20時15分に、「ポセイドン」号は横浜ICから東名高速道路に乗った。
Nさんが頃合いを見計らったように、客室中央右側のトイレの入口に降りて、床下仮眠室に潜り込むのが見えた。

長かった夏の日もとっぷりと暮れ、落ち着いた色調の照明が照らす車内では、リクライニングを倒してまどろむ人が増えた。
モニターでは映画「男はつらいよ」が放映され、軽妙なセリフのやり取りに笑いをこらえている人も見受けられる。
夜を共にする23名の乗客は、夏休みの観光や帰省のためなのか、ラフな服装が目立つ。
岩国・徳山と言えば瀬戸内有数の工業都市との印象を抱いていたので、ビジネスマンらしい装いの乗客が数人しか見られないことが、少しばかり意外だった。

20時40分、大井松田ICを通過し、「ポセイドン」号は箱根越えに差しかかった。
いつの間にか雨が降り出して、窓に映るヘッドライトの明かりが水滴に滲む。
バスは時速90~100kmを保ちながら、連続したカーブを右に左に巧みに走り抜けていく。
20分ほどであっけなく峠のピークを越え、21時には裾野ICを通過した。

 


沼津へ向けての下り坂を勢いよく駆け下りて間もなく、21時24分に、霧雨に煙る富士川SAに滑り込んだ。
1分の早着である。
長距離トラックや夜行バスが、箱根の難所を無事に越えてホッとひと息つき、再び長い道中に旅立っていく富士川SAの雰囲気は、往年の宿場町の賑わいを連想させてくれるから、何となく心が昂ぶる。
O君と外へ飛び出すと、Mさんがバスの側面から床下仮眠室の扉を開けているところだった。
Nさんが目をこすりながら外へ出てくる。

相鉄バスでは、交替地点に到着する5分前に、仮眠室から出て目を覚ますように指導していると聞いた。
しかし、僕らが調査した運転手さんたちのほとんどが、

「ただでさえ2時間の仮眠は短いんだから、5分でも多く休みたいよ」
「中の通路を使って出入りすると、お客さんが目を覚ましちゃうでしょ」

という理由から、到着後に外の扉を開けて出てくる方式をとっていた。

僕らは、手早く、MさんとNさんの自覚症状をチェックした。
それから、Mさんがバスの足回りを点検し、Nさんはトイレへ駆け足する。
運行予定表では交替時間は5分に制限されているから、なかなか慌ただしい。

13時間という限られた時間内に、横浜から963km離れた徳山までを走り切らなければならないのだから、時間をオーバーする訳にはいかない。
実際に乗車してみると、きつきつの運行ダイヤに感じられたものだった。
そのような中に調査を入れさせていただいたことを、申し訳なく思う。

21時31分、交替時間を2分オーバーして、「ポセイドン」号は富士川SAを発車した。
21時35分に照明が落とされ、ダウンライトだけが仄かに車内を照らしている。
Mさんがコクピットから客室に入ってきて、正面の遮光カーテンを閉めながら、2番席に座った僕に、

「寒くない?」

と小声で尋ねた。

「いいえ、全然。後ろは暑いくらいでした」
「難しいんだよね、温度調整ってやつは」

と言い残して、Mさんは仮眠室へ入っていく。

いつの間にか雨はやんで、路面は乾燥していた。
車の流れはスムーズで、運転席の速度計の針は、ぴたりと100kmを指したまま動かない。
制限速度いっぱいに走っている「ポセイドン」号を苦もなく追い抜いていくトラックの果敢な走りっぷりには、苦笑せざるを得ない。
しかし、トラックドライバーたちも、もしかしたら、厳しい納品期限に追われて懸命にアクセルを踏み込んでいるのかもしれないと思い直す。
Mさんが、

「最初はトラックを転がしていたんだけど、これは一生やれる仕事じゃないなって思って、大型2種免許を取ったんだよね」

と言っていたことを思い浮かべた。

21時54分に静岡ICを通過して間もなく、悲惨な火災事故が今でも忘れられない日本坂トンネルを、一気にくぐり抜けた。
大井川を渡れば、東名高速は、茶どころの牧ノ原台地に差しかかる。

22時48分に浜名湖SAを、続いて三ヶ日ICを通過した。
僕が初めて夜行バスを体験した国鉄「ドリーム」号に乗った時、三ヶ日ICにある「みかちゃんセンター」で休憩したことを、昨日のことのように懐かしく思い出した。
そこで食べた関西風うどんの旨さと、薄暗い照明の下でもうもうと立ち上っていた湯気が、今でもありありと脳裏に浮かぶ。
多くの夜行高速バスが「ポセイドン」号のように2人の運転手さんを同乗させているのに対し、東京と関西を結ぶ「ドリーム」号は、双方の発地から三ヶ日までワンマンで走ってきて、反対から来る便の運転手さんと交替するという、独特の勤務態勢を採用している。

22時55分、完全に消灯となった。
僕たちは用意しておいたペンライトでメモを続けたが、その小さな光さえ点けるのがはばかられるほどの闇が、客室を包み込む。

 


23時ちょうどにハイウェイが左右に扇状に広がり、バスが減速する。
ETCがなかった時代に、検札を行うために設けられていた豊橋本線料金所である。
バスを止めてNさんが窓を開けると、周囲の喧噪が少しの間だけ車内に流れ込んでくる。

「どうも」
「はい、御苦労様です」

料金所の係員さんと短く会話を交わしただけで、再びエンジン音が高まり、「ポセイドン」号は脱兎のごとく広大な本線料金所を飛び出した。
小雨がぱらつき始め、フロントガラスに細かい水滴が付着したが、ワイパーを使うほどではない。
路面は湿っているものの、2本の轍は乾いて白く真っ直ぐ伸びている。

23時28分、上郷SAに到着した。
僕は後席のO君を起こし、一緒に外へ出た。
横浜を出発して4時間、およそ300kmを走破したが、岩国・徳山はまだ600kmの彼方である。
気の遠くなるような前途に感じられる。

富士川と同じく慌ただしい時間が過ぎ、23時33分に発車となる。
今度は予定の5分を過ぎることなく、僕は胸をなで下ろした。
同乗調査が原因で運行ダイヤが乱れては、申し訳が立たない。

再び2番席に腰を下ろしたO君に、トイレの上の網棚にある収納ケースからおしぼりを取り出して渡すと、無言で受け取った。
かなり眠そうに、そして幾分不機嫌そうにも見受けられる。
何の因果でこんなことをしなくてはならないのか、と、内心思っているのかもしれない。

29番席の背もたれを倒して目をつぶると、頭の芯が痛かった。
最後部だから、後ろに気兼ねすることなく、存分にリクライニングできるのがありがたい。
だが、緊張のためなのか、心が昂ぶっているのか、全く寝付けないのである。
今、しっかり眠っておかないと後に差し支えるぞ、と焦るほど、目が冴えてしまう。
腕時計に目をやれば、10分、20分と、容赦なく時は過ぎていく。
それだけ、2時間に区切られた睡眠時間が削られていくのが切ない。
運転手さんたちは、床下仮眠室で、このような思いをすることはないのだろうか。

 


この間、O君が記したメモによると、23時55分に小牧JCTで中央道と合流し、23時59分に小牧ICで名神高速道路に移る頃から、急激に雨脚が強くなったという。
0時07分に一宮ICを通過した頃に風雨は弱まり、大垣ICから関ヶ原ICにかけては路面が乾いた。
1時06分に通過した竜王ICは雨、1時13分に通過の栗東ICは晴れている。
「ポセイドン」号は、気まぐれな天候の下を駆け抜けたのである。

悶々と過ごすうちに、それでも少しは眠ったようである。
次に気がついた時は、大津SAへ入るためにギアを落として減速しているところだった。
琵琶湖畔に位置する大津SAは、狭い敷地内に車が溢れかえっていて、休憩施設から離れた場所に駐車せざるを得ない。
MさんとNさんに自覚症状の質問をしながら、僕もO君も、寝不足で思うように呂律が回らず、

「あんたたちの疲労調査をやった方がいいんじゃないの」

とからかわれてしまう始末だった。

僕ら2人の生気がどんどん失われていくのと対照的に、MさんとNさんは、信じられないほど元気である。
同じ2時間交替であるにもかかわらず、どうしてこれほど差がついてしまうのでしょうかと、トイレへ向かうMさん、Nさんと並んで足早に歩きながら、疑問を投げかけてみた。

「うーん、それは座席と仮眠室の差じゃないかなあ。下の仮眠室は、本当に良く眠れるよ。身体も伸ばせるし」
「昔は、床下に寝かせられるなんてとんでもないって誰もが反対したみたいだけど、実際に使ってみると、寝心地がいいんだ」

 


4人揃ってサービスエリアのガソリンスタンドのトイレを拝借し、大津SAを出発したのは1時38分で、予定時間を3分ほど過ぎていた。
なかなか定時運行に戻れないから、悩ましい。

1時39分に、Mさんが仮眠室へ降りていく。
前方に、京都市街の灯が見えてきた。
長く単調な暗闇の中の走行が続いていたから、しっとりと瞬く古都の夜景は、一服の清涼剤のように心を洗ってくれる。
1時42分に京都南ICを通過した頃には、車の密度が急に高くなり、Nさんは時速80km前後までアクセルを緩めた。
ここから天王山トンネルへかけては、名だたる渋滞発生区間である。
幸い、それ以上流れが滞ることもなく、2時には、連なる水銀灯がまばゆい吹田JCTにて、中国自動車道へと舵を切ることができた。

 


途端に、周囲の車がかき消すように減少して、「ポセイドン」号は再び速度を上げることができた。
宝塚IC、西宮IC、そして舞鶴道を分岐する三田JCTを横目に見ながら、ハイウェイはぐんぐん中国山地の懐へ分け入っていく。

時折、インターやサービスエリア、そしてトンネルのオレンジ灯がコクピットを照らし出すと、フロントガラスに、ハンドルを握り続けるNさんの上半身が映り出す。
その視線は、じっと前方を見据えたままである。
30人近い乗客の安全を双肩に背負い、たった1人で深夜の運転を続ける運転手さんは、孤独だろうと思う。
高速バスには、鉄道や航空機などのような途中でのバックアップシステムがほとんどない。
強いて挙げるならば、営業所の当直との電話連絡であろうか。
安全運行に対する責任の大半が、現場の運転手さんの運転技術と判断力に課せられている。
つまりは、運転手さんの健康や心理状態、そして疲労度が、そのまま高速バスの安全性を左右することを意味している。

夜ともなれば、日本全国を結んで駆け巡る強者たち──

彼らの胸中には、どのような思いが去来しているのだろうか。

福崎JCTを、2時50分に通過した。
山陽道が開通する前には、岡山や四国方面へ向かう高速バスが、瀬戸内沿岸へのアプローチに利用していた播但連絡道との分岐点である。
雨粒がフロントガラスを叩き始め、巨大なワイパーが動き出したが、10分ほどでやんでしまう。
この日は、関東、東海から西日本一帯にかけて、雨雲が点在していたようである。
目まぐるしく変化する天候や路面状況に、運転手さんも緊張の連続を強いられたことであろう。
速度や車間距離、ステアリング操作を、その都度、微妙に調整していかねばならないから、それだけ、疲労がたまる要因になると思われる。

相鉄バスを含めた多くのバス事業者が、貸切バスの要員から高速バスのクルーを選出するのも、多彩な道路状況の変化に慣れているという理由からである。
ある貸切専門の運転手さんが、夜行のスキーバスで市内路線バスの運転手さんと組んだ時に、

「おっかなくて眠れなかった」

と言っていたことを、ふと思い出した。

3時05分に、山崎本線料金所で2度目の検札を受ける。
豊橋よりはるかに規模が小さな料金所だが、はるばる遠くまで来たなあ、という旅情が湧いてくる。

3時21分、定刻の1分前に上月PAに到着した。
意識が朦朧としているのか、あっけないほど短く感じた2時間だった。
3時30分に発車すると、今度はすぐに深い眠りに引きずり込まれた。

O君のメモによると、その後は、特に、著しい道路状況や天候の変化がない2時間が過ぎたようである。
ただし、山陽と山陰の境を成す中国山地の脊梁を貫くこの区間は、きつい曲線が連続し、路面の凹凸も激しく、Mさんの言葉を借りれば、

「1番嫌いな区間」

なのだという。

この夜の「ポセイドン」号では、最も順調に走ることができた区間でもあった。
知らぬ間に岡山県を走り抜け、広島県の東城ICを通過した4時49分に、空が白みかけてきたらしい。

5時14分に、往路で最後の休憩地である七塚原SAに滑りこんだ。
安定した走りっぷりを反映して、14分もの早着となった。
バスから降り、白々と明け染める空を見上げながら、初めて余裕をもって過ごすことができたのである。
ここは広島県庄原市、JR芸備線の七塚駅の近くである。
長い長い一夜だったが、ようやく、先が見えてきたことで、心が軽くなった。

 


5時25分に発車した途端、不意の土砂降りに見舞われて肝をつぶしたが、2分ほどで小雨に変わる。
周囲はぐんぐん明るくなり、山々に抱かれた山村が姿を現す。
雨に洗われて緑が鮮やかな山あいを、朝靄がふわりと漂っている。
5時30分に通過した三次IC付近で、ヘッドライトが不要な明るさになった。

道端に「シカ注意」の標識が立っている。
道路に飛び出してくることがあったのだろうか。
後日、別の便を調査した友人は、この付近で猿を見かけたという。

6時05分、広島北JCTで中国道に別れを告げ、広島自動車道に入る頃には、一塊の霧がバスを包み込んだ。
再びヘッドライトがともされる。
霧を振り切るように走り抜けると、いきなり、太陽の強い日差しが、真っ正面から目に痛いほどに差し込んできた。
Nさんが慌てて手を伸ばし、日除けを下ろす。
横浜からの長かった夜と愚図ついた空模様が嘘のようである。

6時12分に名鉄バスの名古屋発広島行き「ファンタジア」号を追い抜き、6時15分には、広島JCTで山陽道に合流した。
宮島SA付近では、左手に青々とした瀬戸内海が広がり、大小の島々が黒々と浮かんでいる。
寝不足の僕でも、ハッと目を覚まされるような車窓の変化であった。
「ポセイドン」号のラスト・スパートは、なかなか感動的に演出されていたのである。

 


6時26分、廿日市ICで高規格の広島岩国道路に乗り換える。
6時30分、Mさんが床下仮眠室から姿を現してガイド席に陣取った。
6時36分、大竹ICで本線を離脱し、螺旋状の流出路をぐるぐる回りながら、横浜ICから10時間余に及ぶ高速走行が幕を閉じた。

「おはようございます。間もなく岩国駅へ到着致します」

国道2号線を走り始めて間もなく、前方のカーテンが開け放たれて、モニターが到着案内を流し始めた。

6時47分に広島県を出て、山口県和木町の道路標識が見えた。
とうとう、本州最西端の県までたどり着いたのだ。
「ポセイドン」号は、この小さな玄関口の町を瞬く間に走り過ぎ、6時48分には岩国市へ入っていく。
往復2車線の道路は車がひしめき合い、速度計の針は時速50kmのあたりをうろうろしている。
6時52分に国道188号線へ左折すると、岩国駅のこじんまりしたロータリーに出た。
「ポセイドン」号は、その一角の停留所に停止する。
6時55分、定刻より20分もの早着だった。

4人の乗客を降ろし、予定より早い7時ちょうどに、岩国駅前を発車した。
運転はMさんに交替しているが、Nさんもガイド席に座っている。

「いい経験になるから行っておいで。よく眠れるから」

と勧められて、多少バテ気味だったO君が、床下仮眠室で休ませてもらうことになった。

岩国駅から徳山駅まではおよそ54kmである。
この間の高速道路は未完成だったから、「ポセイドン」号は、JR岩徳線に沿った国道2号線を、1時間で走破する予定になっている。
一般道を走る長距離バスの表定速度は、だいたい時速40km程度と言われている。
時刻通りに運行するのはちょっぴり難しいのではないかと心配していたのだが、案の定、岩国市を出てから、前方にずらりと車の列が並んで団子状態になった。
信号が黄色から赤に変わる瞬間などは、三菱エアロクィーン自慢の355馬力のエンジンにモノを言わせて、見事なダッシュを見せるのだが、しばらくすると、信号で置いてきぼりにしたはずのダンプカーが、せせら笑うように接近して来るのが、サイドミラーに映っていたりする。

玖珂町、周東町、下松市を過ぎ、徳山市に入る8時頃になると、交通量は更に増加した。
夏休みなど関係がない、平日の朝のラッシュ時間なのである。

「長らくの御乗車、お疲れ様でした。間もなく、終点、徳山駅前に到着致します」

ビデオ放送が旅の終わりを告げ、車内に、ホッとした安心感と、降り支度をするざわめきが交錯した。
最前列左右の窓際に分かれて座っていた母娘連れも、爽やかな表情で網棚から荷物を下ろしている。
娘さんは、どうやら車酔いせずに済んだようである。

定刻5分前の8時15分、「ポセイドン」号は徳山駅前のロータリーに停車した。
Mさんが、ぐいっとサイドブレーキを引き、エンジンを切った。
岩国駅までに蓄えていた時間の貯金を、少しばかり使っての到着である。
MさんとNさんによる、見事な時間配分だったと言えるだろう。

徳山は瀬戸内随一の工業都市らしく、林立する工場の煙突と、画一化した社宅が建ち並び、乾いた埃っぽい車窓だった。
しかし、徳山駅のロータリーや駅前通りでは、こんもりと繁った並木の葉に陽射しがきらめいて、清々しい雰囲気である。

バスを降りて床下仮眠室の扉を開くと、布団をかぶっていたO君がむっくりと起き上がり、眩しそうに目をしばたたきながら、

「よく眠れましたよ」

と、ボソッと短く感想を述べた。

 

 

 

 

 

 

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