海堂尊「ジェネラル・ルージュの凱旋」より~ある救急現場の点描~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

15年前──

開店セール中の城東デパートを火災が遅い、多数の怪我人が出た。

その夜、東城大学病院のICU病棟にいた、ただ1人の当直医、速水晃一医師。

当時のICUはわずか7床。
鳴り止まない電話。
下っ端の速水医師に、受け入れ拒否以外の選択肢があるハズもなかった。

だが!

速水医師は患者を全て受け入れた。

救急車の到着と同時に神業的スピードで処置。
彼の速度についてこれたのは、若手の看護師花房美和ただ1人。
2人は病棟を駆け抜け、次々と処置を施していった。

その勇姿、あたかも、隼を従えた猛将の如く!

しかし、患者を受ける限り、遅かれ早かれ病棟はパンク──

看護師「どうゆうことですか!先生!全件受け入れなんて──うちの救急はたったの7床しかないんですよっ!無茶にもほどがありますっ!」
速水「うるさいなあ」
看護師「ただでさえ人手の足りないこんな時間に!」
速水「その通りだよっ!分かってんならアンタも口より手ェ動かしてくれ!」
花房看護師「先生!裏門にまた救急車2台着きました!」
速水「よおし!今行く!──症状は?イヤ、いい、見りゃわかる。キミは戻ってベッドを仕切れ!」
花房看護師「はい!」

速水(無茶にもほどがある?百も千も承知だっ!──どうする?どうする、速水晃一?)

花房看護師「顔色がすぐれませんわ、先生──指揮官が青ざめていては、部下の士気に影響します。姿だけでも勇ましく!……これを」

花房看護師が手渡したのは1本のルージュ。

速水「ありがとう──肚ァ決まった」

院長は海外出張で不在。
唇にルージュを塗った速水医師が向かった先は1階事務室だった。

『全館に通達する!火災発生により、現在、負傷者が多数搬送されている。非常事態を宣言する!今から、全病棟のスタッフは私の指揮下に入るっ!──手のあいている者は、全員、1階ホールに集合!経験、役職は一切問わない!』

伝説の全館放送だった。

医師、看護師だけでなく、事務員や清掃員まで、老いも若きも、院内にいた全ての者が、将軍のもとで戦った。

嵐が過ぎた夜半──

院内はピタリと計ったかのように満床になっていた。

東城大学病院、ジェネラル・ルージュの伝説の誕生だった。

その後、東城大学病院は大規模な救命救急センターを備えた、通称「オレンジ病棟」を立ち上げた。

現在のICU部長は速水晃一医師。
看護師長は、花房美和。

速水医師は、謎の内部告発文書で、医療機器メーカーとの癒着を問われ、大学のリスクマネージメント委員会に呼び出されていた。

速水「──以上がコトのあらましだ。だが、天地神明に誓って言っておく。オレが作った裏金は全てICUの医療を回すためのものだ。1銭たりともテメエの懐に入れちゃァいない!」
三船事務長「どうして……もっと早く相談してくれなかったんですか?」
速水「通常の救急費用でさえ削減しているアンタに非合法状態の是正を頼めってか?」
三船「気づいた時が直し時です!不正を内包したシステムを放置しておくなど!」
速水「ほう、御立派だ。じやあ、オレが収賄で立て替えた分、明日にでもすぐに予算をつけてくれるかい?」
三船「……それは無理です──今は病院全体を立て直している最中です!収益という形で御協力いただかなくては、経済資源の再配分はできませんっ!」
速水「それこそ無理だね──オレたちの仕事は警官や消防士と同じだ。事故は嵐のようにやって来て、疾風のように去っていく。在庫管理なんてしようがないし、トラブルがなけりゃ単なる無駄飯食い違い。だからといって、国が警察や消防に収益を要求するか?税金という経済資源の配分を拒否するか?
医療とは、いわば身体の治安を守る社会制度だ。治安維持と金儲けが両立できるものかよ。
断言しよう。事務長。アンタたち官僚の血脈が目指す米国かぶれの医療システムは、近い将来、必ず崩壊する!」
三船「詭弁だ!あなたは現場医師の意識改革を拒絶しているに過ぎない!」
速水「システムが破綻した時にも、アンタたちはそうやって現場に責任をなすりつけるんだろうな……
オイ!もういいだろ!とっととオレの処分を決めな!」

辞職願いを叩きつける速水医師。

沼田精神科助教授「伝説に名高い『ジェネラル・ルージュ』が姿を消す今日──東城大学病院も新たに生まれ変わる時が来たのです!
15年前の大惨事、城東デパート火災、そして速水先生の華麗なる活躍!連綿と語り継がれ、この病院では知らぬ者のない英雄談です。
しかし、私に言わせれば、あんなものは美談でも何でもないっ!たまたま居合わせた新米救急医がセオリーを無視して横暴に振る舞ったというだけのこと!
速水先生の罪は実に明白です。
組織系統の軽視!
経済原則への無理解!
そして、衝動的で独善的な行動!」
黒崎外科教授「沼田君、ありがとう。君はワシがずっと胸に溜め込んでいた思いを残さず代弁してくれたよ。
思い出すだに忌々しい。15年前のあの夜。連絡を受けたワシが病院に駆けつけた時は、既にこの男が外来ホールで全てを仕切っておった。

『黒崎先生っ!ちょうど良かった!処置に入って下さいっ!』

などと、院内序列も何もあったもんじゃない。
あの日からワシはずっと危ぶんでおったのだ。平気で規律を無視するこの異分子を放っておけば、どうなるものかと。
だからワシはことあるごとにこの男の昇進に反対してきた。個人的な意趣返しなどではない。組織を組織として維持していくための自浄作用だ」
速水「いやァ……黒ナマズが吹かす逆風のおかげですよ、オレがここまで昇ってこれたのは」
黒崎「貴様のそういうところが、大っ嫌いなんだっ!──よかろう、速水よ。ワシが貴様に吹かす逆風の……今回が集大成だ」
沼田「素晴らしい、黒崎先生!今こそ、この無法者に最後の裁きをっ!」
黒崎「うむ……そうさせてもらうとするか──速水君、速やかに辞表を撤回したまえ!」
沼田「ハイ?……あ……あの、黒崎先生?今、何と?……」
黒崎「ここに置いた辞表を撤回せよと、速水君に言っておる──沼田君、ワシはコイツが大っ嫌いだ。ルールの中に生きる者と破壊して突き進む者と……互いに相容れることは金輪際あるまい」
沼田「それならば、なぜ?」
黒崎「キミにはわかるまいな……救急現場は神でなくては裁けんのだ。そして15年前、ワシはコイツの中にそれを見てしまった。
速水自身が神だというのではない……特殊な状況が生んだほんの偶然にすぎん。
だが、一瞬、確かにヤツの肩の上には神が舞い降りておった。
信じられるかね?この男に命令された時、ワシは……心地良かったのだよ。
プライドも肩書きも吹き飛ぶほどの充実感。
神の声により動くことの愉悦。
そして、思い知った──例え破壊神であろうと、ここにはこの男が必要なのだ、と」

翌日──

オレンジ病棟に館内放送が流れる。

『業務連絡、業務連絡。院長室に着いたオレンジを至急ICUまで届けられたし──繰り返す、オレンジをICUに届けられたし』

新人看護師「あ、あの、先輩、何ですか?今の……院長室のオレンジって」
先輩看護師「バカ!暗号よ!ゴチャゴチャ言わんと着いて来なさい!」

オレンジ病棟、緊急事態のスクランブル!
ジェネラルからの非常呼集のコールだった。
ICUスタッフが部長室に集合する。

速水「先ほど、テレビに速報テロップが出た。桜宮バイパストンネル付近で多重衝突事故。タンクローリー炎上中──これよりオレンジ病棟は第2種警戒態勢に入る!
不測の事態に備えて今いる患者の全員をバックの病棟に押し込め!
佐藤副部長はトリアージの準備!
看護師長はオフメンバーを呼び出すんだ」
佐藤「あの……少し過剰反応ではないでしょうか?まだ電話も入っていませんし、怪我人は近隣の病院に分散するのでは?」
速水「いや……コイツは来る!全てここだ」

テレビの中継が始まる。

『こちら桜宮トンネル上空です!たった今っ、横転していたタンクローリーが崖下に転落しました!現場へのルートは大型ショッピングモールのオープンに駆けつけた車で大渋滞となっており……あああっ!爆発です!石油コンビナートの施設に引火した模様ですっ!』

看護師「先生!小児科も特室空けてもらいました!」
速水「おうっ!御苦労──来るぞ!」

突然けたたましく鳴りだす電話──いくつも、同時に。

速水「全件、受け入れだ!──警戒態勢をオレンジ病棟から全館に拡大!外来ホール、オープン!佐藤、トリアージを頼む」
佐藤「はい!」
速水「サトちゃん!いいか、迷うな!お前の判断イコール俺の判断だ。自信を持て!」

打ち合わせ中の看護師たち。

花房看護師長「──以上!それじゃ各自持ち場へ!──見せてやりましょう。将軍の近衛師団がヤワじゃないってことを!」
看護師一同「はいっ!」

次々とサイレンを響かせて到着する救急車。

救急隊員A「こちらは、DOA(到着時死亡)!」
救急隊員B「こちらは意識レベル200!頭蓋内出血の恐れがあります!」

救急隊員C「こちらは、頭部出血ありますが歩行可能です!」
速水「患者を置いたら現場に戻ってよし!そこの2台目!本館のロビーに回れ!」

走り回るストレッチャー。
駆け回る医師と看護師たち。
横たわる患者に、トリアージ・タグがつけられていく。

黒:不処置・死亡ないしは救命不能。
赤:最優先・ただちに治療を要する。
黄:非緊急・多少治療が遅れても生命に危険がない。
緑:軽処置・専門治療を要さない軽傷。

医師「佐藤先生!この人、まだ息があります。レッドだと思いますが……」
佐藤「(患者の頸動脈に触れながら顔色を見て)いや……もう無理だ。ブラックで正しい」

受付のテレビが中継を続けている。

『バイパスで更なる事故です!避難車同士の玉突きが発生した模様です!あっ、車列の中に救急車が!』

救急車内を映し出すテレビ画面に釘付けになって佇立する三船事務長。

速水「どうした?事務長」
三船「……妻です。立ち往生している救急車に乗ってるの、私の妻なんです……」
速水「(厳しい顔で画面を見つめながら)出血がひどい。視線もおぼろげだな。意識障害が出ている……クッソ!撮ってるヒマがあったら報道ヘリで運べってんだ!」
三船「自業自得ですね……私が現場を切り詰めた結果がコレです……妻の生命を奪ったのは……私だ……」
速水「バッカヤロオ!亭主が諦めてどうする!大丈夫だ!オレを信じろ!奥さんはオレが助ける!」

修羅場のような病院内。
速水医師は屋上で、現場上空を舞うヘリに向かって叫ぶ。

「何故だ……何故だ!?──なんで報道ヘリは飛ぶのにドクターヘリはこの街の上空を飛ばないんだ!答えてくれ!……畜生……チクショウ!!」



海堂尊著「ジェネラル・ルージュの凱旋」から抜粋した、救命救急の現場の描写をご紹介させていただきました。

作品では、もっと複雑な展開とどんでん返しがあり、そして心暖まるロマンスもあります。

しかし、なんと言っても同業者から見ても魅力的なのは、速水医師です。

彼のような救急医師のいる街に住む人々は幸せだなと思うのです。

実際、速水医師ほどエキセントリックではなくても、日本中に同じように熱心で身を削りながら頑張っている救急医師はたくさんいます。

人手もベッドもお金も足りない現場の有り様に悩みながら──

救急医療は僕の憧れです。

あと10歳若ければ、今だってやりたいくらいです。

小説とは言え、久しぶりに血が踊る救急現場の描写に出会う事ができました。

前作の「チームバチスタの栄光」ともどもお勧めです!