春の思わぬ試練 | ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

今朝は日が射していたのに、昼過ぎから、いきなり曇り始めた。

台風並みの強い低気圧が通過するから、午後3時頃から、猛烈な雨と風になる、という。

またか……と、分厚い雲が、走るように流れていく空を見ながら、少しだけウンザリした。

このところ、週に1、2回は天候が荒れ狂う。

昼過ぎには、早々と、東京に暴風波浪警報が出た。

昼食を食べながら、精神科のN先生が、
「午後の予約の患者に連絡して、早く来いって言ったんだがなあ」
と不安そうな表情。

僕が救急外来を担当して、バタバタしているうちに、いつしか雨が降り始めたらしい。

看護師さんたちが、ソワソワしている。
輸血をしなければならない患者さんが、お昼を食べて来る、と言って、消えてしまったのだ。

「もう!こんな天気なんだから、早く輸血して帰る方がいいのに!」

近所の喫茶店に探しに行った看護師さんが、ずぶ濡れになって帰ってくる。

もう、そんなに荒れてるのか。

救急外来の入口で、重々しい風切り音が聞こていた。

いつもと違って、午後4時過ぎには、医局をウロウロし始めた先生方。

「このままじゃ、帰宅難民になっちゃうよ」
みんなの脳裏をかすめる、東日本大震災の光景。

病院の玄関に出てみると、既に車は数珠繋ぎ。
向こうを中央線快速電車が通過していったが、心なしか、速度を落としているようだ。

歩道では、みんな傘を斜めにさして、足早に歩いている。
強風に吹き飛ばされて、傘を壊しちゃう人も。
諦めて、ずぶ濡れになって歩き去る。

まあ、この強風では、傘を差しても差さなくても、大して変わらないような。

医局に戻ったら、うわあ、と悲鳴が上がっていた。
テレビで、中央・総武線各駅停車が止まったとのテロップが流れたらしい。

「おっ、止まったんだ、電車。いいこと聞いた。じゃあ、家に電話して帰れないって言おう」
と、なぜか喜んでる精神科のA先生。

A先生、家庭状況、大丈夫ですか?
あんな美人の、同じ精神科医の奥様がいらっしゃるのに。

「私は、地下鉄だから関係ないわ」
と、内科のベテラン女性医師、C先生が威張る。
「でも、先生、地下鉄だけじゃ帰れないでしょ?その先は、何に乗るんでしたっけ?」
とH事務長が不審そうな顔になる。
「田園都市線よ」
「うっわあ、混みそうだなあ」
「いいのよ、帰れれば!」

「ねえ、どっか、泊まる部屋ある?」
小金井在住の皮膚科の女性医師、O先生は、早くも諦め顔。
事務員さんが、あちこち電話して、空いていたドック部屋の鍵を渡す。

「え?先生、泊まるんですか?」
「だって、少なくとも、今、外に出る気にはならないでしょ?」

内科のK先生は、世田谷の自宅に、帰り支度を急ぐ。
「じゃ、時間前だけど、お先に失礼します」
「先生、電車、止まってますよ」
「山手線の駅まで歩いてみます」
「この雨風の中を?」
「行けるかやってみますよ」

武闘派のK先生。
それに、御自宅には、2歳になったばかりの可愛い双子のお子様と、奥様が待ってるもんね。

「中央線快速は動いてるんでしょ?途中で止まっちゃうかな?」
と、国立に住む泌尿器科のI先生。
「大丈夫な気がするんですが」
と、八王子に住むY医局事務長が答える。
「京王線はどうなんです?」
と聞いてみた。
「ダメダメ、JRより止まる確率高いから」
とYさん。

──ふうん。

「よし、帰ろう、Yさん!新宿まで地下鉄で行こうよ」
とI先生が決断した。

有名な飲兵衛のお2人。
たとえ電車が止まっても、どこかの居酒屋で時間を潰せるでしょう。

眼科の女性医師、M先生は、比較的御自宅が近くて、バス1本で通勤できる。
けれども、やはり途方にくれている。
「だって、渋滞がひどそうなんですもの」

でも、意を決したように、医学雑誌を1冊鞄に入れて、医局を出ていった。

読み終わる前に帰れますよう、お祈り申し上げます。

松戸に住む院長先生は、院長室と医局を行ったり来たりしながら、思案顔。
「つくばエクスプレス止まらないかなあ?」

──今は動いていますけどね。

「今日はUちゃん、勝ち組だよね」

苦笑いする内科のU先生。
小金井在住だけど、今夜は当直なのだ。

「お腹すいたわ。Yさん、◯◯庵に食べに行こ」
とO先生が声を上げた。
◯◯庵とは、いつもお世話になってる、近所の料理屋だ。出前もしてくれる。

「そうですねえ……」
とためらうY医局事務長。

あれ?──Yさん?
I先生と一緒に帰ったんじゃないの?

「いやあ、どうせ9時頃にはひと段落するでしょうから、ここは待つべきかな、と」
「I先生は?」
「帰ったんじゃないですか?」

──裏切り者。

「出前にしませんか?」
と、電話に手をかけるYさんを、慌ててO先生が押しとどめる。
「ダメよ!可哀想でしょう?──って言うか、危ないわよ」

確かに、いつも元気にバイクで来る、◯◯庵の出前のお兄さんが怪我でもしたら、明日からの昼飯に困る。

「じゃあ、行きますか」
と、2人揃って歩き出した時、S事務次長がやって来た。
「△△(有名なトンカツ屋)のカツサンド、買いませんか?労組が、帰れなくなった職員に配ってるんです。300円!」

「あ、買う買う」
とYさんが財布を出す。

結局、O先生は、1人で◯◯庵に向かった。

Yさん……2度も先生方を裏切ってどーする?

他の先生方も、そそくさと家路についた様子。

僕?

僕は、医局で、最も自宅が近いのだ。
それに、朝の天気予報を見て、車で病院に来ていたから、余裕かましていた。


このあと──。

首都圏の交通網は散々だった。

強風の影響で、東海道線・京葉線・総武線快速・中央総武線緩行・中央線快速・常磐線・常磐線快速・常磐線各駅停車・京浜東北線・東北線など、都心を発着するJRが、殆んど止まった。

湘南新宿ラインなんか、最初から全面運休。

私鉄は比較的頑張っていたけど、午後6時過ぎには、東急線が全面ストップ。
続いて京成線や京浜急行線も、全線で運行を見合わせた。

その他にも、JR横浜線、武蔵野線、五日市線、鹿島線、久留里線のそれぞれ全線と、内房線佐貫町~館山間、成田線佐原~銚子間、川越線川越~高麗川間。

ゆりかもめ、江ノ島電鉄、北総鉄道、東陽高速鉄道、千葉都市モノレール、多摩モノレールの全線。

小田急線海老名~本厚木間や東武野田線春日部~七光台間、湘南モノレール湘南深沢~湘南江の島間で、運転がストップした。

地下鉄も、東西線が中野~東陽町、葛西~西船橋での折り返し運転となった。
昔、この線は、風のために、橋梁で電車が横転したことがあるし。

横浜市営地下鉄ブルーラインも湘南台~踊場間で、横浜市営地下鉄グリーンラインも中山~センター北間で、運転を見合わせた。

他の地下鉄も、乗り入れる私鉄線の影響で、ダイヤが乱れた。

どうやら、海沿いの路線ほど、運行中止の傾向が強かった気がする。

でも、京王線は止まらなかったですよ、Yさん。

院長先生、つくばエクスプレスも止まりませんでしたね。

I先生、きっと、飲み屋に寄る羽目になっちゃいましたよね!

M先生、家に着くまで、どれくらいかかったのかなあ?

そして、O先生、本当に泊まったのかなあ?


道路もズタズタだった。

首都高速中央環状王子線では、トラックが横転して通行止めになった。

その他、湾岸線、台場線(レインボーブリッジ)、狩場線、大黒線、川崎線や、東京湾アクアライン、開通したばかりのゲートブリッジなども、強風のために通行止め。


暗くなりかけた帰り道。

裏道を通ったから、渋滞には巻き込まれなかった。

しかし、道路に、吹き飛ばされてきた看板やゴミ箱が転がっていて、ものすごく走りにくかった。

叩きつけるように降りしきる雨。
大粒の水滴が、フロントガラスでヘッドライトに滲む。

どの車も速度を落として、少しばかり途方にくれたように、ゆっくり走っていた。

ずぶ濡れになって、傘をたたむのももどかしげに、タクシーに飛び乗る女性。

そのタクシーを狙って走ってきた別の男性が、乗り損ねて、見る間に濡れネズミになってしまう。

濡れた路面を、水しぶきが風に舞い、白く弧を描きながら吹き渡っていく。

ようやく花をちりばめ始めた、神宮外苑の桜並木も、雨煙の中に霞んでいた。

襲いかかる春の試練に、じっと耐えるかのように。


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