ドナルド・キーンさんに寄せて | 宇宙の森探索

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風ノ意匠サスケの変態ブログ



花の陰
あかの他人はなかりけり

一茶


ドナルド・キーンさんの著書『果てしなく美しい日本』の中で、彼は一茶のこの句を紹介しながら日本人の孤独感をこう書く

「日本人は、通常はどれほど寂しくても、自分の孤独を外部者に訴えてはならない」

そして
その孤独を補償するかのように
彼らは祭りを愛する

祭事において
日本人はやっと
他者との距離を埋めることが可能になるのだ



ドナルド・キーンは
日本人特有の孤独感の根源に
美意識を見ていた


「日本人にとって、花見はすべての人々との仲間意識を回復する機会なのである」

孤独と美意識
それから
他者との距離感


龍

そこであらためて
一茶の句

みなさま
どうお感じになりますか?

花の陰あかの他人はなかりけり

花の陰と読んだとき
あなたは
その花は桜だと
瞬時にお感じになったのでは?(笑)

そう感じたあなたは
間違いなく日本人です(^^)v

私たちには当たり前のその感覚を
驚くべきことに
アメリカ人のキーンさんは
頭ではなく肌で理解していた

キラキラ



この句
簡単に言うとこんなことでしょう


満開の桜の花の下に集まり
宴会を開く人々はみな
桜が好きで
桜を愛でる心を共有している
厳しい冬を乗り越えて
今年もまた美しく咲いてくれた
この健気な花を見ながら
日本人は
知らない者同士でも
ある種の共同体意識を感じることが出来る
つまり
桜の下に集まる人々は
もうその時間
あかの他人ではないのだ


そういった
日本人の感性を一茶は鋭く切り取ったのです

そして
この「桜」

たとえば

「ふるさと」
「日の丸」
「天皇陛下」
に置き換えることも可能なんですよ

良いとか悪いとかではなく
日本人の特性としての
共同体意識

キーンさんは
その切なさと危うさまでも
愛してくれた人でした



今さらながら
僕が
彼の輝かしい業績を語る必要もないでしょう

そういった類の情報はネットに山ほど
溢れています

だから
僕は
僕のキーンさんについて
簡単に



そう

ごくごく
簡単に書こうと思います



終戦後すぐに日本語の通訳として来日した彼は
焼け野原になった東京で
わずかな配給を受け取るために
黙って整然とならぶ日本人の姿を見て
戦慄を覚えたといいます
それは戦慄と共に
感動を伴って
彼の心に深く根ざしていきます

そして
あの東日本大震災

彼は
日本人と苦楽を共にしたい

との思いから
長年の希望であった日本への帰化を決意します

私たち日本人は
彼の
その心意気にどれほど勇気をもらったことか


高校時代に丸谷才一の小説を熱読していた僕は
丸谷の人気エッセイ集『男のポケット』に
しばしばドナルド・キーンなるアメリカ人が
登場することから
彼を知った訳なんですが
丸谷才一いわく
ドナルド・キーンの
語学力
日本語の理解力は
天才を優に超えて奇跡である!!
大絶賛してたんです

人生最初の日本文学体験が
なにしろ源氏物語なんだから
言わずもがな
なんです

でも

僕はこの場をお借りして
ずっと胸の中にしまい込んでいた
ある思い

披露したいと決めました

ものすごい誤解を招くこと
あるいは
大ブーイングを
覚悟の上で書きますが

ドナルド・キーンの著作は
どれも
大したことはない‼️
╰(*´︶`*)╯♡

清水の舞台から飛び降りる覚悟どすえチュー


僕が書くとき
皆さまはきっとこう思われるでしょう

あの天下の大学者にして日本文学を世界へ紹介した大恩人たるドナルド・キーンさんに
なんという失礼な‼️

ましてや
専門家でも何でもない
ただの変態の分際で
なんという無礼者であるか‼️
この
身の程知らずめ‼️‼️





でも
本当に彼の著書を読むたびに
僕はそう感じたんです

ただ
それはキーンさんの著作への
僕の評価などでは決してなく
そんなわけあるはずもなくアセアセ


僕は
彼の本を読むと


ここに書いてることへの
世間の評価や
学者や評論家たちの評価なんかより

キーンさん本人は

何倍も
何倍も
何倍も
何倍も
何倍もアセアセ




素敵な人だ‼️




会ったことも無い
また
これから先もたぶん会うことも無いはずの
一人の老人を
僕は
訳わからない感覚で
慕っていた(T ^ T)

日本に対して
(それは文学的なことではなく
ほとんどは政治がらみで)
外国から酷い批判や不条理な中傷があった時

僕は
それに憤りながらも
心のどこかで

でも
僕たちにはキーンさんがいる
あんな素敵な外国の人が
こんなに愛してくれている日本だもん
きっと日本は大丈夫だ!!!

笑う人もいるかもしれないけど
僕は本当に
ずっとそう思ってきたんです

あれほどの人物が
人生をかけて愛する日本は
きっと
それに値する何かがあるんだ

(^◇^;)


( ;∀;)



(T ^ T)


キーンさんがいてくれて良かった

↑↑↑

前回の記事で

僕はこう書きました


今も

そしてこれからもずっと

その気持ちは変わらないでしょう

ようするに

キーンさんという人間の深い魅力に比べたら

彼の著作はどれも

大したことないのです



書き始めると止まらなくなりそうなんで(笑)
この辺りで筆を置くことにします

最後に

彼のとらえた日本人の特性について
キーンさんは西行法師の句を紹介しながら
こう書いています

「日本人はみずからを自然と孤独の愛好者であると考えることを好む。日本文学の有名な作品のいくつかは、世を棄て、隠者として生きることを選んだ人々によって書かれてきた」


遥かなる岩のはざまに独りゐて
人目思はでもの思はばや


人里離れた岩山のはざまで、たった一人で人の目を気にせずに恋しい人のことを思いたい


生涯
独身を通したキーンさんは
こんな風に語っています

「わたしは日本という
美しい女性と結婚したのです」





感謝を込めて

ドナルド・キーンさんに
本稿を捧げます