「肉体と無意識が合致するまで」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

 私がキリスト教会に通い始めたのが11歳ごろなので、私は60年以上、いろんな宗教に関わってきたことになる。物好きといえば、これほど物好きなことはない。それだけ長年、宗教に関わってきても全然悟っていないし、学者としても、まだ無知な部分のほうが大きい。歯を喰いしばって修行も学問もしたはずだのに、その結果、辿り着いたのが「遊ぶっきょう」という思想なのだから、どこまでも落ちこぼれだ。

 なのに、何かをほんの少し齧っただけで、ワークショップだとかセミナーだとかを開いて、人を教えたがる人がいるが浅はかなことだ。知識だけでは人を導くことは出来ない。一流の職人さんだって、生涯をかけて技を磨いているが、容易に人に教えようとはしない。真剣なるがゆえに、その道の深さに気づいているからだ。物事の奥義というのは言語を越えるものであり、肉体と無意識が合致した時に理解できるものだ。その上で、「自分は一以て之を貫いた」と言って、人生を終えることができる人は幸せだ。私はまだまだそんなことを言えないので、当分は死ねない。(笑) 護摩925回 直近の予定はHPのイベント欄を御覧ください。「弘法護摩&オンライン」は随時受付中。町田宗鳳 | ありがとう禅 (arigatozen.com)