「お布施を焼き肉にする」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

 弘法護摩の祈祷料は2万1千円と決まっている。弘法大師のご命日21日にちなんで、その金額にしたまでだ。準備と片づけを入れると一回に4時間ぐらいかかり、そこに私たち夫婦が費やす体力と集中力を考えれば、決して不当な金額ではないはずだ。でも先日、護摩の後、「自分のどこに罪穢れがあるのですか」と言ってのけた女性のお布施をそのまま受け取る気にはなれなかった。私にとって真剣勝負である護摩を、あまりにも浅はかな精神で汚されたような気分になったからだ。賽銭箱に入れるにも、抵抗感のあるお布施だった。それで布施袋のまま、焼き肉屋に持って行って、家族と焼き肉を喰らった。それで、ちょっと溜飲が下がった。さて弘法大師は、そんな私をお叱りになるのだろうか、それとも「ワシも行きたかった」と言われるのだろうか。たぶん後者だと思う。(笑) 神道でいう「罪穢れ」はキリスト教の「原罪」に等しく、我々の存在の根底にあるものであり、表面的な善行をしたからといって消えるものではない。クリスチャンであろうが、仏教徒であろうが、深い懺悔なしには信仰は成立しない。本日30日14時からの「Dr.Sohoのパワートーク」(薬害研究センター)は、ピアニストの大塚あやこさんとの対談です。護摩895回 直近の予定はHPてのイベント欄を御覧ください。「弘法護摩&オンライン護摩」は随時受付中。町田宗鳳 | ありがとう禅 (arigatozen.com)