「石垣島のインディ・ジョーンズ」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。






日本列島最果ての地とも言える石垣島と、私はどういうご縁があるのでしょうか。今日は、鎌で密林を切り開いていくうちに、数百年前の古いお墓を発見しました。猛毒を持つハブがどこに潜んでいるか分からないので、危険な作業でした。石碑には、「文珪氏始祖神之陵」と書かれていましたが、漢代の名家の末裔が石垣島を最初に治めた役人だったと思われます。八重山諸島では、どうやら琉球の民と薩摩の武将と中国の官吏が三つ巴になって睨み合っていたのです。その霊的和解を促すために、私はこの地に招かれているような気がします。

 

昨日、手前の御嶽で「杖を供えよ」と言われた理由も分かりました。秘密の御嶽の主は、白髪の老人であることを、これも偶然に地元の人に教えてもらったからです。あり得ない偶然が次々と重なり合って、そこに辿り着いたわけですが、インディー・ジョーンズが失われたアーク(聖櫃)を見つけるのと、同じくらいスリリングな一日でした。その後、汚れ切った全身を浄めるために、一時間の沢登りをして、大滝に打たれました。


9日は大阪で、10日は名古屋で「風の集い」ですが、私は南島の熱風を引き連れて参ります。