神とは「無意識」のこと | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。



私は、近頃『死者は生きている』(筑摩書房)という本の原稿を書いていて、つくづく死とは「無意識」のことであるという考えを強めています。臨死体験が起きるのも、自我意識が働かなくなって、「無意識」に突入していくからです。

そこからさらに一歩踏み進めると、死の向こうに見えて来る神という存在も「無意識」であるという理解に到達します。そうなると、神が内在していない人間はいないわけです。無神論者というのは、神の理解が極めて限定されている人たちのことです。盤珪禅師が「不生の仏心」と言ったのも、「無意識」のことです。


神経生理学の実験で、指一本動かそうと意識する以前に、無意識が0.35秒早く脳からの指令を出していることが判明しているそうです。つまり、人生の主人公は、つねに「無意識」なのです。他者に悪意を抱いたりするのは、自我意識が混濁しているため「無意識」の光をブロックしてしまうのです。自我意識の濁りを取るのが、「ありがとう禅」の役割です。

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