皆さまお元気ですか?
未知のウィルスに世界が翻弄される今日この頃。
いつも通りの日常が、どれだけ奇跡的に恵まれた日々だったのかを思い知らされますね。
わたくし、できごとには何らかの意味があると思っていますので、現在のこの状況も、後になってみれば
「ああ、そういうことだったのか」
と、腑に落ちる日が来るだろうと考えています。
実はわたくし自身、この2月から3月にかけて風邪で寝込んで、たいへん苦しい思いをいたしました。
途中、死ぬかも とも思いました(←おおげさ)が、回復できて良かったです。
しかし、人はいつか必ず死にますから、いつ死んでも悔いの残らないように生きるということが肝心です。
たまに病気をすると、それを再確認できますね。
さて、年度末の、本来ならもっとも世間が慌ただしく、人々がにぎやかに交流する時期が、突然の強制終了により沈黙と静寂と停滞の春になってしまいました。
子どものいる家庭は、予定が狂い、生活も一変してしまったでしょうし、各種施設が閉鎖されたことによる困難を多くの方が抱えておられることでしょう。
政府からの通達が出るたびに、スーパーの棚からあらゆるものが買い占められ、生活弱者はますます苦境を強いられる。
人々の心を支配しているのは、不満と不安とやり場のない怒り。
あ、学校嫌いの子どもたちにとっては、願ったりかなったりかな?
わたくしも学校が嫌いだったので、もしも今、学童期を過ごしていたなら、いつまでもこの騒ぎが続きますように!と毎日祈ったことでしょう(笑)。
さて、わたくし自身はもともとインドア派ですので、外出するなと言われればいつまでも家の中でじっとしていられる人間です。
原発事故と違って、窓を開け放つこともできますから、閉塞感もありません。
ただ、楽しみに準備していたライブや読書会が軒並み延期となってしまい、開催時期の予定すら立たないということは、正直 悲しいです。
インターネットやSNSが発達した現代だからこそ、リアルに同じ場所に集い、時間と空間を共有し、語り合うことは重要だと思うのです。
まあ、今はウィルスの終息を第一に考えねばならない時期なのでしょうが。
わたくしは通勤する必要もなく、子どもたちは県外で独立しており、テレビもほとんど見ないので、それほど緊迫した雰囲気に触れることはありません。
何より田舎ですから、ちょっと外に出ればセリや野蒜(ノビル)、蕗(フキ)やヨモギなどなど、今を盛りの山菜が採り放題。
庭にもユキノシタやドクダミが柔らかな葉をぐんぐん広げていて、枇杷や桑の木にも柔らかな新芽が吹き出しています。
揚げ物の苦手なわたくしも、毎年この時期だけは意を決して、山菜のてんぷらを揚げます。
自然の恵みをいただく生活をしていれば、やっかいな感染症とは無縁でいられるのですけれど……。
これは、本日の収穫。
左から
セリの和え物
土筆(ツクシ)の炒め物
野蒜(ノビル)のぬた
どれも、野生の風味が豊かで、とても美味でした。
今回の引きこもり生活の成果として特筆すべきものは、これ。
もとは、義母トメ(2012年没)の着物です。
いつかリフォームしたいと思いながら数年が経ってしまいました。
風の音書店やCortadoの、次のライブ準備、次の作品作り、
そして、それ以外の朗読や語りの仕事の準備。
いつも、詩や物語など、言葉の世界にばかり関心が向いてしまって、裁縫する心のゆとりがなかったのです。
昔はあんなに好きだったのに。
着物には、シミや虫食いの部分もあるため、一度全部ほどいてから縫い合わせていきます。
そしてこのほどく作業が、実は最も大変でした。
義母は和裁の仕事をして家計を支えていました。
その仕事がいかに丁寧であったかということを、その着物をほどいてみて初めて思い知ったのです。
彼女が生きていた頃、わたくしはたいへん多忙だったため、ゆっくり話を聴いたり、裁縫を習ったりする暇はありませんでした。
いや、もしかしたら、暇はあっても素直に受け止めることができなかったかもしれません。
生身の人間同士だと、どうしても変な意地や見栄が邪魔をして、純粋な気持ちで互いを尊敬するのは難しいものですよね。
しかし今、故人としての義母の誠実さや几帳面さを、ひしひしと感じ、改めて対話が始まった感じがするのです。
上のパンツが一枚目。
この後、二枚目も完成しました。
これからも、少しずつ義母と対話しながら、着物をリフォームして行こうと思っています。
今回のコロナバカンスのおかげで、思いがけず良いきっかけをもらいました。
わたくしにとっては、深い学びの春となりました。