8月4日 大分コンパルホールにて、

金田一秀穂(きんだいちひでほ)氏の講演会がありました。

テーマ「言葉は生きている~若者言葉や流行をめぐって~」

金田一京助の孫にして金田一春彦の子。

金田一耕介は無関係です、とおっしゃっていました。



秀穂氏、まずは敬語の話から始められました。


「天皇と一緒に食事をしていて、お刺身が出たとしますよね。

その時、お醤油が、天皇のすぐそばにあって、それを取ってもらいたいとき、

みなさん、何て言いますか?」

天皇というのは、最上級の敬意を払わねばならない相手のたとえでしょう。

「陛下、まことに申し訳ございませんが、お醤油を取っていただけませんでしょうか?

なんて、言ってはいけません。」


えーっ、ではどう言えばよいのでしょう。


「あまりに丁寧な敬語でお願いされると、断れませんよね。

ですからそれは命令と同じです。

偉すぎる人には、モノをお願いしてはいけません。」


あー、なるほど。

では、醤油はつけずに、刺身を食べねばならないんですね。


「どうしても醤油を取ってもらいたいときにはどうすればいいか。

『醤油……、醤油……。』って、小さな声で囁くんです。

天皇がそれに気がついて、醤油を取ってくれるかもしれません。

それなら、お願いしたわけではありませんから、OKです。」


ハハハ、なんか変なの。


「敬語とはなんでしょう?

敬語は、相手を持ち上げて喜ばせるための言葉ではありません。

相手に対して失礼がないようにする言葉なのです。」


ふーん、そうなんだ。

あらためて考えたことありませんでした。


秀穂氏は、中国に講演に行った時のエピソードを語ってくださいました。

「到着してから、夜の歓迎会まで、まだたくさん時間があったので、

あちこち観光しているうちに、時間がなくなってしまいました。

遅刻してしまったため着替える時間もなく、

結局、飛行機に乗っていた時の、汚いジーンズとジャンパーの姿のまま、

歓迎パーティーに出席する羽目になったんです。

会場には、中国の大学の偉い先生たちがずらっと、

スーツにネクタイの姿で並んでいました。

申し訳なく、恥ずかしい気持ちで席に着き、

ジャンパーを脱いでから、ふっと顔を上げると、

全員が上着を脱ぎ、ネクタイを外して襟をゆるめていたのです。

それは、客である私に服装を合わせ、私に気を使わせないようにするための、彼らのマナーでした。

日本人ならこうはいきませんよね。

相手がどうだろうと、自分はきちんとした服装で通すでしょう。

それが礼儀だと思っていますから。」


へぇ~、なるほど。

相手をリラックスさせるための、中国のマナー、素敵です。


秀穂氏は、敬語というのは、相手と距離を取り、自分自身を持ち上げる言葉だとおっしゃいます。

敬語は、仲良くなるための言語ではないと。


「例えば、奥さんが、ご主人に、

『ねえ、聞いて聞いて!』と言えば、親しげですが、

『お話がございます。』と言うと、どうでしょう?

テレビアニメの世界でも、敬語を使うのは、だいたい悪役です。

自らの地位が高いことを示し、相手と距離を取るのに、

敬語は大変適しています。」


確かに、そうかもしれません。

わたくしが敬語を駆使してこのブログを書いているのも、

敬語を使うことによって、浮世離れした魔女っぽさを演出するという、

無意識の企みがあったからかもしれません。

秀穂さま、鋭い。



「ですから、子どもは敬語を使ってはいけません。

年齢的に、適していません。

まだ半人前の若者も、敬語を使ってはいけません。

敬語というのは、一人前の大人になってから習う言語なのです。」



そうだったのですか?!

わたくし、大学入学と同時に敬語を叩き込まれ、

半人前のうちから、敬語は必須だと思って必死で使っておりました。

わたくしの青春を、返して!(?)



敬語が、相手との間に距離を置くための言葉なら、

相手との距離を縮め、仲良くなるための言語って、

いったいどのようなものなのでしょう?




「声です。

記号言語の意味する内容は、ほとんど大切ではありません。

コミュニケーションは、動物もします。

動物の鳴き声としての、その人らしい、個性的な、声。」



わたくし、大変嬉しゅうございました。

常日頃、そのように感じていたからでございます。

風の音書店の活動が、肉声によるライブにこだわるのも、

声そのものの波動が、目の前の方々に伝わっていくことの大切さを重視するからなのでございます。



「同じ言葉、同じ歌でも、

それを発する人が変わるだけで、全く違って聞こえます。

相手に与える感動も、どんな声で、どのように話し、歌うかで、

全然違ったものになるのです。」



それから、相手と仲良くなるための言語として、

仲間言葉を取り上げました。

いわゆる「若者ことば」も、この仲間言葉の一種だとおっしゃいます。

その他に、方言、女言葉、男言葉、を例にあげて説明なさいました。



「東京で、同郷の人に出会い、

方言で話をしたら、あっという間に距離は縮まるでしょう。

同じように、女性同士、男性同士で話すとき、

異性と話すときよりも、より女言葉、男言葉を使うという統計があります。

若者言葉もそれと同じです。

言葉というものは、絶えず形を変えていくのです。

昔からそうでした。

最近の若者は、言葉遣いがなってない、などと言う方がいますが、

実は、いちばん日本語をめちゃめちゃに変えてしまったのは、

団塊の世代の人々なんですよ。」




また、秀穂氏は、メールなどの電子文字によるトラブルを憂えていらっしゃいました。

LINE殺人事件も、冷たい電子文字が助長したのだろうと。

じかにしゃべる、ということの重要性を訴えて、講演は終了しました。



「孔子も、ブッダも、モハメッドも、ソクラテスも、

人々との対話を大切にしました。

生きている人と、じかにしゃべる、ということが大事なのです。」




「真心を込めた言葉には、敬語なんか使っている余裕はないのです。」



秀穂先生、ありがとうございました。

そして、チケットを譲ってくれたあけみちゃんに、大感謝♡