都会へ出ると運動の機会が多い。

副都心線のように新しい路線は地下深くに駅があるから。

階段もやはり登りの方が楽な感じがする。

下りは床が下だから、

(当たり前なんですが)

踏み込み難い。

登りは地面が寄ってきてくれる。


エスカレーターしかない場合は、

大人しく立っています。


浅田次郎が続いています。


老いと死、

家族の気持ち、

時代が捨てて来たもの、

そんなテーマは、

「母の待つ里」にも流れていた。 


私は大した苦労もせず、

深くものを見ることもなく、

ボンヤリと感覚も閉ざして生きてきてしまった。

東京オリンピックは高校生の時なのに、

殆ど記憶に無い。

ビートルズの来日に大騒ぎしていた友達を見て、

それでも興味がなくて、

音楽を聴くこともなかった。

(流れてくる曲はきこえていましたが)


大阪万博というのもあったと思うけど、

いつだったか?

勿論行かなかったし、

全く記憶に無いのです。

何に気を取られていたのだろう?


今、やっと気づいたことが、

浅田次郎の小説の中に出てきて、

そうか、そう言えばそんな場面があったと、

今更パズルのように繋がってくる。

穴の中に潜り込んで息をしている虫のようだったと、

我ながら呆れています。