今朝の地方紙のコラムに、
フィギャースケートの荒川静香さんが、1度目のオリンピック出場を終え、
プロスケーターに転向しようと思っていたが、周りの人の反対にあって、
もう一度オリンピックを目指し、あのトリノでみごと金メダルをとったことに触れてあった。
荒川選手は、
「あの時周りの反対がなかったら、、、今の私はない」と語っているとか。
コラムニストは、
「結果良ければすべてよしなのだけど、、、」
と結んであった。
私は、結果良ければすべてよしとは思わないけれど、、、
結果云々よりも自分自身が納得いけばいいのではないのかしら?
と思ってしまう。
誰しもが選択に迷うときがある。
先が見えないからこそ、不安にかられどうしようか?と迷ってしまうのだと思う。
おりしも高校野球で注目されている菊池選手の記者会見があった。
彼は今すぐには大リーグにはいかず、日本野球界でプレイするとの選択をしたようだ。
涙を流しながら語る彼は、
「大リーグのスカウトの方に申し訳なくて、、、」と涙の理由を語ったそうだが、、、
果たして彼は周りの意見を聞き、その意見に納得した上での選択であったかどうか
とても気になってしまった。
荒川選手のように、周りの意見を聞き、その意見に納得して、選んだのなら、
どんな結果が待っていようとも、後悔はないはずだと思う。
果たして菊池選手は???
ところで、私が運命学を真剣に勉強しようと思ったのは、
自分の選択に後悔を覚えたからだった。
「間違っていたのでは?」
私の場合、残念ながら周りの助言を得る環境になかった。
思えば子供の頃から誰にも相談せずに、自分だけで決断してきたように思う。
不安にかられながらも、自分一人だけで選択をしてきたと思う。
自分の選択したことで、スムーズに事が運び、結果がよかったら、、、
興味をもちつつも、運命学を勉強することはなかったかもしれないなあと
つくづく思う。
「運命学を勉強して、、、その選択に迷いはないのか?」
と聞かれると、、、
「はい!」とは即答できないのだけれど、、、
周りの助言にあたるものとして得られたことはよかったと思っているのだ。