「母と子がふれあう姿って、充実していて、それでいてほのぼのとした温かさに溢れてるなぁ」と思いながら、親子リトミックの指導を楽しませていただいています。そんな無我夢中で、かけがえのない子育ての時間も、過ぎてしまえばあっという間でした。
時が過ぎ、まだまだ手はかかるものの、子供たちが大きくなって、少しばかり一人の時間が持てるようになり、仕事が休みの日には「お母さん」でも「先生」でもない「自分」の時間を過ごしてみたいなぁ...と思ったりしているこの頃です。
ところが、年月が経過し、すっかり「お母さん」が定着してしまっている自分に気が付かされるんです。
どこへ行っても、いつでも「母親」のフィルターを通して見られるんですね。
子供たちに「お母さん」と呼ばれるのは当然なのですが、他人(大人)から「お母さん」と呼ばれると、ついさみしさを覚えてしまう自分って、大人げないでしょうか。
「だって、お母さんでしょう?」と思われても仕方ないんですけどね。
特に20~30代から「お母さん」って呼ばれると...
「腹筋してるお母さんってスゴイ!」→
「素敵なお母様ですね」→
「マダム世代のおしゃれは...」→
「お母さん、お若いですね」→
きっと好意的な意味でおっしゃって下さっていると思うのですが、なんだか「お母さん」という生き物として括られて、そこに「あなたはお母さんでしょ。私(僕)たちとあなたとでは違います」という壁のようなものを感じてしまうのは...ひがみなんでしょうね(苦笑)
「お母さん」だから...
「お母さん」なのに...
「お母さん」として...
「お母さん」は...
私は私だったはずなのに。
女性として、子供を生み、子育てを経験し、円熟しただけ。
子供たちにとっては「お母さん」であっても、ひとりの人間、ひとりの女性でいたいんです。
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