乗客・乗員162名全員が亡くなった全日空機雫石事故から53年が経ちました。

事故当時、地元岩手県の消防団員で現地入りした伯父(親父の兄)から、話を聞かされてショックを受けた事、ハッキリ覚えています。

看護学校の学生さんまで関わったのですよ。とにかく、バラバラになったご遺体を縫い合わせて、ご家族の元に返そうと。。。
でも、なかなか合わなくて、大変だったそうですよ。

夏休みになると思い出します。
日航機墜落事故(日本航空123便墜落事故)とともに。



空の安全を祈っております。

犠牲になられた162名の方々のご冥福をお祈り申し上げます。



               全日空機雫石衝突事故 


全日空機雫石衝突事故(ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ)は、1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。


岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985年8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。


                                            ーWikipediaー 






            過 去 記 事


全日空機雫石衝突事故(1)

全日空機雫石衝突事故(5)

全日空機雫石衝突事故(6)

全日空機雫石衝突事故(7)

全日空機雫石衝突事故(8)

全日空機雫石衝突事故(9)

https://ameblo.jp/kazenokami10230711/entry-12814129450.html