<地震直後は建屋の修理で済むと思っていたのに津波警報!!・・・即、久慈中学校へ全員避難!!
皆、寒かろうと事務所のストーブと灯油を持ち込み・・・体育館中央へ
中学生達とテント設営・炊き出し準備・毛布運び!!>

これはTAKEさんのブログの記事からの引用ですが、前向きな姿勢が伺えますよね。



地元のスーパー等から食料が届いたので、11日の夕食から炊き出しが行われました。

久慈中学校の生徒は、テント設営、炊き出し準備、毛布の配布等の他に、トイレの清掃も自主的に行いました。

水が出なくなり、多くの住民がトイレを使用した為、当然、詰まる事態に…。

生徒と先生が、手作業で清掃し、備蓄した水を用意し、いつでも使用出来る状態を維持したそうです。

とても印象的な話です、



そんな協力的な流れの中、体育館中央のストーブを囲んでいた社会人達に、さすがにTAKEさんは腹を立て、『あの…、それウチのなんですけど…』と言ったそうです。

彼が心配なのは、お年寄りと子供でした。



やがて13日を迎え、再び町に電気が通い始めました。長かった事でしょう…。

もうすぐ行政の力も及ぶだろうという時に、彼は『通電した町にもう避難場所は要らないでしょ!』と思ったらしいです。

一見、厳しく冷たい人間に思えるかもしれませんが、そうじゃありませんね。

彼はまた『住む所が無くなった方々は行政でどうにかしろ!と声を大にして言いたい

避難所に居れば、食事も水も上げ膳据え膳で楽!と言う方々の溜り所となっている現状を見てしまっている・・・』と言ってます。

東北地方の沿岸部の被災状況も知る事が出来たでしょうし、『甘えていたら日本がダメになる』と、強く思った事でしょう。

また別の日立市のブロ友はリコメで『家族を失ったり、家に住めなくなった人が被災者であって…(中略)。自力で立ち直れる人は自らの力で、自力では無理な人には公的な支援を・・・その区別をつけないと本当に必要なところに支援が行きとどかず、必要もないところで義捐金や税金が消耗されてしまう』と言っています。

(4)に続く



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