国の援助なんて待てなかった…。

これはブロ友TAKEさんをはじめ、あの避難所を支えた地元の方々の言葉。



震度6弱~震度6強の激しい揺れが治まり、16:08時点で発表されていたのが、大津波警報。その後、津波注意報にまで下げられたという話も聞きますが、とにかく、この第一報で、多くの地元の住民が久慈中学校に避難しました。

その中に、ストーブと灯油を持参で避難した男がいました。

ブロ友TAKEさんです。

後に、彼の二つの工場は津波に襲われます。

津波の高さは、推定100~120cm程だろうか…。

工場は傾きながら、どうにか持ち堪えましたが、すぐ近くの久慈サンピア日立さんのプールがメチャメチャに破壊される程ですから、津波の威力は恐ろしいです。

みなと町、留町等も被害が出てしまった事でしょう。

久慈町4丁目付近の津波の高さは、実際どれ位だったのかわかりませんが、なぎさ公園で4,2mの津波が押し寄せていた事がわかっています。

ちなみに、川尻港で4,4m等、日立市の沿岸部は、大部分が4m以上の津波に襲われました。



さて、避難所となった久慈中学校。多くの地元の住民が避難してから、行政の力が及んで本格的な避難所が運営出来る様になるまで、3日~4日かかったと思います。

『国の援助なんて待てない…』

避難した地元の中高生と地元の住民で、早々に避難所の作成と運営が始まりました。

ライフラインが寸断され、行政側と連絡がつかなくなり、町の交流センターと学校側が一緒になって避難所を運営しましたが、その交流センターも津波に襲われ、機動力を欠き、困難を極めたらしいです。



水が出ている間に、ありとあらゆる容器に水を備蓄し、久慈浜伝説が生まれていきます。






画像はTAKEさんの工場です。



(3)に続く



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