お陰さまで、当ブログは7月23日に2歳の誕生日を迎える事が出来ました

忙しかったりスッキリしなかったりで、少々放置気味ですが、どうしても、書き留めておきたい事があります。

そして、原点に戻りたいと思います。

少し重い記事かもしれませんが、宜しければご覧下さい。



『避難所となった日立市立久慈中学校』の話と言うより、正確には、『避難所を支えた、地元の中高生、地元の住民』の話です。



4月12日~14日、日立さくらまつりの開催中に、日立市を訪れました。

最終日の14日、生憎の雨の中、帰りに大甕駅に寄り、南高野町の杉山酒店さんで、銘酒『風神山』を入手しましたが、そこまでは既にアップしました。

しかし、その後、大甕駅に戻るまでの肝心の1~2時間の事は、なかなかアップ出来ませんでした。



その肝心の1~2時間…。

ブロ友のTAKEさんと会っていました。初対面です。それも、いきなり。しかも手ぶら

私達は休みですが、彼は仕事中でした

彼には、日立市のカレンダーやマグネットステッカー等を送って頂いたので、とにかく顔を出したかったんです。

彼とは、久慈サンピア日立さんで待ち合わせをしました。それから、すぐ近くの彼の職場へ行き、震災等の話を聞きました。

彼の職場は、久慈町4丁目。低地と言うか、モロに0メートル地帯。

言うまでもなく、あの日、津波に襲われました。



避難所となった市立久慈中学校の話や、避難所を支えた地元の方々の話は、彼のブログやネットで知っていましたが、実際に話を伺ったら、胸が熱くなりました…。



今更ですが、風神山の麓の避難所の熱い話を聞いて下さい。

(2)へ続く



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