ハイ。

中断していた「鬱闘病記」を再開します。

 

NGT48問題が主体だったのもそうだけど、

別のSNSで、このブログの誹謗中傷を続けている人がいたので、

そちらの対策が終わるまで、鬱闘病記を中断していました。

 

3月にアメブロのコメントが荒らされて、

次にFacebookで個人攻撃をされたので、相手を特定して、ブロックをかけ、

「これ以上個人攻撃するなら、法的手段に出る」と言わせてもらいました。

今はコメントを承認制にしているので、ここはもう荒らされる心配はありません。

 

 

 

最後の更新は、昨年の6月でした。

「鬱闘病記⑦  被害者意識の根っこを探すー原因は過去の時代からあった」

https://ameblo.jp/kazenogotoku777/entry-12477415331.html

 

前回はスピリチュアルレポートでした。

 

ここから先は、前回までの記事を参考にして頂ければと思います。

 

 

 

 

イエス・キリストの時代に意識が飛んだ私は、旅から戻ってきてから、

「なぜ、こんなスピリチャルな体験をさせてもらったのだろう」と考えていました。

 

「被害者意識が、過去の時代からあることは分かったけど、じゃあ現実はどうすれば?」

 

今の私は、「aikaze」として生きているのだから、

今回の人生を生きている私が持ち続けている、被害者意識や、心の闇があるはず。

20数年間生きてきた中での、心の内部を探っていかなければ、

私の心の闇の正体を解明できない、

そうでなければ、現状を解決できないと考えました。

 

この後は、我が家が信仰している、幸福の科学の精舎や支部で、

心の探究を続けていくことになります。

 

「え、やっぱり宗教の話?」と思わずに、ちゃんと最後まで読んでくださいね。

ここからの反省行の日々が、私の心に強く変革を迫り、

心の奇跡を起こしていくのです。

ですから、途中で読むのを辞めないで下さいね。

 

 

 

それからの私は、

病院のリハビリ課で、細々と仕事する傍ら、

仕事帰りには、よく近くの幸福の科学の支部に行って、

あれこれと思いに耽けることが多くなりました。

 

御本尊の前で、

ただ一人静かに、心を丸く、平らかにしながら、

自分の過去の記憶を一個一個、引き出しやタンスの中から探すように、

幼少期の記憶を辿っていきました。

 

「どうか私の記憶が何とか思い出せますように。。。」

 

いや、分かってます。

小さい頃の記憶なんて、忘れてますよね。

でも、何でもいいから、自分の生き方や性格のヒントを探そうと思ったのですよ。

 

「自分が鬱になったのは、人や環境のせいではない、自分の生き方に問題がある」と、

思っていたので。

 

思いに耽けると言っても、

お寺のように、祈り、禅定するのがメインでした。

 

毎日の忙しさに翻弄されながらも、

ひと月、ふた月と日を重ねるごとに、不思議にも、記憶が巻き戻されていきました。

 

父の単身赴任とともに、佐渡島に行き、学生時代を過ごしたこと。

生まれ故郷の我孫子のこと。

 

母にも「私の小学校の時って、どんな子だった?」と聞きながら、

最後は自分の力でいいところまで思い出すことができました。

 

 

 

我孫子に生まれ、住んできた時のことは、思い出せないことが多かったけど、

家族と過ごした、かけがえの無い日々のことは、

断片的に思い出すことができました。

 

湖北台の団地の空き地で、団地の友達と遊んだ時のこと。

団地の塀を降りて、秘密基地を作った時のこと。

兄弟や、そのお友達のお姉さんたちと、小学校に登下校した時のこと。

 

ある日の小学校の帰りに、具合が悪くなって、商店街の入り口で泣いてたら、

兄弟のお友達のお姉さん達が気付いてくれて、

手を繋いで送ってくれたこと。

 

兄弟揃って担任としてお世話になったS先生のこと。

小学校の時に、軽度の脳炎を患って入院した時のこと。

 

団地の集会所に行って、父の将棋や囲碁を眺めてお小遣いをもらった時のこと。

縫製、洋裁の指導者として活躍していた父が、出張から帰ってきて、

疲れ果てて野球を見ながらビールを飲んでいたこと。

たまにしか帰ってこないのに亭主関白なので、母と夫婦喧嘩が絶えなかったこと。

 

母と兄弟と、商店街に駄菓子をよく買いに行ったこと。

ちょい遠めに感じた利根川に遊びに行ったこと。(今ではあんな近くだったと後で知ったけど)

遠くに見える手賀沼。

風土記の丘。

成田空港。

 

初めて自転車に乗れて、補助輪が外れた日のこと。

若草幼稚園に行ってた時のこと。

幼稚園のお泊まり会の時のこと。

小さな頃から泣き虫で、幼稚園の先生を困らせてたこと。

 

幼稚園の遊具で突き落とされて、足を挫いた時のこと。

当時の担任の先生が、家に謝りに来て父に怒鳴られてたっけ。

子供同士の痴話喧嘩だったのにね。

 

ちなみに、幼稚園の先生方とは、今でも年賀状をやり取りさせて頂いています。

でも、さすがに同級生のことは、もう思い出せないな。

 

 

 

その他にも、

佐倉市の「こどもの国」に泳ぎに行ったことや、よく潮干狩りに連れてってくれたこと、

九十九里浜によく行ってたことなど、

あれこれと、断片的に思い出すことができました。

 

 

 

でも、

父の単身赴任が決まって、10歳の時に佐渡島に引っ越したのだけれど、

この後からだった。

我が家の運命が狂いだしたのは。

 

その話は、また次回に。